食いしん坊のサンタクロース
第一章 『訪問者』
《ピンポーン》
「はい。どちらさまでしょう」
「こんばんは。サンタクロースです」
「あら、サンタクロースさん。本当に来てくださったのね。さあさあ上がってくださいな」
「ありがとうございます。失礼します」
「みんな、サンタクロースさんがいらしたわよ」
母親は、奥で遊んでいる様子の二人の子どもたちを呼んだ。
「あれ以来お顔を拝見していなかったので、少し心配になり寄らせていただきました」
「あれ以来? 心配? ってどういうことかしら? まあ今日はクリスマスですから、細かいことは抜きにしましょうよ。さあさあ、あちらへお座りください。お食事がちょうど出来上がる頃合いだったのよ。良かったわ」
笑顔を浮かべながら、サンタクロースは食卓へついた。
母親が料理に腕をふるっている間、サンタクロースがその姿をまじまじと眺めていたところ、とうとつに母親が玄関へ駆け足で向かった。
「あなたお帰りなさい。ちょうどサンタクロースさんがいらしてくれたところよ。食卓の方にいるわ」
父親のご帰宅のようだ。
食卓には美味しそうなごちそうが五人分、次々と並べられる。
「さあさあ、お食事の準備ができましたよ。みんなでいただきましょう」
「ありがとうございます。いただきます」
「このチキ、とってもおいしいでしょう。あ、そうそうシチューも作ったのよ。サンタクロースさんも遠慮なさらずに食べてくださいね。食後にはケーキもありますから。甘いもの大丈夫でしたよね」
「ありがとうございます。甘いものも大好きです。遠慮なくいただきます」
サンタクロースは次から次へと食事を胃袋の中におさめていった。
「あら、今日もみんな食が細いのね。サンタクロースさんはこんなに食べてくださるのに。それにえらく静かじゃないの。せっかくのクリスマスパーティなんだから、もっと食べれば良いのに。サンタクロースさん、わざわざいらしてくれたのに、なんだかすみませんねぇ」
「いえいえ、お気遣いなく。私は私で楽しんでいますから」
奥様は小声で「この人たちが残しちゃったら、その分も食べてもらって構いませんからね」と、耳元で囁いた。
「サンタクロースさんは、いい食べっぷりをなさるわねぇ。作りがいがあるってものよ」
「食いしん坊ですみません」
サンタクロースは、むしゃむしゃとごちそうを頬張っている。ほんの小一時間でサンタクロースのお皿は空っぽになった。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
「喜んでくださって嬉しいわ」
「では、そろそろ」
そういいながら、サンタクロースは大きな白い袋に手をつっこみ、ある一冊の本を取り出した。
「今日はこれを読ませていただきますね」
その本を、おもむろに声に出して読み始めた。
第二章『クリスマスイブの予定』
「あなた、明日はクリスマスイブよ。土曜だし、会社はお休みなんでしょう?」
「ああ、そうだよ。久しぶりに家族でどこかに出かけるとしようか」
「そうね。子どもたちもきっと喜ぶわ」
「先日できた大きなテーマパークなんかいいんじゃないかな」
「でも、オープンしたばかりですし、大行列じゃないかしら」
「それもそうだな。それなら、水族館なんてどうかな。子どもたちもイルカショウを見たがってただろう。屋内だから寒くないし、あそこなら水族館以外にもショッピングモールやレストラン街もある。ゲームセンターや、ちょっとしたアトラクションの楽しめるアミューズメントスポットみたいなものとか、たくさん入っているから、一日楽しく過ごせそうだ」
「そうですね。では、明日はそうしましょう。子どもたちには、そう伝えておきますね」
「分かった。では、仕事へ行ってくるよ」
「気をつけてくださいね。行ってらっしゃい」
父親を会社へ送り出してから、今度は子どもたちを起こし、せわしなく朝食を食べさせ、学校へ向かわせた。
「ふう、これでやっと一人の時間ね。洗濯機を回して、食器も洗って、お布団を下げて、お掃除して……と。一気に片付けちゃわないと」
一人になった母親は、いつものようにテキパキと家事をこなす。概ね終わった頃にはもうお昼のテレビ番組が始まる頃合いだった。
「お昼は昨日の残り物があったわね。食べたら夕食の買い出しに行かないと」
