18-03
◇
「ほら、見回りいくぞ」
「はぁい……」
午後になり、仁科はやる気なく返事をする和都に簡単な応急処置の道具を持たせ、引きずるように本校舎の二階から四階、教室階の見回りに出た。
養護教諭が保健室を留守にする間は、元保健委員長の清水を中心とした三年生数名が待機し、ケガ人が出た場合に対応してくれることになっている。
教室階の見回りは、東階段から四階まで上がり、一階ずつ降りながら各階の様子を見ていく形だ。
四階の一年生の展示と、トイレや手洗い場などのチェックをしながら、西階段側までゆっくり見て歩く。
そのまま西階段を三階に向かって降りていくと、踊り場の辺りから黒いモヤのようなものが、辺りに漂っているように視え始めた。
「……嫌なモヤだねぇ」
「うん……」
仁科にもやはり黒いモヤは視えているらしい。妙な気配と嫌な寒さ。ジャージを持ってくるんだったな、と思いながら、和都は両腕を寒そうにさする。
西階段を降りてすぐ目の前にある、演習室を気にしつつ、とりあえず三階の二年生の展示を見ていった。
他は軽く教室の中を見る感じではあったが、二年三組の展示の前で仁科が足を止める。
三つの神社をモチーフにした、お化け屋敷風の体験型展示。入り口にはきちんと三神社の名前を載せ、おどろおどろしい雰囲気を作っている。
「へー、よく出来てんじゃん」
「でしょ?」
和都は少し得意げに言うと、仁科の白衣をぐっと引っ張った。
「せっかくだし、中も見てってよ」
「はいはい」
そう答えて入り口へ向かうと、受付のクラスメイトから三枚の長方形に切られた紙を渡される。どうやらお札のようで、それぞれに神社の名前が書かれていた。
「これは、何に使うの?」
「それぞれ名前の書いてるお札を、決まった神社に納めていくの」
「へー」
和都は説明しながら、仁科と教室の中へ入る。中は草木の飾り付けがされたパーテーションを使ってジグザグに進む形に区切られ、各突き当たりに神社がある形になっていた。
それぞれの神社の場所には、調べた際に出てきた洞窟や井戸などが設けられていて、神社ごとの個性が出ている。もちろんお化け屋敷らしく、突然のエアー噴射や、井戸から手作りお化けが飛び出てくるといった、仕組みも用意されていた。
「ちゃんとお化け屋敷だねぇ」
感心する仁科と一緒に二つの神社をめぐり、設けられた賽銭箱に指定の札を納めていく。
残るは最後、幻の神社といわれた『白狛神社』だ。
入り口には段ボールで作られた、白と黒の狛犬が飾られている。狛犬たちを撫で、お札を納めるために拝殿とされてる場所に近づくと、そこにはライトに照らされて輝く、赤い血溜まり。覗き込むと鏡になっていて、自分の顔が血塗れになっているように見える仕組みだ。
流石の仁科も、これにはつい立ち止まってしまう。
「……まぁ、史実通りでは、あるけど」
「どうしようかなって思ったけど、個人的にコレが一番怖いから」
「そうだね」
血溜まりを見つめながら眉を下げた和都の頭を、仁科は優しく撫でた。
白狛神社にお札を納めたら、小さな鳥居をくぐって出口に向かう。
出口の手前には、今回登場した三つの神社について、和都たちが調べた内容をまとめた大型パネルが飾られていた。
「自由な班活動の一例としては、なかなか良いんじゃない?」
「いいのかなぁって気もするんだけどね」
説明のパネルを見て行くと、最後の方に調査をしたメンバーの名前と、調査に協力した小坂の祖母や、安曇神社の名前が書かれている。
だがそこに、仁科の名前はなかった。
「……ちゃんと伏せといてくれたんだね」
「そりゃあね。後藤先生には、言ってあるけど」
仁科が神社の関係者であると分かった時、鬼たちがどう動いてくるのか分からない。用心するに越したことはないだろう。
「うん、それで大丈夫でしょ」
二年三組を出た後は、残りの教室を見て回って、東階段から三年生の教室が並ぶ二階を西階段のほうへ進む。端までくると、西階段の上の方に、やはり黒いモヤが漂っているのが見えた。
この真上には、三階の演習室がある。どうにもこの妙な焦燥感を煽られる気配が、気になって仕方ない。
「……上の演習室、一応覗いておこうか」
「そうだね」
二人は再び西階段を上がり、三階の演習室の前に立った。
和都がドアに近づいてみると、中から何やら音が聞こえる。
「あれ? 何か音がする」
ドアに耳を押し当ててよく聞くと、カサカサと何かが動き回っているような音。
「誰かいる、とか?」
仁科に言われてノックしてみるが、返答はない。
「でも、文化祭の間は鍵かけてるから、誰も入れないはずなんだけど」
そう言いつつ、念のためドアノブに手を掛けて回してみると、ガチャリ、と開いてしまった。
「あれ?」
驚きつつ、そのまま押し開いて、演習室の中を見る。
中には文化祭の期間中、各教室で使わない机や椅子などが積み上げられているだけで、誰もいない。
だが、演習室の奥の窓が一つ、半分だけ開いており、カーテンが小さく揺れていた。
「風の音、だったのかな?」
「んー、なんか違う感じだったけど」
