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第八章「桜の木の下で」5

 それからというもの、師匠が加わって余計に美桜さんがテンションを上げて、宴会ムードに花見会場は変わった。


 美桜さんと師匠はお酒を飲み始め、すっかりほろ酔い気分でバーベキューで焼いた食材を口にしている。

 二人の空間だけは居酒屋のような光景に変わっているが、それ以外のメンツはすっかり食べ終わり満腹状態になっていた。


「そうだ、往人さん、ボール持ってきたから一緒に遊びませんか?」

 

 居酒屋状態の会場に飽き始めたタイミングで郁恵から俺は誘いを受けた。


「いいぞ、腹もいっぱいになって退屈してきたところだからな」


 陽射しに弱いせいでスポーツは得意ではないが、郁恵を相手にするなら無理はしないと思い間髪入れず承諾した。


「よかった……それなら一緒に遊びましょうっ!」


 郁恵はサポートスタッフの女性に話しかけ、視覚障害者用ボールを渡してもらい、俺をこっちにおいでと誘った。


 それほど人も密集しておらず、十分に遊ぶスペースもある河川敷の会場。

 遠く離れることなく、俺と郁恵はボールを地面に置き簡単なブラインドサッカーを始めた。


「行きますよっ! 往人さんっ!」


 青春ドラマのワンシーンのように郁恵は勢いをつけてボールを蹴り上げる。

 飛沫上げる水流のようにフットサルと同サイズのボールが宙を舞い、灰色の空の上でシャカシャカと鈴の音を上げた。

 そして、地面に落下したと同時に響き渡った鈴の音に向かって俺は駆け出した。


「そらっ!」


 郁恵に向かって俺は届くと信じて蹴り返した。

 ブラインドサッカーはパラリンピックの競技にもなっているスポーツでルールくらいは俺でも知っていた。

 この場には試合が出来るほど人数はいないが、専用のボールを使い遊ぶくらいでも、十分楽しむことは出来るだろう。


「わぁ! ピッタリだよ!」


 鈴の音を鳴らしながら郁恵の足元に吸い込まれていくボール。

 郁恵はボールが真っすぐに届くと満面の笑顔を弾けさせた。


「上手にパスできましたね、それじゃあ今度はこれを着けましょうか?」


 そう言ってアイマスクを取り出した郁恵。

 迷いなくそのまま着けると郁恵は俺を探し始めた。

 

「往人さんにも着けてあげますから、そこから動いちゃダメですよ」

 

 舗装されていない土の上を不安定な足取りでこっちに向かってくる郁恵。

 元々目の見えていない郁恵がアイマスクを着けて歩いていると、むしろ普通の女性に見えてならなかった。


 そんな郁恵はある時、絵の具の匂いを頼りに俺のことを見つけた。

 その時を再現するように、俺の身体に郁恵は到達した。


「往人さんを見つけましたよ」

「そんなに嬉しいか?」

「はい、だって往人さんは意地悪だからなかなか居場所を教えてくれませんから。こうして慣れておかないと」


 喜びを噛み締めるように胸板に顔を擦り付けてくる。

 マーキングするようなその仕草は、愛くるしい動物のようだった。

 人前で抱き締め返せるほどの勇気は俺にはないが、不思議と良い匂いが嗅覚をくすぐり身体を離したくない気持ちになった。

 

「そのまま動いちゃダメですよ、私がアイマスクを着けてあげますからね」


 そう言って手探りで俺の耳に触れたところで、ようやく位置を把握してアイマスクを着け始める。あまりにもこそばゆい感触を感じながら、俺は郁恵と同じ視界に染まった。


「よくそんなことをして恥ずかしくないな」

「何を言ってるんです。恥ずかしいに決まっているじゃないですか」

 

 じゃあ何で恥ずかしいことをわざわざしようとするのかと問いたくなったが、俺はグッと我慢してやり過ごした。


「ブラインドサッカーのルール的に郁恵まで着ける必要があるのか?」

「私は光を認識できないですが、全盲でも光を認識できる方はおられるのでみんな着用します。ちなみにライトメーターのアプリにはいつもお世話になっていますよ」


 何事もないかのようにそう言葉にする郁恵。

 俺にはほぼ縁がないが、明るさを数字で教えてくれるライトメーターのアプリがあれば、パソコンや照明を付けっぱなしにすることもない。郁恵にとっての生活の知恵だ。

 同じ世界で生きる中で、郁恵は自分の身体について後ろ向きには捉えない。それがよく分かる言葉だった。


 お互いに目隠しをしてパスを俺たちは始めた。

 ドッチボールをするよりは怪我もしにくく運動をしている感覚もしっかり持つことが出来た。

 途中から盲導犬とフリスビーで遊んでいたサポートスタッフの女性と身体の大きい女性も参戦して、慌ただしくも楽しい時間が続いた。

 チームを作って実際にブラインドサッカーを出来たら楽しいだろうと会話をしながら俺も思った。

 

 人は自由になって初めて不自由であったことを知る。

 それは家の中でだけ暮らしていて、自分が両親から虐待されていることに気付かない子どもも同じだ。

 社会の常識なんて教えられるまで子どもは知ることはない。そして、何が本当の幸福であるかも。


 少なくとも俺は親に関しては恵まれていて、こうしていることが自由であると感じることが出来る。

 それは自然と郁恵と過ごす時間を求め始めていて、俺の心が揺れ動いている証拠でもあった。


「郁恵はいつも楽しそうだな」

「だって、点字ブロックの上以外を安心して歩いて行けるのは、みんなが一緒にいてくれるからだから」


 ボールを蹴るのに慣れてきた郁恵は盲導犬のリードを握りながら言った。

 それは彼女の心から溢れる感謝の想いなのだと分かる。

 そしてたぶんそれは、アイマスクを着けて全色盲(ぜんしきもう)であることを今だけでは忘れていられている俺も根本的には同じなんだろう。


 体力的に続かないせいでこういう機会を頻繁に作ることは出来ないことは分かっている。


 しかし、こうして日々を過ごし、成長していく郁恵の姿を見ながら、俺も一緒に成長していきたいと、願いが明確に芽吹いていった一日だった。

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