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20-01 *

「おーい、相模!」

 日課である健康観察簿を届けにいく途中、隣のクラスで同じ保健委員の岸田が声を掛けてきた。

「あ、岸田。おはよう」

「なぁなぁ、こないだお前の『彼女』が学校来たってウワサ、まじ?」

「……オマエもソノ話か」

 やたら楽しそうに話す岸田を、和都はうんざりした顔で睨む。

 つい先日の放課後、普段は隣県の大学に通う、安曇凛子が狛杜高校にやってきた。

 勿論、ただ遊びに来たわけではなく『白狛神社跡地に新しく建てた祠に祝詞をあげに来た』というちゃんとした理由がある。仁科と駅前で待ち合わせていたのを、早く着いたからと高校までやってきて、ちょうど下校しようとしていた和都と春日に遭遇。

 凛子に再会の喜びから抱きつかれ、その様子を見ていた大勢の生徒から『相模和都には年上の彼女がいる』という噂が広まってしまったのであった。

 ここ数日は、よく話すような生徒と顔を合わせる度にその話をされるので、和都はその都度ひたすら弁明している。

「彼女じゃないし、おれと先生と共通の親戚だし、先生に用事あるから学校に来たってだけ!」

「なぁんだ、やっぱりそっちの話がホントかぁ。てか、お前と先生が親戚ってのもビックリだけどな」

「まぁ、おれも最近になって知ったから」

 凛子の件を弁明し続けていたため、仁科と親戚関係であることもすっかり周囲に定着してきてしまい、心境としてはなんとも言えず複雑だ。

「じゃあ、お前と先生で、その女の人取り合ってるとか?」

「……そういうんじゃないっての」

 ちなみに、仁科と凛子が表向きの婚約者同士であることは、話が余計にややこしくなりそうなので、説明はしないようにしている。

 岸田と話しながら保健室の前までくると、普段なら閉じているドアが開いていて、廊下の外までやたら楽しげな教頭の笑い声が聞こえてきた。

「……なんだぁ?」

 岸田と顔を見合わせ、ひとまず開いたままのドアをノックして保健室へ入る。

「二年三組です。観察簿持ってきましたぁ」

「二年四組も持ってきましたー」

 そう言いながら二人が中を覗いてみると、妙に楽しげな、満面の笑みを浮かべた教頭が、仁科の肩をバシバシ叩いていた。

「まぁまぁ、いいじゃないですか、ね!」

「いや、しかしですね……」

 肩を叩かれている仁科は、明らかに困った顔で答えていて、教頭による一方的な話がなされていたのは明白である。

「あのー」

 和都が観察簿を持って近づいていくと、こちらにようやく気付いた教頭が、やはり大仰なまでに口角を上げた笑顔のままで言った。

「ああ、失敬失敬。生徒たちの来る時間でしたね。じゃあ仁科先生、考えておいてくださいね!」

 ガハハ、と豪快なまでに笑い、もう二度ほど仁科の肩を叩く。それから小太りの身体でスキップでもしそうな雰囲気のまま、保健室を軽やかな足取りで出ていった。

「うへー、なんだ教頭の顔。気持ちわるっ」

 岸田が嫌なものを見た、と言わんばかりに舌を出す。

「やー、助かったわぁ」

「なにか、あったんですか?」

「あー、うん。……ちょっと、大人の話だよ」

 叩かれた肩を摩りながら、仁科は二人から観察簿を受け取った。しかし詳細についてはどうも話したくないようで、困った顔をするだけである。

 そして、話題を切り替えたかったのか、ああそうだ、と思い出したように言った。

「今日の放課後、任意アンケートの回収と集計だかんな」

「わかってまーす」

「オレ、塾の日!」

「……そうだった」

「アンケート回収は手伝うからよ! 集計は頼んだぜ、委員長!」

 ガックリ肩を落とした和都に、岸田がそう言って背中をバシッと叩き、じゃーなぁ、と一足先に保健室を出ていく。

「……今日の集計、おれだけですかね」

「そうかも」

「まぁ、任意のだし、項目少ないからいいけどさ」

 今回のアンケートは提出自体が任意のため、各階に設置したアンケートの回収ボックスに入っていた分だけを集計するタイプだ。一学期に行った全校生徒が提出し、研究発表の資料も兼ねたアンケートとは違い、ペラ一枚なのでそこまで時間はかからない予定、になっている。

「よろしくね、委員長」

「はぁい」

 そう返して、和都も保健室を後にした。教頭が笑顔だった件も気になったが、放課後に聞けばいいか、と思いながら教室へと急いだ。





 空の色が早々に白み、橙色の気配が近い放課後。

 保健室のドアをガラガラと勢いよく、ノックもなく開けた人物に、仁科は眉を(ひそ)めた。

「よぉ、仁科」

「……堂島か。何か用?」

 小豆色のジャージを着た、大学時代の頃を知るはずの彼は、仁科が怪訝な顔をしていることなど気にも留めず、ずかずかと無遠慮に室内へ入ってくる。

「隠してたなんて、水くさいなぁ」

「何の話だ?」

「あの『安曇家』と繋がってたとはねぇ」

 生徒に向けている時と同じような、穏やかに笑った顔のまま、堂島がそう言った。

「なんだ、お前も『安曇家』と繋がりが欲しいのか?」

 昨日の放課後に行われた、職員全員が参加する職員会議。そこでついに仁科が和都を連れ出していた件を言及されてしまい、仕方なく彼らの班活動の調査に協力していたことと、『安曇家』と親戚関係にあることを職員全員の前で説明する羽目になった。

