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第三章「カンパネラの音色に導かれて」2

「へぇ……あなたピアノに興味があるんだ。それじゃあ、ここで一曲弾いてみないかしら?」


 聞くことに集中していて気付かなかったが、随分と私は前のめりになって最前列に立っていたようだ。話しかけてきた女性は聞き取りやすい明るい声色をしていて透き通った声をしている。演奏者ではなく先程店に入った時に会話したウェイトレスのようだった。


「え……でも……」


 まだ興奮を抑えられない中、思わぬお誘いを受けて驚きのあまりぴくりと身体が反応してしまう。

 動揺が走り、すぐに返答できないでいると、演奏者とウェイトレスとの会話が始まった。

 

「今ので演奏は終わりだから。遠慮しなくていいわよね? 彼女に譲ってあげてもいいでしょう?」

「ええいいわよ、とても可愛いレディーね。演奏経験はあるのかしら?」


 私はようやく演奏者の声を聞いた。ウェイトレスの女性と同じく大人の女性の声質をしている。

 品があって色気も備えた凛とした雰囲気。演奏の実力といい、生きている世界の違いを感じてしまう。


「一応……オーストラリアにいた頃はハイスクールにあるピアノで練習していました」


 恐れ多いと思いながら私は返事をした。


「そう、じゃあ遠慮しないで。私は料理が出来るまでの間の待ち時間にグランドピアノを借りて演奏させてもらっただけだから。ちょっと調子に乗って派手なのをやっちゃったけど。まぁ、そこは大目に見てくれる?」


「そんな……めちゃくちゃ凄かったです。無料で聞くのは申し訳ない、しっかりお代を払ってホールで聞きたいくらいの演奏です……!」


 私は茶目っ気のある堂々とした調子で話す演奏者の女性に何とか返事をする。

 話しぶりを聞くと、この演奏者の女性はたまたま立ち寄って演奏したような雰囲気だ。これだけの実力があれば演奏してもらうだけで高いギャラが必要になるはずだ。

 まだ混乱気味の頭で考えてみたが、聞く限りでは、ウェイトレスの女性と親しい様子でもあり、見知った間柄なのだろう。


「だってさ、晶子(あきこ)。お褒めの言葉を頂いてよかったわね」

「嬉しいわね、私のことはいいから聞かせて頂戴。私は大人しく席で料理を食べているからね」


 感動を覚える演奏をしてくれた演奏者の前で理由もなく断るわけにはい行かない。私は恐れ多かったが、恐縮しながら頷いた。


 演奏者の女性がピアノから離れていき、緊張してしまっている私は胸に手を当てた。

 

「緊張するわよね、ごめんなさいね……彼女にもノリで演奏してもらったから。固く考えなくていいわ、ここは喫茶店でお客さんも少ないから気楽に演奏して頂戴。ほら、席までエスコートするから」


「はい、ありがとうございます……」


 私は身体の震えを抑えながらフェロッソをお座りさせて手綱を放すと、手を差し出して女性の手を握り返す。

 思ったよりも指は細く長い。適度な柔らかさをした包容感のある手にエスコートされて、私は観念してピアノ椅子に着席した。


 大きく息を吸って深呼吸して、胸に手を置いて大丈夫だよと心の中で声を掛けると、私はドキドキした気持ちのまま鍵盤の位置を確かめた。


 寮内にはピアノはなく、オーストラリアを旅立って日本に来てからは演奏もしていなければピアノに触れてもいない。

 どれだけのブランクがあるのか想定するのは難しい。

 

 私はそうしたことも考えて選曲を決め、曲のリズムを思い出す。


 目が見えなくてもプロの演奏家をしている立派な人もいるが、決して簡単なことではない。

 類まれなる才能と不屈な信念を持って取り組む努力が必要になる。


 目が見えないからこそ、不自由なことがあるからこそ、一つのことに集中できるという特性もあるが、それは意志の強い気持ちの整理が出来ている人にのみ成し遂げられる境地だ。


 私程度の練習量では到達できる場所ではない。

 何か一つに集中して身を犠牲に努力し続けている人とは根本的に異なるのだ。


 息を整え、視線を感じてはいたが、ほとんど話し声も聞こえない中、軽快なリズムで演奏を開始するのだった。

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