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第十五章「悠久なる邂逅」3

 次に話す大きな変化は往人さんとの同棲生活について。

 四月から慶誠大学から少し離れたマンションの一室で暮らすことになり、生活は大きく変わった。


 盲導犬のフェロッソにはリビングルームに大きめのケージを置いてそこで寝泊りをしてもらい、家にいる間はトイレもそこでしてもらっている。

 大型犬のフェロッソが入るにしてはお風呂はそれほど大きくないが、シャンプーをしてあげられるスペースは辛うじて確保することが出来た。


 運動が好きで甘えん坊さんのフェロッソとは毎日大学に通うが、休日には往人さんも散歩に連れて行ってくれていて、公園でボール遊びをすることもあり、すっかり往人さんに心を開いて懐いてくれている。


 往人さんはお師匠さんとの共同生活で家事全般を一人でこなす癖がついていて、私の気付かぬうちに掃除も洗濯も終わってしまっていることがよくある。


 意外に低血圧なところがある往人さんは朝には弱く、キッチンに入っている時以外は集中力があまりない。


 だから私は朝の時間に出来るだけ家事を済ませてあげようと頑張っているが、大学が忙しくなるとギリギリの時間まで寝てしまい、往人さんに頼ってしまいがちになってしまう。

 往人さんはそんな私を気遣って嫌な顔一つせず家事をこなしていく。

 それを経験してしまうと不甲斐ないことに私よりもずっと往人さんの方が主夫に向いていると言わざるおえない。目の見えない私にはなかなか家事は難しい点もあり、往人さんはとても頼りになってくれているのだ。

 そこは同じ視覚障がい者同士でも特性の違いがよく出ているところでもあった。


 特に料理に関しては手も足も出ないくらいで喫茶さきがけで培ったノウハウを発揮して美味しい料理をいつも食べさせてくれている。

 私のカレーライスを美味しいと褒めてくれるが、ちょっと嫉妬してしまっているのが現実だ。


 引っ越しをして嬉しかったことと言えば、誕生日の日に電子ピアノを往人さんに買ってもらったことだ。

 オーストラリアで暮らしていた頃は家に電子ピアノがあったので手軽に練習出来たが、日本に帰って来てからというもの、寮の部屋は狭く電子ピアノを置くスペースはなく、喫茶さきがけでお世話になることでしか練習する機会に恵まれなかった。


 2DKのマンションの一室はそれほど大きいというわけではないが、同じ部屋に電子ピアノとケージを置く場所は何とか確保することが出来て、新天地で暮らす快適さも格段に向上していった。


 私が電子ピアノで機嫌よく練習をして、往人さんが椅子に座りながらキャンパスボードに向かい絵画を描く。

 そんな休日も一つのライフワークになり、自然な習慣へと変わっていった。


 往人さんの趣味については不思議と明らかになることがなかなかなく、ずっと謎に包まれていたが、お師匠さんと釣りに行くことがあるということを知ったのは意外だった。

 

 それを聞いて私も行きたい! 行きたい! と声を大して駄々をこねて訴えたところ「仕方ねぇな……」と渋々連れて行ってもらうことに成功した。


 荷物と一緒にお師匠さんの車に乗り込んで移動をして、川や海に出掛ける。

 海は波に揺れる船に乗って釣りをしなければならないこともあり、何かと危険が多いからと私は比較的安全な川釣りに連れて行ってもらった。

 

 漁場にやって来ると、釣り竿を持って静かに待つだけという地味な行為ではあるものの、自然の空気を味わい、魚がエサやルアーに食いつけば勢いよく釣り上げるのは独特の快感があり、ドキドキ感いっぱいで笑顔がこぼれた。


 お魚さんは自然に還してあげることもあるが、捌いてみんなで分け合って食べることもある。

 私は魚に詳しくないから、自然に還す魚と食べる魚の違いはよく分からないけど、往人さんやお師匠さんと魚釣りを一緒に楽しめるだけで私は充実した気分になれた。


 私は目が見えない分、魚を捌くのは難しくまだ経験が足りず出来ない。

 実感することが出来ない分、私には分からないが魚を捌く光景はグロテスクで苦手な人も多いらしい。赤い血や内臓などの臓器が露出することになるから、抵抗感のある人もいるということなのだろう。