仁科と一緒に中に入り、演習室内を見渡してみる。だが室内は、雑然と物が積まれているだけで、それ以外の異常は見当たらない。
「とりあえず、窓は閉めてくるね」
和都は積み上げられた机と机の隙間を、小さな身体で器用にすり抜けて向こう側までたどり着き、窓を閉めて戻ってくる。
「これ、鍵は実行委員?」
「うん、そのはず」
「じゃあ風紀委員見つけて連絡を……」
とりあえず報告しにいこうかと、演習室から出ようとしたところ、足元でカサッと音がした。
何かを踏んだらしい。よく見ると、折り畳まれたルーズリーフのようだ。
「あ、カサカサ言ってたのコレかぁ」
窓から入る風で、この紙が動き回っていた音なのかもしれない。
そう思いながら和都が拾い上げ、何が書いてあるのかと開こうとした次の瞬間、畳まれた内側から、黒い何かが飛び出してきた。
「うわっ!」
驚いて手を離すと、その黒い何かは和都の腕を掠めて、再び紙の中へ戻っていく。
シュッと細く切り裂くような痛みが腕の内側に走り、落とした紙の上に真っ赤な血がポタポタと落ちた。
「……いった」
「大丈夫か?!」
仁科が慌てて手持ちのハンカチで傷口を押さえる。
切れた範囲も広く意外に深いのか、水色のハンカチに赤い色がじんわりと滲んだ。
「もう少し腕上げて」
腕の位置を高めに固定させ、和都に持たせた応急処置の道具が入った鞄を開ける。が、残っていた包帯では長さが足りない。
仁科は自分のネクタイを外し、ハンカチの上から圧迫するようにぐるぐる巻きにして止血した。
そうやって、仁科がなんとか応急処置を終えたタイミング。
「……先生、あれ」
和都に言われてそちらを見ると、床に落ちた血のついた紙に、周囲の黒いモヤが吸い込まれていき、折り畳まれた隙間から、もくもくと黒い煙が出てくるところだった。
黒い煙の塊はふわふわと宙に浮かび、ぐるぐる回転し始め、頭と尻尾が鎌になった、妖怪のようなものに変化する。
「なんだ?」
呆気にとられていると、形を成したその鎌の妖怪は、ドアの前にいた二人に向かって、勢いよく突っ込んできた。
「うぉっ!」
仁科が慌てて和都を庇いながら避けると、白衣の裾がスパッとキレイに切れる。
その見事な切り口に唖然としている間に、鎌の妖怪はそのまま開け放していたドアから廊下のほうへ行ってしまった。
「あ、しまった!」
三階の廊下には、他の生徒や来校者がいる。仁科が焦っていると、不意にハクの声が聞こえてきた。
〔ボクにまかせて!〕
半透明の状態になったハクがしゅるりと姿を現し、風のような物凄い速さで、ドアから出ていった鎌の妖怪を追いかけていく。
二人も慌ててハクを追って演習室を出ると、あちこちで小さく悲鳴が上がり始めたところだった。
廊下を歩いていたらしい人達が、何人か座り込んでいる。鎌の妖怪に切られてケガをしたようだ。
「大丈夫ですか?!」
和都は座り込んでいる人へ駆け寄って、ケガの状態を確認しながら、応急処置道具の入った鞄を開ける。
「ごめん、動けるやつ! 保健室行って、待機してる救護班呼んできて」
仁科は近くの生徒にそう呼びかけつつ、ケガをした人数やケガの具合を確認していた。
幸い、手足に小さい切り傷を負った人が多く、和都のような大きめのケガ人はいないらしい。
〔まてまてぇ!〕
ハクのほうに視線を向けると、ちょうど鎌の妖怪が反対側の東階段を降りていこうとする手前で追い着いて、そのままあの大きなクチで食べてしまうところだった。
ホッと胸を撫で下ろしつつ、和都も応急処置の手伝いに回る。
ちょうどお昼時で、教室階にはそこまで人が集まっていなかったためか、大惨事は避けられたらしい。しかし、複数のケガ人が出たり、救護班の応援も駆けつけたことで、騒ぎはかなり大きくなってしまった。
「和都!」
騒ぎを聞きつけたらしい風紀委員長の春日が、事情を聞こうと和都の元に駆け寄ってくる。
「あ、ユースケ!」
「何があった?」
和都は周りを見回すと、急いで春日を人気の少ない階段近くまで引っ張っていった。
「お前、腕どうした」
「演習室が開いてて、変な紙から妖怪みたいなのが出てきた」
和都は質問には答えず、小声で手短に説明を始める。
「妖怪?」
「うん、そいつに切られた。廊下にいた人達も同じ。ハクが食べてくれたから、もういないけど」
状況が状況のためか、和都も説明が早口になっていた。
「そうか」
「おれ、手伝わなきゃだから。演習室の鍵、実行委員に報告しといてくれる? あ、あと紙もできたら拾っといて!」
「わかった」
春日に告げるだけ告げると、和都はすぐに廊下の方へ戻っていき、保健室からきた他の保健委員たちと一緒に手当てに走る。
言われた春日が演習室のほうへ向かうと、確かに施錠されているはずのドアが開け放たれていた。中は雑然としているが誰もおらず、和都の言っていた血痕のついた紙が床に落ちている。
広げると、妙なイラストとびっしり書かれた説明のような文章。
「……なんだこれ」
春日はその紙を畳み直してポケットにしまうと、騒ぎと鍵についての報告のために、本部テントの方へ足早に向かった。