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第十六章「ホワイトテレパス」5

「勢いで出てきてしまいましたが……未だ死を受け入れられないほどに、悲しい出来事だったということですよね……」


 ざわついた感情のまま、冷たい空気に包まれる。

 馬鹿らしい話だと否定したいのに、私は私のことが分からなくなりそうだった。

 時々、自分の中に真美がいると感じてしまうことがあったが、それが本当は深愛さんだったのではないかと憶測が立ち、心がざわついているからだ。


「……寂しいから余計なことを考えちゃうんだ。往人さんがもうすぐ帰って来るから、あと少しだけ辛抱して喫茶さきがけに行こう」


 海人さんを家に入れた目的を見失ってはいけない。

 私は慣れ親しんだ道を歩いて、喫茶さきがけに戻った。


「お邪魔します、もうお片付け中ですか?」


 息を切らしていた私は一度呼吸を整えて店内に入った。

 店内BGMが消えていて、人の気配もまばらなことを私は感じ取った。

 いつもこの時間はCLOSEになっているけれど、今日は特別な催いがあったので念の為に確認をした。


「あら、さっきお客さんに帰ってもらって閉めたところよ。郁恵さんは一人かしら?」

「はい、往人さんの帰りを待っている途中にケーキを持って帰るのを忘れていることに気付きまして……取りに来ました」

「そうなの、寒かったでしょ? 少しゆっくりして行く? まだコーヒーくらいは出せるわよ」

「いいえ……あまり遅くなる前に帰るようにって往人さんからいつも言われていますので。今日は家で往人さんの帰りを待とうと思います」

「そう……まだ地面が濡れているから気を付けてね。

 あの子ったら、本当に帰るのが遅いんだから」


 私を気遣う華鈴さんの言葉が耳に刺さる。

 往人さんになかなか会えない寂しさを押し殺す私の表情は華鈴さんにはすぐに分かってしまうのだ。

 今年のクリスマスは一段と冷える。

 華鈴さんのお誘いは嬉しいが、海人さんを家に入れていることを思うと、ここで長居するわけにはいかなかった。


 ずっしりとした重みを感じるホールケーキの入ったビニール袋を手に、私は名残惜しく喫茶さきがけを後にした。


 再び寒空の下を歩いているとスマホのバイブレーションが震え出す。

 足を止めてスマホを確認すると、往人さんから「さっき空港に到着した」と連絡が入っていることが分かった。


 ”もうすぐ会える”


 待ちに待った報告に足取りが軽くなり、ただ会いたい一心で私は家までの道のりを胸を躍らせながら歩いた。


「フェロッソ……今日は往人さんのことを独り占めしちゃうかもしれないけど、往人さんのせいだから、許してね」


 海人さんを入れて三人で過ごした後は二人きりで誕生日を祝う。

 そのことを思うと、この湧き立つ衝動はきっと抑えられない。

 抱き締め合えばひとたび私の心は往人さんに支配されてしまう。

 その予感を既に私は確信していた。


 商店街を抜けた先にある信号のない交差点。


 通学路にもなっている通りを抜けようと、黄色い点字ブロックから交差点に足を踏み出した次の瞬間、私は心臓を鷲掴みされるような恐怖を覚えた。


 激しく迫る自動車のエンジン音。


 歩みを止める間のないまま私は誘導を続けてくれるフェロッソのリードをギュッと強く掴んだ。



「――フェロッソ!! 危ないっっ!!!!」



 耳障りなエンジン音で反射的に危険が迫るのを感じていた。


 飲酒運転か脇見運転か分からないが、きっと私達の事が見えていない。


 ブレーキを踏みことなく、真っすぐに迫って来るのを感じた私は叫んでいた。


 鈍い物々しい衝突音と共に、強く握っていたリードが強引に引っ張られ、私の手を離れていく。


 反動で冷たい地面に尻餅をついてしまう。

 そのまま自動車が走り去った瞬間、私はフェロッソの心の悲鳴を聞いた。



「どこにいるの?! フェロッソ!! 返事をして!!」



 息遣いも、気配も消えてしまったフェロッソの身体を必死に手探りで捜すがなかなか見つけられない。


 交差点の真ん中で泣き出しそうになる情けない自分。

 重い焦燥感を背負い込んだ私はフェロッソの無事を願い手を伸ばした。


 そして、フェロッソの柔らかい体毛の生えた大きな身体に手が触れた瞬間、私の涙腺は決壊した。



「フェロッソっ!! 起きてよ……やだよ、声を聞かせてよっ!!」



 無事を確かめようと手袋を外し、寝転んだまま動作の止まっているフェロッソの身体を揺らすが、ねっとりとした鉄臭い液体が私の手にべったりとこびり付いた。


 まだ体温は残っているけれど、どうしていいか分からず混乱する私は泣きじゃくって座り込んだまま立てなくなった。



「フェロッソ……一緒に帰ろうよ……。こんな寒いところで寝てたら身体壊しちゃうよ……」



 人通りのない道路に横たわったまま立ち上がる様子のないフェロッソを懸命に揺すり、恐怖で身体を震わせる私。

 心も身体も冷たくなっていく中、慌てた女性の声が響いた。


「どうしたの?! 大丈夫…?!」


 きっとこの場は白い雪に真っ赤な血が入り混じった残酷な光景なのだろう。

 それに私は座り込んで涙が止まらなくなってしまっている。

 心配するのも当然だ。女性の反応から、私はそのことを察した。


「あなたは……郁恵さんよね? 私は河内静江の姉、河内志保(かわちしほ)よ」


「静江さんのお姉さん……?」


 確かに声色が似ている、大人の女性の包容感のある優しさが声からも滲み出ている。殆ど会ったことはなかったが、記憶を掘り返すと確かに面識があったことを思い出した。


「ええそうよ、まだ意識があるのは分かるでしょ? 猶予がないわ。動物病院に通報するわよ!」


 スマートフォンを手に取り、通話を始める静江さんの姉を名乗った女性。

 頼りある雰囲気で相手側とコンタクトを取ると、何とか両足に力を入れて立ち上がった私の手を掴んだ。


「すぐそばに車を停めているの。動物病院まで急ぎましょう」


「フェロッソは助かるんですか……?」


「派手にぶつけられたみたいだから重症よ、生死は一分一秒を争うわ。

 パートナーの命を繋ぎ留めたいなら、泣き言を言ってる場合じゃないわよ」


 志保さんから受けた指示通り、私はフェロッソの下半身を掴み、上半身を掴んで持ち上げてくれた志保さんと一緒に近くに停車していた車の後部座席にフェロッソの大きな身体を横たわらせた。

 

 こちらから頼んだわけでもなく、真剣になって手際よくフェロッソを助けてくれる志保さん。

 冷静に考える余裕のない私は、放心状態になりかけながら、志保さんに言われるままに車に乗車した。


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