何気ない一家の日常であり、いつもの主婦の一日である。
「ただいまー!」
夕方になると、ドタバタと大きな足音を立てながら、兄弟たちが揃って元気に家に飛び込んで来る。年の近い男の兄弟というのは、何かにつけて騒がしいものだ。
「あなたたち、廊下は走っちゃダメっていつも言ってるでしょう。走るのはお外だけにしなさい」
「はあい」
返事はするものの改善する気などさらさらない生返事だということも母親は知っていた。
「そうそう、明日はパパお休みだから水族館に行くわよ。イルカショウもやってるし、ラッコさんもいるのよ」
「え、本当!? やったあ。シロナガスクジラもいる?」
「バカねえ、シロナガスクジラがいる水族館なんて世界中どこを探してもないわよ。大きなのだと三十メートルもある地球上で一番大きな動物なんだから」
「お魚じゃないの?」
「クジラはお魚じゃなくて、私たちとおなじ哺乳類なのよ。だから、お魚みたいにエラじゃなくて肺で呼吸するし、赤ちゃんにも海の中でおっぱいをあげて育ててるのよ。不思議なものね」
「海の中でどうやって息してるの? クジラが出来るなら俺にも出来るのかな? 今日お風呂でやってみる!」
「バカなことはやめなさいな。溺れて死んでしまうわよ。クジラは特別なの」
「ふうん」
第三章『クジラごっこ』
「あなたたち、そろそろパパ帰って来るから、それまでにお風呂すませちゃいなさい」
「はあい」
《ザブン》
二人が同時に湯船に入ると、浴槽からどっとお湯がこぼれ出た。
「おい、クジラごっこしようぜ」
「兄ちゃん、クジラごっこってなんだ」
「さっきママが言ってただろう。クジラは人間と同じ哺乳類で、肺で息してるんだって」
「海の中にいるのに、どうやって?」
「分かんない」
「じゃあ出来ないじゃん」
「とりあえずもぐるぞ。時間数えといてくれ。せーのっ」
《ブクブクブク……》
ひとりもぐる兄を、弟は覗き込むように見守っていた。
《ブクブクブクブク…ブ……》
「ぶはあ! 死ぬかと思った」
ケラケラと指を指して笑う弟。
「だから無理じゃん。一分も経ってなかったよ」
「くそお、もう一回だ!」
兄は、なんどもなんどもお風呂にもぐったが、努力の甲斐も虚しく時間が飛躍的に伸びることはなかった。
「くそお。クジラはどうやってるんだろうな」
「海の中でずるしてるんじゃねー?」
兄のクジラごっこという名の潜水実験に飽きてきた弟は、そう言うとそそくさと脱衣所へ向かった。
《ガチャ》
「ただいまぁ」
「あら、あなたお帰りなさい」
「パパお帰りー!」
「ただいま。ああ、疲れた。先にお風呂入ってくるよ」
「パパー! パパはクジラ出来る? クジラ」
「なんだそれは?」
「えーっとね、お風呂にもぐって息するの」
「ははは。出来るわけないじゃないか。クジラだって海の中では息はしていないんだぞ」
「え、そうなの?」
キョトンとする子どもたち。
「クジラは大昔は地上で暮らしていたと言われているんだけど、いつの間にか海に生活の場所を移して、段々とお魚みたいな形に変わっていったんだ。だけど、人間と同じように肺で空気を吸わないと生きていけない」
「でも、海の中に住んでいるんでしょう?」
「そうだよ。でも、ホエールウォッチングって知ってるかな。ときどき海面に浮き上がってくるんだ。潮を吹いている写真や動画を見たことがあるだろう」
「うんうん」
「クジラはあのタイミングで呼吸をしているんだ。そして、また海にもぐっていくんだけど、人間と違うのは、とっても長い時間、息を止めていられるところだ。だから、海の中では、やせ我慢でもしているってところかな。我慢できなくなったら、また海面まで来て息継ぎして、またもぐっての繰り返しで生きているんだよ」
「へー! なんだか不思議だね」
「そうだな、不思議だね。でも、クジラから見たら、パパたちの生活のほうがもっと不思議に見えてるかもしれないぞ。じゃあ、すぐお風呂入ってくるから、その後ご飯にしよう」
「はーい!」
第四章『食卓での会話』
「今日の食事は豪華だなあ。クリスマスイブは明日だぞ」
「明日は水族館のあと、レストランにでも行きましょうよ。せっかく外出するんですし」
「まあ、そうだな。じゃあ我が家のクリスマスパーティは今日ということで」
