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第九章「プリンセスハーモニー」6

「この位置でいいかしらね、それじゃあOKよ!」

「往人さん、聞こえますか? クリスマス演奏会がいよいよ始まりますよ!」


 華鈴さんのアイディアで往人さんとビデオ通話を繋ぐことになり、スマートフォンを私達の演奏が見えやすい位置に設定して置いてくれた。


 私は少しでも往人さんを励ましたくて、精一杯この声が届くように明るく声を掛ける。


「あぁ、聞こえるよ。二人とも楽しそうだな」


 大切な往人さんの声が私の耳に届き、私は踊り出したくなるくらい感情が湧き立った。


「可愛いサンタ衣装でピアノの演奏する郁恵さんを見れないのは残念だろうって思って。一人で家にいるのは寂しいでしょうけど、これで我慢しなさい」


 華鈴さんもいつもの気さくな調子で優しく往人さんに声を掛ける。温かみを感じられる瞬間に私は胸が熱くなった。


「はい、今日は行けなくてすみません。僭越ながらここから楽しませてもらいます」


 仕事を休んでしまったことを謝罪しつつも往人さんは私達を見てくれている、私は確かな勇気をもらった。


 ―――それじゃあ、始めましょうか。


 上品な口調でそう開始の合図をして、照明を消してくれたようだ。

 華鈴さんは言っていた。演奏中は照明を消して窓も閉め切っていて、テーブルにはそれぞれローソクが立ててあると。


 それはとてもロマンチックでクリスマス演奏会にぴったりだなんて思いながら、華鈴さんのアイディアを受け取った。


 ―――今、蝋燭に火を灯しているわ。もうすぐ始まるわよ。


 華鈴さんがピアノ椅子に私を案内してくれる最中、そう小声で口にした。

 私は席に着き、点字で記された楽譜にそっと触れる。

 それは練習を続けてきた日々を思い出すための小さなおまじない。

 演奏が始まれば触れるようなタイミングはない。

 それでも、練習をしてきた日々を忘れないために、手を貸してくれた全ての方へと感謝を忘れないために、私は譜面に触れた。

 

 ―――準備OKです、何時でも行けます。


 私は華鈴さんの手をそっと握り、声で伝えた。それで心が通じ合っていると信じることが出来た。


 ―――それでは、クリスマス演奏会を始めさせていただきます。どうぞごゆっくり、お楽しみください。


 これまで何度もここでコンサートを開催してきた華鈴さんが観客に向けてマイクへ声を乗せる。

 店内には私の晴れ舞台を見るため静江さんや恵美ちゃんも見に来てくれている。

 沢山の拍手が客席の方が鳴り響き、ついに待ちに待った瞬間が訪れる。

 グランドピアノから客席までの距離は近く、まるでライブハウスの中にいるみたいに感じられた。


 こうして、待ちに待った一年越しのクリスマス演奏会が始まった。


 最初の曲目は華鈴さんが好きだと言っていた、私も好きなチャイコフスキーの『くるみ割り人形』を選んだ。

 

 『眠れる森の美女』、『白鳥の湖』とともにチャイコフスキーの三大バレエ作品に数えられ、最後に作曲されたのが本作の元となったバレエ曲であり、クリスマスを舞台にしたものであることも今日にピッタリな、彼の代表的作品の一つだ。


 ピアノを中心にして童話の世界を歩くように軽快かつ煌びやかなメロディーを思うままに奏でていく。ところどころでフルートにパートを引き継ぎ、合わせるところでは湧き立つようなハーモニーを強調していく。


 あまりに幸福な約20分間の演奏が終わり、大きな拍手が送られる。

 私はその店内に響き渡る拍手に応えるようにピアノ椅子から立ち上がり、お辞儀をした。

 華鈴さんは熟練しているのが分かる調子で慌てることなくMCをしてくれて、ノリの良いテンポで歓声に答えた。


 次に私達はお互いのソロ楽曲を演奏した。


 私はオーディオブックを聞きながらでも演奏できるパッヘルベルの『カノン』を自信たっぷりに奏でて、華鈴さんは久石譲(ひさいしじょう)作曲の『君をのせて』を恋をしてしまうくらい美しく透明感のある響きで演奏して見せた。

 心から切なさが込み上げてくるような完成度の高さに私も観客に合わせて大きな拍手を送った。

 

 それから X’mas(クリスマス)Song(ソング)を数曲二人で元気よく披露してクリスマス演奏がいよいよ後半に差し掛かると、特に届けたくて丁寧に練習を重ねてきた松任谷由実(まつとうやゆみ)の名曲『春よ来い』を演奏した。


 印象的なイントロのピアノから始まり、出会いと別れの季節を象徴するようなあまりに切なく透明感のあるメロディーをピアノとフルートで情緒的に演奏していく。

 

 同名のドラマに限らず、卒業ソングとしても有名な時代を超えてもなお愛され続ける名曲。

 心が締め付けられるような演奏に観客が息を呑むのが分かった。


 私は早く会いたくて愛おしい往人さんのことを想いながら最後まで演奏をやり遂げた。


 一切の邪魔の入らないまま感動的な演奏が終わると、数秒の静寂の後で一際大きい拍手が私達に贈られた。


 こうして店内の熱量は最高潮に到達した。


 私は自然と笑顔が零れて、同時に泣き出しそうになるのをグッと堪えると、立ち上がって丁寧にお辞儀をした。


 練習の日々を思い起こす間もなく、あっという間に過ぎ去っていく大切な演奏会。最後は出会った日に私が披露した『トルコ行進曲』を二人で演奏して明るく締めくくった。 


 気持ちの入った経験のないような割れんばかりの拍手を浴びて、私は涙を滲ませながら、たくさんの人と握手を交わし、互いに感謝の言葉を伝え合った。


 不自由な身体を持つ私でも、精一杯練習をして努力を続ければたくさんの人に喜んでもらえる、多くの感動を届けられる。


 その実感を得たことは私自身を勇気づけると共に、やり切った幸福感で胸いっぱいに満たされていった。

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