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第十二章「brave new home」3

 俺が郁恵と同棲することに決めたことを師匠に話すと、師匠はその高い身長で顔を上げ近所迷惑なくらい大袈裟に笑い声を上げた。

 そんなに豪快に腹を抱えて笑うことかと言いたくなったが、師匠は高揚した様子で俺の肩を軽く叩き、”そんな男の目をして立派なことを言うようになるとは、立派に成長したもんだ”としみじみ口にした。


「随分長い間、停滞していたと思うよ。反省すべきことはいっぱいある」


「反省すべきことなんてないさ。世の中はいつだって理不尽だよ。

 自分で選べる選択は限られ、足踏みさせられてばかりだ。

 お前の目の不自由さなんて感知してないんじゃないかってくらいにな」


「それでも、俺は恵まれてた。師匠にもあの日から助けられて、華鈴さんにも好意的に引き入れてくれた」


「いいんだよ、人間に大事なことは誠意だ。お前は今、誠意を示している。現状に甘えることなく、勇気を出して前に進もうとする意志が伝わって来るから、俺はお前たちの将来を応援できる。

 お似合いだよ、お前とあの子はな。離すんじゃねぇぞ、お前の母親が遺した遺産を」


 師匠の言葉を一つ一つ嚙み締めて、俺は頷いた。

 会話の後で、師匠は”あぁ、これから何を食っていけばいいんだよ”と微笑み混じりに愚痴を口にした。

 俺はそれに対して、”さっさと覚悟決めて、華鈴さんにアタックすればいいだろ?”と軽快に言葉を返した。


 ”そんな恐ろしいことできっかよ”と言葉を投げ捨てる師匠。


 二人はお似合いだと思うのだが、まだ師匠はその口では恐れ多いと思っているようだった。

 華鈴さんは美人で気遣いも出来る立派な人だが、師匠も美術界で活躍していて家庭を築くには充分過ぎる甲斐性を持っている。

 それに半分イギリス人の血を引き、肌は白く端正な顔立ちをしていて、目を惹く特徴的なシルバーヘアーをしている姿を近くで見れば一般的な女性であれば見惚れてしまうほどに理想を体現している。

 二人が婚姻を結ぶことがあれば美人夫婦として一挙に話題を呼ぶことだろう。


 俺は数年ぶりに、疎遠になっていた父にも連絡を入れた。郁恵と出会ってから初めてのことだ。

 父は相変わらずの陽気さでよろしくやっているようで、俺の心配はしていないようだった。

 俺も父と同じように、郁恵と出会い歩み始めることで、母の呪縛から解き放たれようとしているのだろうか。


 大切な人の死を悔やみ哀しむことは悪いことではない。

 父も俺と同じように母の死を悲しんでいた。


 どう母の死と向き合い、これからを生きていくために想いを消化していけばいいのか、どう立ち直って行けばいいのか、母を忘れて一人進んでいく父に憤りを覚えていたが、その答えを先に父が示したというだけなのかもしれない。


 だがあの時、まだ若く溌剌としていた母に一体何が起きて死に追いやったのか、それが明確に分からない以上、過去の出来事にして、記憶の奥へ封をしてしまうことは俺にはどうしても出来なかった。


 今も薄っすらと記憶に残る、充実した表情でキャンバスに向かう母の姿。


 母の遺作となった砂絵、そこに描かれた前田郁恵の姿。

 

 ほとんど人物画を描かなかった母が描き入れたそれによって、郁恵は人生をやり直す希望を手にした。

 その希望に乗ってオーストラリアに旅立ち、郁恵は疎遠だった父親と四年間を過ごし心も身体も強くなった。

 障がいに負けず、自分の足で歩き始め大学生になった。


 その郁恵と俺は運命的な出会いを果たした。

 母以来、初めて出会った色彩を持った特別の存在。

 それは、命を失いかけていた母が掛けた魔法だったのかもしれない。


 郁恵と出会ってから、随分と思考が丸くなったものだ。


 深い憎しみに囚われていた自分が時にどうでもよくなるほど骨抜きされている。


 あの優しい笑顔に感化されているのだろう、それを俺は改めて実感した。

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