15-02
本邸で昼食をいただいて軽く休んだ後、すぐまた作業に戻ろうとすると、凜子に呼び止められた。
「もうちょっとゆっくりやったら? まだ暑い時間だし」
「あ、でも時間が。明日、帰らなきゃなので……」
「えぇ、そうなの?」
和都の返答に凛子が驚いていると、後からやってきた仁科が言う。
「あれ、言ってなかったっけ?」
「聞いてないわよ!」
「……すみません」
肩を窄めて言う和都に、凛子はぎゅと眉を逆八の字にしてから、仁科を指差した。
「和都くんが謝る必要ないのよ、悪いのは全部ヒロ兄だからね!」
「そーそー、責任とるのは大人に任せなさい」
仁科は普段と変わらない飄々とした顔でそう言うと、凛子の頭を撫で、それから和都の頭を撫でる。
「さ、続きやっていこうか」
午後からは蔵の近くに敷いたブルーシートの上で、二階から出した荷物と本類の整理だ。午前中に手伝ってくれた中学生たちは予定があるらしく、午後からは和都と仁科の二人きりでの作業になる。
一階から出した時より本の数は少ないが、白狛神社に関する書物や書類はたくさん出てきたので、和都と仁科は解読アプリを使って手分けして読んでいった。
和都が開いた書物は、白狛神社の由来に関するものらしい。
「……鬼の湧き出る穴?」
書物によれば、白狛神社のあった場所には元来鬼の湧き出る穴があり、かつては『鬼の出る山』と呼ばれて恐れられていたそうだ。
しかしある時から、その鬼を食べてくれる、白い狼が現れるようになる。狼は村に住むある人間によく懐き、その村人にお願いされれば、鬼を食べてくれていた。その白い狼はそのうち『大神』と呼ばれるようになり、村に住む人たちに慕われるようになる。
ところがある時、大神の懐いていた人間が、村人によって殺されてしまった。
怒り狂った大神は鬼神となり、そこに住む村人達を見境なく襲い始めるようになる。そこへ通りかかった弓の名手が、神力のある矢を以って射殺すことで退治され、その後、大神は鬼の湧く穴を見張りがら、周辺を守る神として祀られた。そうして出来たのが『白狛神社』だという。
「そんな由来だったんだ」
人間が人間を殺したことで、怒りと悲しみから鬼になった神様。
そんな神様を祀る場所で、また人間が人間を殺してしまった。
それも、慕っていた人間を、親しかった人間が。
バクが記憶を破り捨てて、狛犬を辞めてしまったのも頷ける話だ。
「……大丈夫か?」
「うん。……ちょっと、バクの気持ちも分かるなって」
表情の暗くなった和都の頭を、隣にいた仁科が優しく撫でる。
分かった内容を持ってきていたノートにまとめていると、別の本を解読していた仁科が眉を顰めた。
「お前が見た夢の話だけど」
「あ、はい」
「やはり、日本刀を持っていた人物は、仁科孝四郎で間違いなさそうだ」
「何か、見つかったんですか?」
和都は仁科が開いている書物を横から覗き込んだ。
仁科が見ていた冊子には、白狛神社の名前と日付、そして人物のリストが書かれている。
「廃社になる直前くらいの、神社に仕えてた人間のリストが出てきた。ここにも仁科孝四郎の名前がある」
そう言って指差した先には『仁科孝四郎』の文字。隣には『安曇真之介』と書かれてあった。
「そいつが浅葱色の袴を着てたなら、神職だろう。そして神職にある男の名前は、安曇真之介と仁科孝四郎のみ」
「じゃあ、やっぱり……」
「倒れていたのは真之介、刀を持っていたのは孝四郎、だろうね」
和都は仁科から冊子を受け取り、並んで書かれた二人の名前をじっと見つめる。
「ただ、こっちには『宮司が自死』とあるんだよね」
そう言って仁科は次に、大きな紙を折り畳んだようなものを広げて見せた。どうやら当時の新聞らしい。
そこには『白狛神社で宮司が自死』と大きな見出しがあり、病を苦に自殺した、と記載されている。
「自殺? え、なんで……?」
「おそらく、身内同士の事件ってことで、外聞が悪いからそうした、のかもしれないな。自殺も大概だけど」
当時、神社を管理していた安曇家が、殺人よりも自殺の方がまだマシと判断したのかもしれない。ただ、これで納得がいく。
