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視えない私のめぐる春夏秋冬  作者: shiori@


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第八章「桜の木の下で」4

「郁恵の食べたいものは何だ?」


 リードから手を離して席に着いた郁恵に俺は聞いた。

 隣の席には身体の大きな友人がいて、サポートスタッフの女性は席に着くことなく、そういう性分なのか忙しなく手伝おうと手を差し伸べている。


「うーん、ウインナーが欲しい。それとトウモロコシ!」

「分かったよ、焼いてやるから待ってろ」


 俺は何があるかを伝えず、何を食べたいかを聞いた。

 その方がレパートリーの多い今日のバーベキューには合っていると思った。

 次々に食材を網の上に並べ、賑やかな調子のままバーベキューは続く。

 郁恵よりも隣に座る友人の方が明らかに食べていたが、郁恵はそんなことは気にせず、幸せそうに焼きたての食材を堪能していた。


「郁恵もカルビ食べなよ? 美味しいよ?」

「恵美ちゃんペース早いよ~! そんなにたくさんお皿に載せられてもすぐに食べられないから」


 網の周りに集まり、調理する担当が三人に対して、座って食べ続けるのは二人。

 明らかに供給過多の状況になり、郁恵は餌付けをされているとしか思えない光景になった。

 段々と落ち着いてきたところで俺も席に座ることになり、郁恵の正面に腰を下ろす。


 風に吹かれて郁恵の長い髪が揺れる。

 その直後に紙コップが倒れ、ジュースが零れた。


「あぁ! 郁恵、オレンジジュース零れちゃったよ!!」


 隣の友人が一際大きな声を上げて慌て始めた。

 1リットルのオレンジジュースが入った容器のパッケージを見ていたからそれが俺にはオレンジジュースだと分かっていたが、テーブルに広がっていくオレンジジュースはライトグレーの色をしていた。


「今拭いてやるから、動かないでいいぞ」

 

 郁恵の洋服が汚れないよう、先に声を掛けた。

 その場で立ち上がり、俺はタオルを手に取りテーブルを拭く。

 滲んだテーブルの色が白く戻っていく。

 郁恵は申し訳なさそうな顔を浮かべていた。


「ありがとう……往人さん……」

「気にすんなよ」


 俺の言葉を聞いて頬を赤らめる小さな顔をした郁恵。

 何かまた目立ってしまっている気がして、俺は居心地の悪さを感じた。


「皆さん御機嫌よう。なるほど、もうすっかり楽しんでいるようだね。

 遅れてすまないよ」


 タイミングを見計らったように、よく見覚えのある白いスーツ姿をした師匠がやって来た。

 師匠は紳士のつもりなのだろうが、どうにも茶化しに来ているように見えてならなかった。


「もう、待ってたんですよ、神崎さんったらっ!」

「いやはや……ついつい目の前に咲き誇るしだれ桜に夢中になってしまって、絵描きの(さが)だね。我ながら足が止まってしまっていたよ」


 ジョークにしか聞こえない言い訳を言って、歳の近い美桜さんの隣に座る師匠。

 俺や郁恵からは少し遠い席を選んで座って眺めようとするその様はこの状況を楽しんでいるように見えた。

 師匠と美桜さん、二人の仲を象徴するような光景につい邪推を持って見てしまう。

 二人はもしかして、俺と郁恵の関係をネタに親交を深めているのではないか。

 確かに歳も近く見た目にはお似合いな二人。

 美桜さんはスタイルが良く、年齢を感じさせない魅力があり、師匠も同様だ。想像に過ぎないが、未だ未婚である二人が気付かぬうちに逢瀬(おうせ)に向かったとしても何ら不思議に感じないのは実に恐ろしいものだ。


「あの……神崎さんって、もしかして往人さんのお師匠さんですか?」


 郁恵は顔を上げて、遅れて気が付いたのか前を向いて遠慮がちに声を掛けてきた。


「あぁ、そうだよ。そういえば……これが初対面だったな」


 俺はもちろん初対面であることを知っていたが、慌てさせないよう話を合わせた。


「あわあわ……ご、ご挨拶をさせていただいて、よろしいですか…!」


 急に立ち上がって、声が裏返ってしまっている郁恵。

 勢いでテーブルに置かれたお皿を倒しそうになっていて、俺の方がヒヤヒヤさせられた。

 そこまで緊張するような相手ではないが、郁恵にとっては緊張する類いの相手のようだ。


「郁恵さん、そんなに緊張しなくても大丈夫よ。

 取って食べたりしないから、神崎さんは」


 どういう安心のさせ方なんだと思ってしまうが、師匠は美桜さんと一緒に立ち上がって郁恵の席に向かっていく。


「私の不在の間にアトリエにお邪魔しているようだね。前田郁恵さん」


 また変な誤解を与えるような言い方をして、師匠が先に挨拶をする。

 俺が郁恵の隣に立つ前に、すでに美桜さんが隣に立っていて、二人を向かい合わせてくれていた。


「す、すみません……挨拶もせずに、勝手お邪魔をしてしまい……」


 申し訳なさそうな様子の郁恵。そんなに構えるような相手ではないと言ってやりたいが、随分と年も違う相手だ。身構えてしまうのも無理はなかった。


「師匠っ!!」


 郁恵のことを思って、つい釣られてしまい衝動的に大きな声を上げてしまう。

 だが、動じることなく落ち着いた様子の師匠は言葉を続けた。


「分かっているさ往人。少し意地悪をしてしまったね。

 私は神崎倫太郎(かみさきりんたろう)。そんなに脅えなくていい。

 往人が世話になっているね、君のおかげで彼は変わり始めている。

 私は心から感謝しているよ」


 一人称を私にしている師匠はどうも胡散臭い雰囲気がしてしまうが、親切さをアピールして郁恵に弁解した。


「そんな……私の方がいつも助けられてばかりです……」


 師匠が優しく涙ぐんでしまっている郁恵の手を取り、その両手を包み込むように両手を合わせる。

 どういうつもりか分からないが、師匠は実に紳士的に振舞い緊張をほぐすような態度で、手の感触を楽しんでいた。


「君の魅力は君以上にこの場にいる人間が感じている。

 自分に自信を持つといい。私には君はもっと自由になれるように見えるよ」


 緊張を解きほぐすようにさらに言葉を綴る師匠。


「自由に……ですか?」


 握られた手の方向を見つめ、郁恵は真面目にその言葉を受け取っているようだった。


「あぁ、望みを持ち続ければ願いは叶う。

 それだけ、周りの人間は君のことを理解しているということだ。

 それは当たり前のことじゃない、君の魅力が成せる(わざ)だよ」


「はい……そうだとすれば、それは本当にありがたいことです。

 お師匠さんが優しい方で安心しました」


「私が悪い人だったら、許せないかい?

 往人を任せたくないと思うかい?」


「そんなこと考えなくても信頼していますよ。

 だって、二人はずっと一緒に暮らしていらっしゃるじゃないですかっ!」


「ははははっ!! 郁恵君、実に面白いね君は。

 そうなんだよ……生活を共にする往人は実に甘えん坊なんだよ。

 私が朝帰りをした日なんて……」


「おい師匠! それ以上余計な嘘を口にしたら、晩飯なしだぞ!」


「あぁ……すまんすまん、つい揶揄(からか)いたくなって堪らなくってな。

 これ以上は控えることにするよ。往人の飯を食えなくなるのはご免だからね」


 不快になるくらい愉快な笑い声を上げて、郁恵からやっと手を離す師匠。

 つい感情的になってしまったのを俺は後悔しつつ、師匠と郁恵の挨拶は終わった。

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