「実は、一日早いけどケーキも用意してあるんですよ」
「おお、本当かあ。良かったな、子どもたち」
「わーい」
「さっきクジラの話しをしてたでしょう。この子、シロナガスクジラが水族館にいると思ってたみたいなのよ」
「あんな大きな動物を陸地にまで連れてこれっこないじゃないか」
「水族館だから、なんでも見れると思ったんだもん」
兄は、ぷいっと頬を膨らませ、それを見た弟はケタケタと指を差しながら笑っていた。
「パパ、兄ちゃんね、さっきクジラごっこするって言って、なんどもなんどもお風呂にもぐってたんだよ」
「なんどもやってると、ちょっとずつ肺活量が大きくなって少しはクジラに近づけるかもしれないけど、あんまり無理して家の風呂で溺れるなんてことはやめてくれよ」
「分かってるってば。ってか、もうやらない!」
第五章『イルカからのプレゼント』
翌朝。
「さあ、みんなそろそろ出かけるぞ。車に乗りなさい」
父親の号令で、家族はマイカーに乗り込み、水族館へと出発した。クリスマスイブなので、道は少し渋滞していたが、子どもたちが退屈で騒ぎ出す前にはなんとか到着できた。
「大人二枚、子ども二枚お願いします」
「はい、こちらがチケットで、こちらがパンフレットとなっております。次のイルカショウがあと二十分後なので、もしよろしければ、そちらからご覧ください」
「親切にありがとうございます。ということだ、みんな、イルカショウから見に行こう」
「うんー!」
母親は、少し後から、はしゃぐ二人の子どもと父親の姿をにこやかに見つめながら、のんびりとついていった。
「そういえば昨日クジラの話をしたけどイルカも同じなんだぞ」
「ええ!? そうなんだ」
「クジラよりも身体が小さいからかな? 詳しくは知らないのだけど、イルカは海の中にもぐっていられる時間は五分から十分程度だそうだ。だからクジラよりもしょっちゅう海面に出てきて呼吸をしているんだ。頭のところに鼻があるから、人間みたいに顔をすっぽりと水面から上に出さなくても息が出来るんだよ」
「ふっしぎー!」
父親がそんな雑学を披露しているうちにイルカショウは始まった。
「次は三頭のイルカちゃんが連続でこの輪っかをジャンプしてくぐっていきまーす」
《ザッバーン》
拍手が鳴り響く。
「今度はプールの端っこのほうでイルカがジャンプするよー。プールの一番近くに座っているみんなは、水が飛んできますので注意してくださいね!」
イルカはぐんぐんとプールの端まで泳ぎ、大きなジャンプをするとともに、わざとらしく尾びれを水面に叩きつけた。
《バシャーン》
「わああ、濡れたー!」
「兄ちゃん、僕もびしょびしょだ」
最前列に陣取っていた家族めがけて、イルカからのプレゼントが届いた。
イルカショウは、トレーナーのお姉さんの軽妙な語り口と司会進行でどんどんと進んでいき、子どもたちも大興奮のまま幕を閉じた。
「みなさーん、いかがでしたか。またイルカちゃんたちに会いに来てくださいね。本日の次のプログラムは三時間後となります」
「パパー、イルカすごかったね!」
「そうだなー。見事にびしょびしょだ」
「僕もお水いっぱいかかったあ」
あらかじめ、前の方に座っていたお客さんたちにはカッパが用意されていたが、子どもたちだけはカッパを着るのを拒み、見事にびしょ濡れになっていた。
「だからカッパ着なさいっていったのよ」
「濡れたほうが気持ちいいじゃん! どうせ乾くし。なー!」
「うん、兄ちゃん!」
その後、水族館を一通り見て回り外へ出た。
ここは大きな商業施設なので、本当になんでも揃っている。
子どもたちを連れて歩き、ショッピングモールは一通り歩き尽くした家族は、休憩がてらフードコートでクレープを食べていた。
「そういえば、まだ色々と買い物しないといけないものがあるな」
「そうですね、あなた」
「おい、お前たち、小遣いやるから、そこのゲームコーナーで遊んで待っていなさい」
「ええーほんとお!? やったぁ!」
子どもたちに少しだけ小銭を握らせて、ちょっとしたゲームコーナーで遊ばせている間に、夫婦は施設内のほかの売場に買い物に向かった。
「すぐに戻ってくるから、遊び終わってもここで待ってるのよ」
「うん。分かったー」
第六章『ゲェムセンター』
「兄ちゃん何やる? 格闘ゲームで対戦する?」
