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最終章後編「明日への誓い」5

 フェロッソと過ごした日々が終わり、絵本製作が一段落ついて、往人さんと二人三脚で歩んでいく日々がしばらく続いた。


 そして、春風が吹く頃、往人さんから連れて行きたい場所があるんだと告げられた私は電車を乗り継ぎ、のどかな自然の空気が漂う駅前に辿り着いた。


「ここからバスに乗るから」と往人さんは私の手を握り言った。

 四月から四回生になったばかりの私は白杖を手に少しずつ一人で通学するのに慣れてきた頃だった。


「バス? それで一体どこに行くの?」


 コートを脱ぎ、春用カーディガンを着た私は往人さんに聞いた。

 もう、ここまで来たなら教えてくれてもいいだろうと思った。


「あぁ…この先に盲導犬協会の訓練施設があるんだよ。あの日、フェロッソを動物病院まで連れて行ってくれた女性がいただろ? その人から連絡があってこっそり教えてくれたんだ」

 

「えっ? 志保さんが? フェロッソがそこにいるの?」


 思わぬ言葉に私は驚いて聞き返す。

 あの志保さんと往人さんが交流を続けていたのも驚きだが、フェロッソについての情報を届けてくれたのも考えもしない凄いことだった。


「うん、もう新しいパートナーとの共同訓練期間に入ってるってさ。

 たぶん、今の機会を逃したら一生会えないかもしれないって思って。

 それで今日は行く事にしたんだよ」


「そうだったんだ……私一人だったら会いに行く勇気は出なかったなぁ…。

 声を掛けると協会の人にもフェロッソにも迷惑になっちゃうから、私は遠くから見てるよ。

 だから往人さん、フェロッソが元気にしてる姿を見つけたら教えてね」


「分かったよ。きっとフェロッソは頑張ってるだろうから、影ながら応援してあげようぜ」


「うん、そうしよう往人さん」


 往人さんの明るい声に釣られて私も自然とフェロッソの様子を見に行くことを受け入れた。


 フェロッソとはオーストラリアで出会い、暮らし始めてから五年以上パートナーとして共に切磋琢磨して苦難を乗り越えてきた同志だ。

 そのフェロッソがリハビリ期間を乗り越えて新しいパートナーと次のステップに進もうとしているのだから、これが嬉しくないわけがない、応援してあげたいと思う。


 だって、私も往人さんと手を繋ぎ、もう二人で歩きだしているんだから。

 フェロッソにも残りの人生を逞しくて生きて欲しいと願った。

 


 やがてバスがやって来て私は往人さんに誘導されながら足を上げてバスに乗車した。

 

 今日は往人さんと訓練の様子を見学するだけだからと決めてバスが目的地に到着するのを待つ。


 見えない私のために往人さんが林道を走っていることを教えてくれる。

 この先にはゴルフ場もあるようで、本当に住宅街と比べればコンビニもスーパーもなく、ずっと自然の風景が広がっているようだ。



 ここまでやって来て改めて考える。私は代替えの盲導犬を希望することを遠慮した人間だ。


 本当は哀しい気持ちになってしまうから盲導犬自体とも距離を取ろうと考えていた。

 だから、今日フェロッソが元気でいるのを確かめられたらこれっきりにしようと思う。


 もう私には往人さんというかけがえないパートナーがいるから。


 それ以上を望むのは、たとえ全盲の視覚障がい者であっても贅沢なことだ。


 日本では盲導犬を希望しても利用開始までに一年程度かかる。

 盲導犬の育成が進んでいるイギリスでは三か月ほどであることから日本は遅れているのだ。

 それに、盲導犬を利用する利用者負担はないのに対して、一頭育成するのに五百万~八百万円の費用がかかっていると言われている。

 このことを考えると限られた盲導犬達を譲り合って利用することが重要であると私は考えた。 


 それに、フェロッソを傷つけてしまった私が再び盲導犬をパートナーにすることは荷の重い選択だと思っている。


「ねぇ……往人さん、ありがとう」

「どうしたんだよ?」


 私はどうしても感謝の言葉を伝えたくて往人さんに言った。

 往人さんは不思議そうに、少し手を強く握った。

 私はその手を同じ力で握り返して、理由を口にした。


「だって、フェロッソのことを考えてくれたから。

 私……大怪我を負わせてしまったことをずっと後悔してて。

 もう関わらないようにして、忘れてしまおうって思ってた。

 でもそんなのよくないよね。いっぱい感謝してるのに、忘れようとするなんて良くないよね」


 正直な気持ちを口にするのは辛いことだけど、もう現実から目を逸らすのをやめなければと私は思った。


「郁恵は無理しなくていいんだって。

 思い出は俺よりもずっと郁恵の方が沢山あるんだから。

 前を向いていこうぜ」


 往人さんはどこまでも優しい言葉を掛けてくれる。

 私はもう、泣き出してしまいそうだった。


 バスが訓練施設のある盲導犬協会の事務所まで辿り着いた。

 私と往人さんは十人ほど集まった見学者に混じって職員からの説明を聞き、訓練を見学させてもらうことになった。


 往人さんの隣に立って説明を聞きながら訓練している様子を見学していると、唐突に盲導犬の手綱を握っていた女性が大きな悲鳴のような声を上げた。



 ”あっ! 引っ張られちゃう! 一体どうしたの?”



 私には見えないが、盲導犬がリードを無理矢理引っ張ってパートナーの言うことを聞いてくれないらしい。

 何かしらのハプニングが起きたのだと察して身構える。


 すると私の足元までやって来て、顔をスリスリさせて寂しそうに声を上げて甘える盲導犬。


 その懐かしいくらいに愛くるしい愛情表現だけでそれがフェロッソであると私にはすぐに分かってしまった。

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