 想像力で補う私にとっては包丁を持つこと自体、慣れるまでは苦労したものだ。危険を回避するために扱いは慎重かつ丁寧に、細心の注意を払ってと言い聞かせられてきた分、つい臆病になってしまうことが多かった。


 でも、それも段々と料理に慣れていく中で抵抗感はなくなった。

 包丁を扱えないことには料理は出来ない。そういう割り切りも大きかったのかもしれない。


 勿論、動物を捌くようなことは能力的にも出来ないが、想像力を働かせる分、残酷なものは苦手で、ホラー映画なども元々映像を見れないにもかかわらず、耳を塞いで怖がってしまう。本当に何でこんな残酷なものを人々は楽しむことが出来るのかと、不思議に思ってしまうほどだ。


 そんなこんなで、魚釣りに来ると往人さんは平気そうに釣り上げた魚を捌いていき、新鮮な刺身を手際よく私に食べさせてくれる。

 かなりの量の血がまな板に流れてしまうそうだが往人さんは気にせず使い終わると水で洗い流してしまい、何事もなかったかのように振舞っている。

 

 私の血を見ると貧血を起こすほど体調が悪くなるけれど、その他の血を目の当たりにしても貧血を起こすことはないということだ。


 それは全色盲の往人さんにとって、”赤い血”ではないから大丈夫という話しで、”赤い血”が流れる私だけが恐怖の対象であるという認識を往人さんは持っているということだ。


 往人さんはこのことを厄介な身体だと嫌悪しているが、私は私が気を付ければいい話しだとあまり気にしないことにしている。



 こうして日常を送っている間にも季節は過ぎ去っていく。


 学業の合間に続けてきた絵本製作は立派な大人である華鈴さんと往人さんのお師匠さんである神崎さんの手助けの甲斐あって、順調な進行を見せた。


 作画を全面的に担当している往人さんの負担はとんでもなく、「マジかよ……」と深刻に呟く姿もあり、二人のスパルタに手を焼いているが、今はこれに集中するつもりだと強気に踏ん張っている。


 私が担当をするストーリーの方はオーストラリアで暮らしていた頃から頭の中にあり、日本に来てから文章化もしてきた。


 私は以前から密かに書いていたものは明らかに長く、絵本サイズにまとめ上げるのは困難を極めるものだった。


 そのため、私が書いたものから出来る限り文章を削っていき、イラストで補完してもらう構成に変えていった。


 元々が児童小説のような内容で書き残していたから、その辺りは人生の先輩である二人を頼り、絵本に見合った内容に書き直してもらった。


 春から始まり、季節の流れと共に進行は進み、お師匠さんや往人さんと話し合った結果、当初の計画では三十二ページの構成にしていたが、二十八ページの書籍にすることに決定した。


 絵本の場合、平均的には十六頁から長くても三十二頁ほどが標準で今回の作品は比較的長めの作品となる。

 初めて作るにしてはハードル高めだが、お師匠さんも何とかなるだろうと前向きに言ってくれた。

 

 絵本製作に関してはそのため、往人さん次第という点が大きく、往人さんの作画の進行に合わせて、細かい文章の書き直しをしていき、製本に向けて華鈴さんやお師匠さんが動いてくれている。


 私的には完成が待ち遠しいが、お師匠さんが言うには完成は早くても来年の冬から春に掛けてになるだろうとのことで、今年中には難しいという話しだ。

 

 もちろん絵本製作を簡単に見ていたわけではないため、私はこのことに納得している。

 クォリティーに妥協のない往人さん達の頑張りにも感謝していて、みんなでミーティングをする時間はとてもクリエイティブで有意義な時間に感じて嬉しい。

 何かを一緒に作るということ、それが私の作りたい絵本であるということ、これが楽しくないわけがなかった。


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