「格闘ゲームなら家で出来るじゃん。どうせお前俺に勝てねえし。でも、ここ広いなぁ。何があるんだろ。見てまわろうぜ!」
「うん!」
兄弟は広いゲームセンターを、ぐるぐる、ぐるぐると駆けまわった。
ゲームセンターというのは、子ども心を惹きつける何かがあるようで、実際にゲームをしなくても、その空間にいるだけでも充分に楽しめたりもする。
時に知らないお兄さんのプレイを後ろから覗き込んだり、お金を入れないまま、ガンシューティングゲームの銃を手にし、バンバンと口に出しながら打ち合いっこをしてみたり。
お目当ての景品が入っているクレーンゲームを見つけ、ケースの横から覗き込みながら、どこで止めてどこで掴んでみたいなことを、二人で、ああでもないこうでもないと言いながら真剣に話した結果、これは取れないという結論にいたり、結局やらなかったりもした。
最終的に、二人は実際の車のように運転してプレイするレーシングゲームで対決することになった。
ハンドルは握ったが、まだ背がそれほど大きくない二人は、精一杯足を伸ばさなければアクセルとブレーキに足が届かなかったが、「勝負だぞ!」との兄の掛け声と共に、レース場に繰り出した。
一緒に走っているコンピュータの車体たちに散々追い抜かれ、ビリとビリから二番目を兄弟で分かち合う結果となった。
「この車、事故りすぎだよ!」
「兄ちゃん最初バックしてたし」
「うるせえ。お前だってずっと壁に激突してたじゃないか」
「壁に激突しても車壊れないから面白くなっちゃって」
「勝負なのにそんなことで面白がってたのか。ばっかだなぁ」
そんなことを言い合いながら、二人はキャッキャと笑っていた。
「まだお金残ってるけどどうしよっか。パパとママまだ戻ってきてないな」
「兄ちゃん、疲れたからジュースのみたい」
「わかった。あそこに自販機あるから、飲みながら待ってようぜ」
二人は余ったお金でオレンジジュースとサイダーを買い、ちょこんとベンチに腰を掛けた。
「兄ちゃん、またいつかここ来たいね」
「なんだ? いつでもこれるだろ。パパ休みの日なら」
「そうだけど、なんとなく。楽しかったし、ずっとこんな日が続くといいなって!」
「うん。そうだなあ」
第七章『晩餐』
「おーい。待たせたな。ゲームは楽しかったかい」
「うん! 兄ちゃんと車のゲームした。兄ちゃんね、いきなりバックしてさ!」
「こいつだって壁にずーっと激突し続けてたんだよ!」
「それで、どっちが勝ったんだい?」
「兄ちゃんが勝ったけど、兄ちゃんもドベから二番目だった!」
「勝ちは勝ちだもーんだ」
「ははは。二人仲良く揃ってドンケツか。車の運転ならパパに教わればすぐに上達するぞ。さて、そろそろお腹も減っているだろう。ご飯を食べに行こう」
家族は、エレベータに乗り、レストラン街のフロアへ向かった。
「あなた、あそこの洋食屋さんなんてどうかしら。少し並んでいるみたいだけど、それほどでもなさそうだし、クリスマスディナーもあるみたいですよ」
「そうだな、あそこにしよう」
普段は家で過ごすことの多い家族だったので、四人で外食をするのは久しぶりのことだ。父親の仕事が多忙を極めていたこともあるが、何よりも子どもたちが小さいとなかなか外へは出向きづらかった。
今もまだまだ小さいとはいえ、それほど手はかからなくなり、さきほどのように夫婦の買い物の間も、二人でちゃんと待っていられるようにもなっていた。これからは家族で過ごす外での時間が、もっと増えるのかもしれない。やはり外出先での家族の思い出は格別なものだ。
「クリスマスディナーコース二名分と、お子様クリスマスディナーコースを二名分お願いします」
「ドリンクは何になさいますか?」
「子どもたちはオレンジジュースでいいか?」
「僕さっきオレンジのんだから、りんごがいい」
「俺はサイダーで!」
「兄ちゃんサイダー好きだね」
「炭酸の味は俺みたいなオトナにしか分からないよ。早くオトナになれるといいな!」
「ばーか。兄ちゃんも子供じゃん」
「うっせぇ!」
夫婦は、その様子を微笑ましく見つめていた。
「君は何にする? 運転は僕がするから、今日ぐらい少しお酒でも飲んだらどうだい」
「あら、そう? じゃあ遠慮なく。私は赤ワイングラスでお願いします」
「じゃあ、それとノンアルコールビールで」
