第十一章後編「サンドアートヒストリー」6
俺の母親が描いたであろう、砂絵から今にも先程まで過ごした砂浜の潮音が聞こえてきそうな心境の中、郁恵とその父親との会話が続く。
「――うん、それでね、私……突然なんだけど桜井往人さんとお付き合いすることにしたの。
それで寮室に飾ってる砂絵を見た往人さんがこれはお母さんが描いたものだって。
本当なの? お父さん。
これは、往人さんのお母様が描いたものなの?」
俺との交際のお知らせはついでなのかと突っ込みを入れたくなったが、集中して会話を続ける郁恵を邪魔するわけにも行かなかった。
「往人さん……お父さんがスピーカーにしてもいいかって。
一緒にいること話したら、往人さんにも一緒に聞いて欲しいって」
思わぬ展開に嫌な予感がよぎったが、ここは堂々と振舞わなければならないと肝に銘じて承諾した。
「それじゃあ、覚悟はよろしい?」
「全然、本当は緊張しまくりで大丈夫じゃないけど、覚悟は決めたよ」
確認を取る言葉の選択が謎だったが、俺は気を落ち着かせて頷いた。
唇が渇き、今からでも逃げ出したくなる状況に追いやられる中、俺は郁恵の父親と思いがけない形で挨拶を交わした。
「まさか深愛さんの息子さんが郁恵の恋人になるなんてね……。
未だに信じられない気持ちだが、愛し合っているなら邪魔立てすることはない、よろしく頼むよ。
君ならば郁恵のことを深く理解してくれることだろう、私などよりもずっと」
ゆったりとした落ち着いた声色で交際を認めてくれた郁恵の父親。
どう言葉を言い繕えばいいのか、俺にはよく分からなかったが、ただ遠い地球の反対側で聞いている相手に届くように、シンプルに感謝を俺は伝えようと試みた。
「郁恵さんは大学生になって何事にも精力的に頑張っておられます。
心惹かれてしまったことをお許しください」
郁恵はそんなに畏まらなくてもと横で苦笑いを浮かべるが俺は初対面で誤解を与えないようにするために必死だった。
交際の許しが出たことに安堵する間もなく喉が渇いていくのを感じながら、挨拶を交わし、遠回りをして砂絵にまつわる事情を説明してもらえることになった。
「砂絵のことだったね……あれはね、お父さんが深愛さんの旦那さんに頼んだものなんだ。
その旦那さんとは学生時代からの友人でね、結婚記念日に画家をしている奥さんから絵画のプレゼントもしてもらった過去があって。
それがあまりに素晴らしく感銘を受けて、印象的に残っていたからね。
入院を続けている郁恵のためにプレゼントしたくてどうしてもとお願いしたんだ。少しでも勇気付けて欲しかったからね」
俺や郁恵と同じく弱視ではあるが視覚障がいを持っていた俺の父親。
その俺の父親と郁恵の父親は友人関係にあった。
そのことがここに飾られている砂絵に繋がる大きなきっかけだったようだ。
郁恵は興味深そうに話を聞き、砂絵に込められた想いを改めて受け取ったようだった。
俺は郁恵の父親、前田吾郎の郁恵に対する愛情を感じつつも、妙な距離感のようなものを同時に感じ取った。
それが男女の差によるものなのか、ただ俺が母親に抱いていた感情が強すぎたのか、この場では判断が付かなかった。
長い一日の果てに辿り着いた郁恵と俺に秘められた繋がり。
それは運命的に位置づけられたもののように俺には感じられたが、郁恵がどう感じているかは分からなかった。
俺の父親は視覚障がいを持ちながら母と結婚して俺が産まれた。
郁恵の母親については謎が残るが、郁恵もまた苦労をして父親の手を借りながらここまでの道のりを歩いてきたのだろう。
俺と郁恵、視覚障がい者同士が手を取り合い、愛し合う関係になった以上、平坦な道のりではないことだけははっきりと自覚しなければならなかった。
互いに大切に想いあっているがゆえに、時に傷つくこともある。
それを肝に銘じて、俺は郁恵の手を握った。