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第十七章「Dear Mermaid」3

 振り返れば郁恵との出会いは奇跡のようなものだった。

 四年前に母を突然亡くし、色のないスカイグレーの世界に染まってしまった俺にとって、もはや母が生前残してくれた絵画が多く飾られている母のアトリエだけが俺の拠り所だった。

 

 母と過ごした余韻がいつまでも残留し続ける俺の居場所。

 作品が四方に飾られているこの場所だけが俺にとって色彩を纏った世界の全てだった。


 やがて俺は父親が再婚してしまったことを契機に、そこで立ち止まっているわけにも行かず、師匠のアトリエに入り浸るようになった。


 母との繋がりを絶やさぬために、師匠の下で俺は絵を描き続けた。


 そして、二年近く前のあの日、運命の出会いを果たした。


 公園で佇むまだ幼さの残る制服姿の少女。落ち着きなくアタッシュケースに入った札束を手に動揺しているその少女は、母の面影を宿すように輝きを放ち、色彩を帯びていた。


 肌が露出している部分のみに過ぎないが、それでも俺は母の言葉を思い出し、運命を感じざるおえなかった。

 

 明らかに困った様子をしているその少女を見つめていると、次第に罪悪感が昇って来てしまった俺は手を差し伸べた。関わってしまうことへの躊躇いはあったが結果的に出会いを求めてしまったのだ。


 相手が全盲の視覚障がいを持った少女であると分かっても、綺麗なその顔立ちを直視することは出来ず、胸の高鳴りをグッと堪えて平静を装うのがやっとだった。

 

 まだ冬の寒い季節にそんな鮮烈な出会いを経験して、再会の時を迎えたのは春から夏へと季節が移り変わる、梅雨を迎えた頃のことだった。


 俺は学生時代からずっと長く美桜親子が経営する喫茶さきがけで調理担当をしていた。

 そこに偶然やって来たのが前田郁恵、公園で困っているところを助けたまだ大学生になったばかりの女性だった。

 時々、何食わぬ顔でふらっと店に立ち寄って行く実力十分のピアニスト、四方晶子の演奏に惹かれてやってきた郁恵はときめいた表情でまるで目が見えているかのようにピアノがある方向に眼差しを向けていた。


 ピアノの演奏が続けられ、仕事をしながら気になって堪らない自分がいた。

 もう一度、この目に心惹かれるその姿を目の当たりに出来た幸運。

 嬉しくないわけがなかった。惹かれないわけがなかった。


 そして、俺は本人にこの喜びを告げることの出来ぬまま、あの再会の日を迎えた。



 ――()()()()()()()()()()()()? ()()()()()()()()()()()()()()()()



 華鈴さんの決心を促す言葉が俺の耳を襲う。

 心配の声を掛けられながらも、郁恵は自分の意志で決めて学園祭の打ち上げパーティー会場へと向かってしまった。それが郁恵にとってどれだけ危険な場所であるか、判断できない俺ではなかった。

 

「だが……俺なんかが行っても騒ぎが大きくなるだけかもしれない。

 あの子の気持ちを踏みにじるかもしれない」


 華鈴さんは明るく前向きで勇気はありながらも、危険を顧みない無垢な少女として郁恵のことを見ていた。だから、俺に声を掛ける程、心配に思っているのは間違いないことだろう。


「深愛さんの面影があるあの子を追い掛けるのは辛いことかもしれない。

 でも、後悔することになった後では遅いのよ。

 今できる最善の行動をしてこそ、前に進んでいける。

 迷っている時こそ、前に進まないとダメよ、往人君」


 いつも以上に真剣な華鈴さんの眼差しが迷っている俺に突き刺さる。

 その視線をずっと浴び続けられるほど、俺は我慢強い人間ではなかった。


「分かりましたよ、連れて帰ってきます」


 エプロンを脱ぎ、華鈴さんに手渡して覚悟を決めた。


「良かったわ……往人君ならあの子が何を求めているのか感じることが出来るはずよ」


 それは、特性は違えど同じ視覚障がいを持つ者同士という意味を込めていたのかもしれない。


 後のことなんて分からない、ただ俺はあの子の悲しむ顔を見たくないと思った。


 本来はまだ後片付けが残っていたが休憩室に戻り、遮光眼鏡を着けて帽子を被ると俺は郁恵の待つ打ち上げパーティー会場を目指して退勤した。

 これは仕事よりも大切な事だと送り出してくれた華鈴さんや郁恵の無事を願う友人たちがすがるような思いで俺を見送る。



「頑張りなさい……応援しているわよ、往人君。

 これがもしも運命づけられた運命(さだめ)であるならば、あなたはそういう星の下に生まれてきたのよ」


 

 俺が頑丈な店の扉を開き、鐘の音と共に喫茶さきがけを後にする背後で、華鈴さんはそんな言葉を掛けていた。

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