「かしこまりました」
注文を取り終えたウェイターは厨房へ戻っていった。
「しかし、こうやって家族四人で一日中外で過ごすのは久しぶりだな」
「そうですね。まだこの子たちが小さかったり、少し大きくなってからは、あなたの仕事も忙しかったりして、なかなかタイミングが合わなかったりもしましたけど、今日はとても良い気分転換になりましたね」
「そうだな。それにしても、さすがにこれだけ歩き回ると疲れるものだな」
「荷物も全部持ってもらっちゃったから、その分余計にですね」
「ははは。いつまで経ってもレディーファーストは忘れないよ」
和やかに進む時間。やがて続々と料理が運ばれてきた。
小洒落たカップに盛られたビシソワーズスープから始まり、小エビとキノコのサラダ、金粉がふりかけられたタイのカルパッチョに、メインディッシュの大きなチキンレッグ。彩り野菜とアグー豚のパスタに〆のデザートと、クリスマスディナーを家族四人で心ゆくまで堪能した。
「いやあ、ぜんぶ美味しかったな。食べたら少し眠くなってきたよ。早く帰って、靴下をまくら元において、サンタさんを待たないとな」
家では昨日クリスマスパーティをしたが、今日がクリスマスイブ。サンタクロースは、クリスマスの日の朝、くつしたにプレゼントを入れてくれる。
さきほど、夫婦は子どもたちをゲームセンターで遊ばせている間にクリスマスプレゼントを買いに行っていた。
母親が、あらかじめ気づかれないように子どもたちからそれぞれ聞き出した、サンタさんから貰いたいというクリスマスプレゼントを購入し、他の日用品などの買い物と一緒に大きな袋に詰め込みづみだ。今年もサンタさんとなり、まくら元へプレゼントを忍ばせる。子どもたちにとってはもちろん、父親にとっても母親にとっても、サンタクロースを信じて目をキラキラ輝かせながらプレゼントの包装をあける子どもたちの姿を見るのが、年に一度の何よりの楽しみである。
「お前たち、サンタさんにお願いごとはしたのか?」
「まだぁ。帰ってからするよ!」
「おいおい、サンタさんも急に言われても困っちゃうんじゃないか。随分前から願いを届けておかないと、欲しい物とは全然違うものがプレゼントされることだってあるんだぞ」
「間違ってたら返品ってできるの?」
「バカなことを言うんじゃない。サンタさんは良い子にしかプレゼントは持ってこないんだぞ。もらって嫌だから返品なんて言う子には、来年からはもう来なくなっちゃうぞ」
「やだやだやだ。なんでもいいです、サンタさまぁ」
第八章『目覚めた場所』
家族は車に乗り込み家路へとついた。
「しかし、今日はよく遊んだな。お腹もいっぱいだし、帰って早く寝ないとな。はあla
。少しあくびが出るよ」
父親がそんな言葉をかけた頃には、子どもたちは後ろの席で、もうスヤスヤと眠っていた。
母親も、少しだけだがワインを嗜んだせいか、やや目がうつろになりコクリコクリとしては、助手席では眠らないように気をはろうとしていた。それでも睡魔には勝てず、眠ってしまっていたようだった。
車は静かに、真っ暗な道路を進んでいった。
母親は目覚めた。
ベッドの上だった。あたりを見回すとどうにも見慣れない風景。病室のようだ。
驚いて自分を見ると、左足、左手に包帯がぐるぐるに巻いてある。少し動かすとズキズキと痛む。頭にも包帯が巻いてあり、眼帯のようなものをしているようで、片目はまっくらだ。何がなんだか分からず、誰かを呼ぼうと声をあげようとしたが、喉がカラカラで言葉が音となって出てこない。やむなく動く方の手でナースコールのボタンを探し出し、押した。
すぐに看護師の方と思しき人が現れた。
「目覚められましたか」
「まずは、お水を飲んでください」
差し出されたコップに口をつけ、ようやくかすかに声を発することが出来た。
「こちらは病院ですよね。私はどうなっているのですか。何があったのですか。家族は」
「奥様、少し落ち着いてくださいね。先生をお呼びしてきますので」
ほどなくして、お医者の先生がやってきた。
「お医者様ですか。何が起こったのですか」
神妙な面持ちで、しばらく口をへの字に曲げていたその医者は、静かに、そして冷静に言葉を発した。
