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最終章後編「明日への誓い」3

 往人さんの手を借りて、喫茶さきがけに到着すると早速華鈴さんから退院祝いの歓迎を受けた。

 花束を手に抱擁を受ける私。ほのかに甘い香水の香りと柔らかな胸の感触が私を包み込んでいく。

 無事に退院をしたものの、今後往人さんがいない時は一人で歩かなければならない不安ばかリを道中で考えていた私は華鈴さんの優しさに触れて気持ちを楽にさせた。


「やっと退院できたのね……もう、本当に心配していたのよ」

「すっかり新年を迎えてしまいました……心配して頂きありがとうございます」


 店内に入ると漂ってくる久々に嗅ぐ芳醇なコーヒーの香り。

 私が安心できる場所の一つになっている喫茶さきがけで待ってくれていた華鈴さんに感謝を伝えた。


「華鈴さん、やっと退院できましたので、今後ともよろしくお願いします」

「もちろんよ、私だけじゃなく、ここのグランドピアノもあなたを待っているのだから」


 花束を受け取り、いつものテーブル席に着く。

 私のことを歓迎してくれる居場所があること、それは本当に大切にしなければならないことだった。


 クラシック音楽が流れる店内で私は往人さんに自分が食べたいものを伝えた。快く私の注文を書き留めて厨房に入って行く往人さん。

 メインの料理以外は往人さんのアイディアにお任せしたので、それも一つの楽しみだ。


 しばらく華鈴さんと談笑して過ごしていると、嗅覚をくすぐるじっくり煮込んだ豊かな自然の香りとミルキーなクリームの香りが漂ってきた。

 そして、私の前に置かれたクリームシチューのお皿。

 湯気を漂わせるその一皿は、私が待ち望んできた料理だった。


「お待ちどうさん。メインは郁恵の要望通りクリームシチューにしたぜ。

 後は郁恵の好きなタマゴサンド、それとかぼちゃとサワークラウトのサラダだ。病院食を食べてた郁恵にいきなり味の濃いものは食べさせられねぇからこれくらいのバランスで仕上げてみたぜ」


 堂々と目の前に並べられた料理達。

 往人さんの紹介を聞きながら、既に食欲中枢を刺激してスプーンとフォークを手に前のめりになっている私がいた。


「ありがとう往人さん…!! それでは、野菜農家、畜産農家の皆様に感謝して頂きます!」

「おう、いっぱい食べて元気出して行けよ」


 朝食を食べてから何も食べていない私はクリームシチューから口の中に入れて、往人さんの作ってくれた大好きな料理を堪能した。


「美味しい……やっぱり往人さんの作るクリームシチューが私は一番好きだなぁ……」


 一口ごとに広がっていく圧倒的な満足感。

 味気ない薄味の病院食を一週間以上、食べ続けてきた私はほっぺたが落ちそうなほど、寒い季節に嬉しいまろやかでとろりとした野菜の甘みたっぷりのクリームシチューを口いっぱいに味わった。


「あらまぁ、幸せな顔をして……往人君にメロメロって感じね」


 ウェイターをしているはずの華鈴さんだが、横で私と往人さんの様子を観察しているのか少々誤解を与えるようなコメントを寄せてくれる。


「今回のは鶏肉を止めて、ベーコンとほうれん草にしてみた。

 この組み合わせもシチューに合ってて美味いんだよな」


「本当だね、冬の寒い季節にはちょうどいいよ! あぁ…本当に嬉しいよぉ…」


 自然と瞳から温かい涙が零れていく。

 それは本当に心に染み行く感動的な味わいだった。


「泣くほどのことかよ……嬉しいけどよ」

「だって、泣きたいわけじゃないのに、勝手に流れ落ちちゃうんだよぉ……」


 嬉し涙が止まらなくなってしまう私。

 さらに頭を撫でてくれる往人さんの優しさが私の傷ついた心を洗い流していくようだった。


 定番の人参やじゃがいも、玉ねぎなどの野菜に加えてしっかりとした歯応えのあるベーコンとシチューの味わいが染み込んだほうれん草が蕩けるように口の中を楽しませる。


 グルメレポートが出来る程、語彙力のない私だけど、空腹になっていた胃袋が美味しい料理で満たされていく感覚は何とも魅惑的だった。


「このタマゴサンドもこのシャキシャキ触感の残ったサワークラウトとかぼちゃの入ったサラダも美味しいよ……」


「マヨネーズに蜂蜜を加えて混ぜ込んだゆで卵をオーブントースターで焼いたパンにたっぷり詰めて、キュウリを挟んだだけだが、これもシチューに合うんだよな……。

 サラダはかぼちゃの甘みを活かしつつ、歯応えを残したサワークラウトと混ぜ合わせて作ったから、塩分を加えなくても十分美味しいんだよ」


 ドイツでは冬の保存食として重宝されるザワークラウト。

 キャベツに塩を入れて揉み込み、乳酸発酵させて作るものだが、日本ではキャベツの酢漬けとしても親しまれていて、料理にも使われている。


 次々と流れて来る涙を拭きながら、物足りない病院生活を発散するように往人さんの料理の虜になって行く私。もはや喫茶さきがけで振舞ってくれる往人さんの料理は懐かしさもありつつ、新しい発見も与えてくれるかけがえのないものになっていた。


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