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第十四章「砂の上の銀河」1

 ――6月12日


 春から本格的に蒸し暑い夏へ、その狭間の梅雨入りを迎え、分厚い雲が空を覆い、いつ降り止むか分からない長雨が(きょう)(みやこ)に降り続く。

 天気予報では降水確率90%と表記された一日はまるで雨が止む気配を見せない。

 被害をもたらす豪雨という程ではないが、まさに梅雨の長雨に相応しく断続的に雨は大地に降り注いでいる。


 郁恵は昨日からインフルエンザにかかりずっとベッドの上だった。

 二年間、大学近くで寮生活を送って来た郁恵が引っ越しをして俺と一緒に暮らすようになり最初に訪れた災難。

 順風満帆な同棲生活の中にあって体調を崩して大学を休まなければならないことは悔やんでも悔やみきれないもののようだった。


 七階建てのマンションの一室、六階にある俺と郁恵の部屋に帰って来ると、俺は施錠していた玄関の鍵穴に合鍵を差し込み回す。開錠した音がしてすぐさま扉を開いて部屋の中へと足を踏み入れていく。

 

「往人さん……帰って来てくれたの?」


 この家の合鍵を持つ俺が入って来ると郁恵はすぐさま反応して声を掛けて来る。間取りが2DKのこの物件は寝室にいても玄関からの音が聞こえるため、俺が帰って来たことを物音で感知したようだ。


「ただいま、郁恵。

 華鈴さんが昼ピークが終わったら帰っていいって。

 ちゃんと、看病してやりなって。

 だから帰って来たよ、辛い時に一人にさせちまってごめんな」


 玄関で靴を脱ぎ、寝室まで真っすぐに向かうと、パジャマ姿でベッドから顔を出す郁恵の手を探り握る。


 今朝に話したばかりなのに、人恋しさを象徴するように、俺の手の感触を確かめ郁恵は瞳を潤ませて微笑んだ。


「そっか、心配かけちゃったね」

 

 まだ、声に力の入っていない掠れた声をした郁恵。

 こうして家に帰ってきたことを歓迎してくれる人がいる。

 そのことを思い、俺は抱き締めたい衝動をグッと堪えた。


 すっかり俺にも懐いたフェロッソが玄関からずっと尻尾を振って付いて来る。

 お腹を空かしているだと分かり、食事を用意するとベッドから”ありがとう”と郁恵の声が響いた。

 体調が優れずベッドから降りてフェロッソの面倒を見ることが出来なかったようだ。

 

 ベッドに戻ると郁恵は”往人さんの心臓の鼓動が聞きたいと”と甘く囁くようにおねだりした。体調を崩して一人でいるのが心細かったのだろう。

 熱を帯びてのぼせたように火照った顔をする郁恵の頭を胸で感じているとこそばゆく、唇を奪いたくなる衝動に襲われた。

 すぐにでも刺激的な部分に襲い掛かり、その甘い喘ぎ声を吐き出させ、目一杯虐めたくなるが必死に堪えた。


 俺は大切な壊れ物を失くさないように”あんまり近づくと風邪が移っちまうから”と何とか郁恵の身体から手を離した。


「本当は郁恵が心配で仕事が手に付かなかったんだ。

 何回も凡ミスしちまって……それで呆れた華鈴さんに今日は帰っていいって。かっこ悪くてごめんな、郁恵」


 俺は正直に今日、喫茶さきがけであった本当のことを話した。

 体調を崩して触れ合うことの出来ない心細さを覚えていたのは俺も一緒だったから。


「かっこ悪くなんてないよ……心配してくれてありがとう。大好きだよ、往人さん」


 今度はおでこを重ね、身体が苦しいのに耐えて照れくさそうに微笑む郁恵。

 おでこから伝わる体温も、繋いだ手の感触も何もかもが尊く愛おしかった。

 俺はそれから味付けを控えた玉子がゆを作り、郁恵に食べさせた。

 食事が終わり、安心したように眠る郁恵の姿を見て、俺は帰ってきてよかったとホッと胸を撫で下ろした。


 数日後、郁恵の体調は戻り、リュックサックを背負ってフェロッソと一緒に元気に大学へ向かい講義を受けて帰って来る生活に戻った。

 

 不器用な距離感にあった俺たちは、一緒に支え合う日々の中でゆっくりとありふれた仲の良い恋人同士の関係に変わっていった。


 喜びは二倍に悲しみは半分に。俺と郁恵はお互いに寄り添い支え合い、二人で励まし合いながら生きていく道を選んだ。


 それが互いの幸福にいつまでも繋がっていくことを信じて。

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