「一昨日、クリスマスイブの夜のことです。あなた方ご家族は、自動車で交通事故にあってしまいました。警察の現場検証では、ブレーキ痕などが見つからないことから居眠り運転だろうということです。あなたは腕と足の骨折、それから頭も強く打っていらっしゃいますので、後ほど頭部の精密検査も行いますが、今確認出来ている範囲では命に別状はありません。安心してください。しばらく昏睡状態でしたが、ようやく目を覚ますことができたようですので、これから、リハビリなどをしていけば、普段どおりの生活に戻れると思います」
「あの、家族は。旦那と、子どもたちは……」
さらに伝えづらそうな表情をする医者を見て、母親は今にも泣き出さんばかりの表情になる。
「残念ですが、車がぺしゃんこになるような大事故で、あなた以外のご家族は、その場で死亡が確認されました。赤信号で停車中のトラックに後ろから猛スピードでぶつかり、その勢いで車が横転しながら反対車線に投げ出され、そこにさらに車が突っ込んできたようでしたが、事故による相手方への大きな怪我はなかったようです」
母親は呆然とし、何も口から発することが出来ない。涙だけが、ただ溢れ出る。
「怪我の回復はもちろんですが、しばらくは、心のケアが必要になると思います。今すぐ現実を受け止めるのは難しいでしょう。いずれにしても三ヶ月程度の入院は必要になると思います。手足のリハビリの前に、心理カウンセラーも手配いたしますので、まずは、ご自分の命だけでも助かったことに感謝するよう、気持ちを強く持ってください」
第九章『戻った笑顔』
三ヶ月ほど経過したが、母親はいまだに現実を受け止められないでいる。カウンセラーとの面談も心ここにあらずといった感じで、なかなか前を向けるような状況にはなれず、そればかりか、どんどんと悪くなっている。カウンセラーの先生はその内容をつぶさに担当医に共有していた。
「そろそろ身体的には退院しても良い時期なのだが、どうしたものか。このまま一人で生活していけるだろうか」
入院患者用の病室は限られている。手足の骨折もほぼ治り日常生活には支障がないレベルになっているこの患者を、いつまでも入院させていられるわけはなく、医師側も心配は大きかったが退院してもらうことを告げた。
「お身体の方は、まだ少しぎこちないと思いますし、外出する際などは、松葉杖が必要ですから少々不便とは思いますが、一通りの生活は出来る状態にまで戻られました。リハビリも大変がんばっていただきました。明日退院していただきます。ただ、心のほうのリハビリはまだ必要かと思いますので、カウンセラーのケイ先生の診察に、引き続き通院なさるようお願いします。次回の診療予約は、ご都合良いお日にちをいただければ、今取っておきますので」
翌日、母親は誰もいない自宅へ三ヶ月ぶりに帰宅した。
葬儀や、役所、会社、学校などへの連絡、手続きなどは、双方の両親の方で一通り片付けられており、ただ、空虚なだけの時間が始まる。
ケイ先生の元へは、カウンセリングのために何度も足を運んだ。しかし、何かが改善するような気配は一切感じられなかったし、幸せだった日々、特に最後の数日間のことを思い出す毎日が続く。
繰り返し繰り返し考えているうちに、なんだか、すぐそこに家族みんながいるように思えてくるようなこともあった。
もし、クリスマスを普段のように家で過ごしていたらどうなっていただろうか。今も幸せな生活が続いていたに違いない。
妄想は次第に深くなり、家族がそこにいることが現実で、事故の方が妄想なのではないかと、徐々に、徐々に思い込みはじめていく。こうなってくると、カウンセリングに行くのはバカらしくなり、次第に足が遠のいていった。
最後にケイ先生の元へカウンセリングに訪れた際は、くったくのない笑顔で楽しげに話をしていた。
「最近、家の中がとっても明るくって。うちの旦那も、子どもたちも、しばらく姿が見えなかったんですけど、いつの間にか戻ってきたんですよ。どこへ行ってたのか教えてくれないものだから困っちゃうんですけど、何かサプライズでも企んでいたのかもしれないし、あまり詮索するのもどうかなって、それ以上聞かないようにしているんです。それにもうすぐクリスマスでしょう。なんだか、今年は本物のサンタクロースが、子どもたちや、私にもプレゼントを持ってきてくれるんじゃないかしらって、そんな予感もするんですよ。先生、私のことを見ながら『何を言ってるのかしら?』って表情をされてますね。でもね、最近、なんとなく想像したことが、実際に起こることが多くって。もしかしたら、予知能力にでも目覚めたのかしら。サンタクロースがもし本当に来てくださったら、逆にこちらから、おもてなししちゃいますけどね」
