愛のある母親
「芽莉ー、朝ごはんー!」
「今行くー!」
階段をばたばたと降りてきた我が娘は、クセ毛をしっかりとストレートにして、ばっちりメイクしていた。
「ごめんおかーさん、時間ないから、包んでくんない?」
「またぁ? 髪の毛やる時間あるんだったら、ご飯食べれるでしょう」
「髪ハネたまま学校なんていけないもん! おかーさんストレートだからわかんないんだよ!」
「はいはい」
仕方ないので、簡単におにぎりを握る。
具材は食べなかった朝ごはん。
「はい、お弁当と朝ごはん」
「ありがと! いってきまーす」
慌ただしい様子に、苦笑する。
元気があり余っているようで何よりだ。
そそっかしいところはあるし、勉強も苦手なようだが、毎日元気に過ごしてくれているなら、それで十分だ。
このまま、卒業まで見守ることができれば。それで、十分。
芽莉が勢いよく玄関の扉を開ける。
すると、誰かに扉がぶつかったようで、低いうめき声が聞こえた。
どうも偶然来客と鉢合わせたようで、外には三人ほどの男女が立っていた。
まさか開けた先に人がいるとは思わなかったので、私は慌てて外に出て謝った。
「す、すみません! 大丈夫ですか!? お怪我は!?」
伸ばした手を、扉の前にいた男が掴んだ。
「浅間祥子さんですね。警察です」
***
古いアパート。隣の部屋からは、いつも泣き声が聞こえていた。
怒鳴り声、物の倒れる音、何かが割れる音。
その音に、私はぎゅっと耳を塞ぐ。
通報したことはあった。でも、結局解決していない。
何もできない自分を、歯がゆく思っていた。
これ以上声を聞きたくなくて、私は分厚いコートを羽織って、外に逃げ出した。
二月。雪こそ降っていないが、体の芯から凍える寒さだった。
コンビニで暫く時間を潰して、とぼとぼとアパートに戻る。
すると、階段の下に、小さな女の子が蹲っていた。薄いパジャマ一枚だった。
寒さに震える小さな体は、傷だらけだった。
見ればわかる。隣の子だ。
「……大丈夫?」
どうせ何もできないのに、私は声をかけた。
その子は虚ろな目のまま、緩慢に顔を上げた。
「えっと……寒いから、部屋に」
部屋に。戻れないから、ここにいるのだろう。
何と言っていいのかわからなくて、私は自分のコートを脱いで、子どもにかけた。
すると、子どもは私の手をぎゅっと握った。
何も言われていない。けれど、私には、それがSOSに思えて。
どうしたらいい。通報は以前もしている。また通報したら、この子が責められるんじゃないだろうか。
「……ねえ。うちの子になる?」
気がついたら、私はそう言っていた。
***
「おかーさんを返せ!」
芽莉はわあわあ喚いて、警察にくってかかっていた。
「あのですね、芽莉さん。浅間はあなたを誘拐した、犯罪者なんですよ」
「違う! おかーさんは、あたしを助けてくれたの! 犯罪者なのはあいつらの方だ!」
「たしかにあなたの両親は虐待をしていましたが、だからといって誘拐を正当化する理由にはなりません」
「お前ら警察なんか、何もしてくれなかったくせに! 返せよ! おかーさん! おかーさん!!」
芽莉が泣いている。
抱きしめてあげたいが、警察に拘束されて、それは叶わなかった。
いつかはこうなると思っていた。
でも、せめて卒業まで。芽莉が一人立ちできるまではと、思っていた。
所詮犯罪者。穏やかな夢を見たのが、愚かだった。
「芽莉、ごめんね」
あなたを心から愛していた。
私は、あなたの親になれただろうか。