風呂掃除
我が家のルールとして、風呂は最後に入った人が洗わなければならないというものがある。仕事が長引いて、精神がすり切られた日にこのルールは堪える。家族は早寝なので、定時で上がらねばどう足掻いても掃除することになってしまう。早いところ革命を起こさなければ。
『風呂掃除革命。良いですね。歴史の教科書に載りそうですね』
ネーミングセンス皆無だが、歴史の教科書に載るのなら漢字まみれの方が雰囲気に溶け込める気がする。
プランナーの声を聞きながら、栓を抜いた風呂から上がり、タオルで体を拭き始めた。拭きながら「あ......」と声を漏らす。
最悪だ。車に忘れ物をしてきた。
『何を忘れましたか』
スマホの充電器。あれ一つしか無いから、家で充電するためには持ってこなければならない。
行動を起こしたくない。理由は二つ。疲れているから。もう一つ、風呂に入ってせっかく綺麗にしたこの足を、もう一度外靴に入れるのが嫌だから。
靴下を履くなんて面倒なこと、したくない。そもそも、あの洗濯の山から靴下なんか見つかるものか。真夜中に面倒な宝探しはごめんである。
『では、スリッパで外に出てしまいましょうよ』
今なんて。
『スリッパで、です。そしたら靴下なんて履く必要ないじゃないですか。真夜中ですよ。何しても許される時間なんですよ。スリッパで庭の土踏みしめたって怒る人居ませんから。寝室でいびきかいてぐっすりでしょ』
......家族は全員眠っている。
この前、家に入ってきた虫を逃がすためにスリッパで外に出た。土ではなく、石の階段になっているポーチまで出た。それだけで母親が大激怒である。そんな母親は今ぐっすりだ。料理人の朝は早いのである。
『スリッパで外に出る。良いじゃないですか。そのスリッパで家の中にまた戻る。ちょっと廊下が土まみれですが、大丈夫。夜中に泥棒でも来たんだろう、って思われるだけです』
大問題である。
この作戦は止めだ。明日休みだし、スマホの電源くらい減ったって痛くも痒くもない。そう思うことにした。
『最高の作戦だと思ったのに』
次の日の母の大目玉を喰らうのが目に見えているのだ。
『あなたのお母様怖いですからね。土が付きにくいスリッパをネットで探しておきましょう』
それが良い。果たしてあるのか。
そうこうしているうちに風呂のお湯がほとんど無くなった。足の甲まで浸かるくらいになっている。パジャマのズボンの裾を膝上まで捲って、袖も肘まで捲った。
浴室の壁にかけてあるスポンジを使って掃除をするのだが、水を吸って重くなっている。手で水気を切りながら、久々に使ってやるか、と掃除用の洗剤を手に取った。
『おや、今日は洗剤をつけるのですね。最近、何もつけずに洗っていましたもんね』
よく見てるなあ、と思いながらスポンジに洗剤を吹きかけた。
最近残業が多くて、この風呂掃除が全て自分の役なのだ。おそらく、過去最高の四日連続。洗剤をいちいちつけて洗うのは面倒なので、スポンジで擦るだけに留めていたのだ。これだけでも案外汚れは落ちる。
今日はプランナーも居るし、少しくらい頑張ってやる。
『嬉しいこと言いますね。でも今のあなた、まるで継母や義理姉に命令されて掃除をしているシンデレラのようですよ』
風呂の底を擦っているとそんなことを言われた。なるほど、傍から見たらそう見えそうだ。
『ストーリー上、最後に幸せになる人ですね。最高ですね』
たしかに最高だ。人生のどん底から這い上がって、周りを見るのはどんなに爽快だろう。
『まあ、そう上手く行ったら苦労はしません』
ごもっとも。灰被りだからこそ、シンデレラは美しい。
『さ、風呂掃除もその辺に。次の楽しみ行きましょう』