 そういった経緯もあり、欲目のある教頭のような人間からは、会議以降、有名企業である『安曇家』への取り計らいを目的とするようなお誘いが多い。

 仁科はわざとらしく、それらと同じような話か、と聞いたのだ。

「とぼけても無駄だぞ」

 貼り付けたような笑顔のまま堂島がそう言うと、触ってもいない入り口のドアが、ピシャリと勝手に閉まる。一瞬そちらに気を取られ、再び近寄ってくる堂島に視線を戻すと、こちらを見つめる堂島の目の色は赤く、真ん中の瞳孔が縦に細長くなっていた。

「やはり、あの子どもが『狛犬の目』と知って、何かと手助けしていたわけか」

「──子どもを襲うようなゲスな大人から、可愛い教え子を守ってるだけだよ」

「『狛犬の目』の臭いで分からなかったが、『安曇家』と繋がっていたということは、お前もなかなかに強いチカラを持っていそうだなぁ」

「だったら、なんだ?」

 そう返した次の瞬間、すぐ目の前まで近寄っていた堂島の手が伸び、襟元を掴んで引き寄せられ、唇を塞がれていた。

 すぐさま右手で思い切り堂島の頬を殴り、顔を引き離す。

 人間の頬を叩いたはずが、まるでゴムタイヤでも殴ったかのような感触だ。

「……何しやがる」

「『狛犬の目』を食ってやろうにも、あの取り巻きを倒すチカラが少々足りなくなってきてるんでね」

 堂島の言う取り巻きとは、きっとハクのことだろう。

 ということは、ハクのチカラは『鬼』ですら怯むような強さになってきているようだ。

 ──まぁ、あれだけデカくなればな。

 実体化が進み、完全なる神獣として顕現するのも時間の問題だろう。

 協力した甲斐があるというものだ。

 小さく舌舐めずりをしていた堂島が、ふむ、となにか納得したような顔をする。臭いで分からないこちらの霊力(チカラ)の強さを経口で確認したのだろうか。そうであれば、この状況は厄介だ。

「お前に渡してやるチカラなんかねーけど」

「そうか。……でも、腕力はこっちの身体のほうが強かったよな?」

 堂島がどこか懐かしそうな顔で、自分の手をグーパーしながら確認するように笑う。

 あ、と気付いた時には仁科の肩を掴んでおり、談話テーブルの上にドン、と思い切り叩きつけるような形で、上半身を押さえつけられていた。強かに打った背中が痛い。

「……はっ、子どもだけじゃ飽き足らず、見境なしか」

「なぁに、順番を変えるだけだ」

 そう言って開いた堂島の口の中には、人間のものとは思えない、まるで獣のような大きな牙が生えていた。それがギラリと光ったかと思えば、強引に開かれた襟元の、首の付け根辺りに食らいつく。

「……いっ」

 皮膚を裂く鋭い痛みと同時に、身体が内側から急激に冷やされ、自分の中の何かが吸い出されていくような感覚。

 ──なるほど、こういうこと、か。

 堂島に襲われた和都も、その直後は氷のように身体が冷たくなっていた。鬼が人を食う、というのは、命と一緒に体内のあらゆる霊力(チカラ)を吸い上げるらしい。

「この、ヤロ……!」

 首に食らいつく堂島の顔をまた殴ろうと手をあげたが、すぐに手を取られて押さえ込まれてしまう。

「マジか……」

 顔が離れた、と思えば、牙に鮮やかな赤色を滴らせて、堂島が楽しそうに赤い目を細めてこちらを見た。

「心配しなくても、全部キレイに食ってやるよ」

 掴まれた右手が、ギチギチと強く握りこまれる。

「……くそっ」

 動かせない。

 確かに堂島のほうが元々の腕力も上だと思うが、それにしたって強すぎる。

 噛みつかれた辺りがズキズキと痛み、霊力(チカラ)を多く奪われたのか、身体がどんどん冷えていく。

 全くもって、最悪な展開だ。

「……俺の知ってるお前は、こういうことが大嫌いなヤツだったよ」

「残念、それは知らない記憶だなぁ」

 過去にあった思い出が頭をよぎって言ってみたが、分かっていても、その言葉にひどく落胆してしまう。

 赤い瞳に、開いた口から覗く牙。こちらを見下ろすかつての友人は、その意識を全くの異形に乗っ取られた、中身の違う別人だ。

 その、万事休す、というタイミング。

「二年四組でーす、回収したアンケート持ってきましたぁ」

 ノックの音と共に、保健室のドアの向こうから、今朝も聞いた、底抜けに明るく元気な岸田の声がした。

「誰も来ないと思ってたんだろうが、残念だったな」

「……チッ」

 余裕たっぷりだった堂島の顔が、にわかにくしゃりと歪み、ドアの方を睨む。

 ガタガタと揺らされるドアの向こうからは、開けようとして開かないことに気付いたらしい疑問の声が上がった。

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