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第十三章「共に支え合い、歩んでいくために」1

「往人さん……今日は泊って行ってくれないかな?

 ちょっと、一人は心細くて……」


 食事を終えると父はここからいなくなり、私は妙な虚無感に包まれたままベッドの上で過ごしていた。父にちゃんとさよならを言えたのか記憶に自信がない。


 ただ今はこの心細い気持ちを埋めて欲しくて、近くに往人さんを感じていたかった。


「分かったよ、今日は泊ってくよ」

「うん、今日はお引越しの手伝いでお父さんが来ることを寮長に話してあるから、男子禁制の女子寮にいてくれて平気だよ。もし見つかっても私が代わりに怒られるから」


 私の言葉がやせ我慢をしているように聞こえたのか、往人さんが頭を撫でる。急にしゅんとしてしまい、私は力なく押し黙った。


 それから時は過ぎて、シャワーを浴びてバスタオルで髪を拭きながら部屋に戻るとフェロッソはソファーの上ですやすやと大きな身体で横たわり眠っていた。


「往人さん……まだ起きてる?」

「起きてるよ」


 先にベッドで寝転がる往人さんの隣に座り、往人さんの背中をさする。一人ではないというだけで心安らいでいくのが分かった。


「よかった……少しだけ、話しに付き合ってもらえる?」


 往人さんとせっかくの二人きりの夜なのに全く性欲が湧いてこない。

 寮室にいることもあるから無理もないけど、こんな経験は初めてのことだった。


「もちろん遠慮はいらないよ、これから一緒に暮らしていくんだからな」


 私の心情を察して往人さんが言葉を掛けてくれる。

 今日は落ち着かないけど、明日になればいつもの私に戻れるだろうと思えた。


「そうだったね……思ったより自分の気持ちを我慢してたみたい」


 往人さんが隣にいてくれるのを確かめて、ようやく布団を被る。

 頭の中で無数の本の姿が浮かび上がる。

 一つ一つが私の思い出を記憶している本だ。

 その中から極めて古めかしい蔵書の封を切る。

 ずっと奥に閉まっていたその一冊は異様に重く、1ページ目を開くだけでも躊躇いかける程だった。


 私は父から寵愛を受けてきたというほどではないが、心から感謝していた。

 特にオーストラリアで一緒に暮らすようになってから、一人で街を歩けるようにと盲導犬のフェロッソを連れて来てくれた。


 本当の父親ではないことを知っても、嫌いになることはない。

 むしろ、本当の母親に捨てられた私を拾ってくれた感謝の方が大きかった。



「往人さん……今日はお父さんと会ってくれてありがとう。

 今までちゃんと話したことがなかったけど、私にはお母さんと呼べる人がいなかった。

 暖かい家庭で両親に囲まれて愛情を注がれるようなことなく育ったの。

 お母さんのことが大切だったっていう往人さんの話を聞いてちょっとだけ羨ましいなって思った。


 私にはね、お父さんの結婚相手と二人きりで暮らしていた時期があったの。

 本当のお母さんのことは今日まで教えてくれなくて、その人は再婚相手だって教えられてきたんだ」


 自分を不幸だと思って欲しい訳じゃない。

 そう切り取られてしまうのが嫌だから、誰にも今まで言えなかった。

 でも、私は往人さんには知っていて欲しいって思った。

 それはきっと、私の弱い部分も愛してほしかったからだ。


「俺の父親も再婚したんだ……母さんが亡くなって一年もしない内にだよ。

 本当に親って勝手なんだな……子どもの気持ちなんて何も考えてないんだ」


「そうだね……何を考えてるのか分からないこともあるよ。

 でも、そこで思考停止してしまったら私はお父さんと一緒に暮らすことは出来なかった。

 きっと、私もお父さんを沢山困らせて迷惑を掛けてきた。いっぱい考えてくれて、我慢させてきたんだと思う。それに気付けたから、もうお父さんを恨むのは止めたんだ……」


 初めて往人さんの奥深くにある負の感情を垣間見た気がした。

 私はお世話になったお父さんのためにもちゃんと考えていたことを言語化した。


「郁恵……」


 背中を向けたままの往人さんが苦しそうに呟く。

 それはやっぱり、往人さんにとって辛い過去だからだろう。


「往人さんはやっぱりお父様のことを許せない?」


 私は確認のために聞いた。

 もしも、再婚したお父さんのことを許せないのだとしたらそれを変えることが私にならできるかもしれないと思った。


「分からないよ……母さんのことにいつまでも執着している俺も情けないとは思う。だけど、再婚相手と一緒にいる姿を見たら虚しくなるんだ。

 もう、母さんのことなんてどうでもいいんだなって」


「辛い気持ち分かるよ。

 信じていた人に裏切られるのは辛い。

 でも、往人さんと私は似ているけど違う。

 私のお父さんはあの人と離婚する道を選んだ。お父さん自身が許せなかったのもあるけど、私のことを思って選択してくれたんだと思うの」


 あの人と結婚したあの頃からお父さんが一緒に暮らしてくれていたら……今と全く違う人生になっていたのかもしれない。

 しかしそれは”たられば”だ。今更考えても仕方のないことなんだ。


「まだ俺には郁恵みたいに上手に笑いかけることが出来ないよ」


「そっか……変な話しになっちゃったね、無理しないでいいから。

 本当にごめん、余計な傷を抉っちゃって」


「気にすんなよ、俺も少しこのままじゃいけないって考える機会になったよ」


 往人さんがそう言ってこちらを向く。意地悪に息を吹きかけて来る往人さんに私は反撃とばかりにキスをして、眠る前に少しだけ慰め合う時を過ごした。

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