笑顔が戻った母親は、せわしなく家族のために家事をこなし、食事を作り、あれから一年が経とうとしていた。
第十章『イブの訪問者』
《ピンポーン》
「はい。どちらさまでしょう」
「こんばんは。ケイです。」
「あら、サンタクロースさん。本当に来てくださったのね。さあさあ上がってくださいな」
「……ありがとうございます。失礼します」
「みんな、サンタクロースさんがいらしたわよ」
母親は、奥で遊んでいる様子の二人の子どもたちを呼んだ。
「あれ以来お顔を拝見していなかったので、少し心配になり寄らせていただきました」
「あれ以来? 心配? ってどういうことかしら? まあ今日はクリスマスですから、細かいことは抜きにしましょうよ。さあさあ、あちらへお座りください。お食事がちょうど出来上がる頃合いだったのよ。ちょうど良かったわ」
少し寂しげな笑顔を浮かべながら、ケイ先生は食卓へついた。
母親が料理に腕をふるっている間、ケイ先生が母親を細かく観察していたところ、とうとつに母親が玄関へ駆け足で向かった。
「あなたお帰りなさい。ちょうどサンタクロースさんがいらしてくれたところよ。食卓の方にいるわ」
父親のご帰宅のようだ。
食卓には、母親が腕に腕をふるった料理が次々と並べられる。
五人分の皿に五人分のグラス。
「さあさあ、お食事の準備ができましたよ。みんなでいただきましょう」
「いただきます」
「このチキンおいしいでしょう。あ、そうそうシチューも作ったのよ。サンタクロースさんも遠慮なさらず、食べてくださいね。食後にはケーキもありますから。甘いもの大丈夫でしたよね」
「ありがとうございます。甘いものは大好きです。遠慮なくいただきます」
「あら、今日もみんな食が細いのね。サンタクロースさんはこんなに食べてくださるのに。それにえらく静かじゃないの。せっかくのクリスマスパーティなんだから、もっと食べれば良いのに。サンタクロースさん、こんな日なのに、うちのひとらが、なんだかすみませんねえ」
「いえいえ、お気遣いなく。私は私で楽しんでいますから」
母親は小声で「この人たちが残しちゃったら、その分も食べてもらって構いませんからね」と、耳元で囁いた。
「サンタクロースさんは、いい食べっぷりをなさるわねぇ。作りがいがあるってものよ」
「食いしん坊ですみません」
ケイ先生は、むしゃむしゃとごちそうを頬張っているふりをした。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
「喜んでくださって嬉しいわ」
「では、そろそろ」
そういいながら、ケイ先生は白いかばんの中から、一冊のノートを取り出した。
この患者から、カウンセリング中にヒアリングした、事故直前の数日間の様子を克明に記録した文書だった。
患者は完全に現実から逃避し、いるはずのない家族と生活をしている妄想を続けている。サンタクロースが来ると思い込んでいたため、訪れた自分のことも、どうやらサンタクロースに見えているようだ。先ほども料理をしている風だったが、実際にはたどたどしい手つきでお皿とグラス、ナイフとフォークを用意しただけで中身は空っぽのおままごとであった。どうりでやせ細っているはずだ。普段もろくに食事はとれていないのだろう。一刻も早く現実に連れ戻してあげなければ手遅れになる。
ケイ先生は、この患者自身に実際に起こった出来事を事細かく読み聞かせることで、少しでも記憶を蘇らせられるのではないかと考え、今日この場にやってきたのだった。
「今日はこれを読ませていただきますね」
これまでの患者の行動を見る限り、それは限りなく難しいことだと感じながらではあったが、その記録書を、おもむろに声に出して読み始めた。
《あなた、明日はクリスマスイブよ……》
患者はキョトンとした面持ちではあるが耳を傾けているようだった。
記憶が戻ることが、この患者にとって幸せなことなのかどうかは、誰にも分かり得ないことではあるが。