「白狛神社自体の痕跡を徹底して隠してたのは、そういう理由からだろうな。安曇家と仁科家の仲が険悪に見られると、色々問題があったのかもしれない」
由来が口伝でしか残されていなかったのも、移転した先で人目につかないよう祀られている理由も、この身内同士の殺人を隠すため、だったのだろう。
安曇の蔵を探して見つけ出せた情報は、これで全部だ。
まだ日は高く、空も真っ青な時間。
木陰の下に敷いたブルーシートの上で、和都と仁科は二人して大きく息をついた。
予想はしていたが、なんとも気まずい、後味の悪い理由だろう。
和都はまとめていた大学ノートを見返しながら、ふと何かに気付いたように言った。
「そういえば、なんで白狛神社にはハクとバクがいたんだろ? 神獣って普通は神社にいませんよね?」
「あー、そういやそうだな。普通、狛犬はただの置物だし」
「特別な理由のある神社だったから?」
和都の広げていたノートを、仁科が横から覗き込む。
「『鬼の湧く穴を見張る』ってあったし、そのためとか?」
「となると、残ってた祠はその穴のあったとこ、かもな」
「退治した鬼を封じた祠、じゃなくて、鬼が出てくるところを封じてる祠だった、と」
和都はノートの該当箇所に、今回分かったことを書き込んでいく。
「……そういえばハクは、鬼が出てくるから開けちゃいけないって言ってたけど、本当にそのまんまの意味だったんだね」
「そうみたいだな。退治した鬼神は祀って、そのまま白狛神社の神様にして、鬼の湧く穴を見張ってたってわけだ」
神社の由来と役割、そして無くなった経緯については分かった。
しかし、今一番なんとかしなければいけないのは、学校に紛れ込んでいる鬼どもである。
「じゃあ、堂島先生達に憑いてる鬼って……」
「その祠から湧いて出てきた鬼、なんだろうねぇ」
憑いている鬼たちが、神社に封印されている鬼であったなら、神社の由来を調べて封じる方法を見つければよいと考えていた。が、どうも当てが外れてしまったらしい。
「鬼の倒し方も、一応ありましたけど」
「大神が食べるか、神力のある矢で射殺す、だっけ? 結局物理的に殺さないとダメってことかぁ」
「でも、堂島先生達は鬼が憑いてるだけで、鬼じゃないし」
「そこなんだよなぁ」
鬼になった大神は射殺すことで退治できたが、今和都を狙っている鬼達は、人間に憑依した状態である。
鬼だけを倒すというのは、やはり難しいことなのかもしれない。
「ハクに食べてもらうしかない、のかな。でも食べるって、丸ごと?」
「うーん、どうだろ。分かんないな」
「ハクに聞いたほうがいいね」
「そうね。できれば鬼だけ、食べて欲しいんだけど」
やはり鬼を倒すというのは、なかなかに非現実的な話だ。魔法が使えるわけでも、鬼退治のできる刀があるわけでもない。
まして、鬼が憑いていることを理由に、人間が殺されていいはずがない。鬼が憑いている二人のうち、一人は仁科の友人なのだ。
鬼についてはハクを頼るしかないのだろうという結論になったが、次はこの神社の情報をどこまで公開できるのか、という問題が出てくる。
「……これだけ大変なことが起きた神社のこと、表に出しちゃっていいんでしょうか?」
「んー、そうだな。あれだけ隠されてたわけだしな」
仁科も二階の異様な様子と、お札の貼られた二重底の箱を思い出す。徹底して隠していた結果、白狛神社は由来の分からない末社として存在している状態。
「これは調べて分かったことを親父殿に報告して、学校側にどこまで提出していいか確認しないとだねぇ」
再び二人して重い空気を吐き出していると、凛子が差し入れに麦茶とスイカを持ってきてくれた。
「調子はどう?」
明るい顔で声を掛けたものの、こちらを見上げた二人の微妙な表情に、凛子も眉を下げる。
「……あんまり、いい由来じゃなかったみたいね」
「うん、ちょっとねぇ。学校だけに提出とはいえ、表に出していいのか分からん資料が出てきちゃってさ」
「あら、それはちょっと困るわね」
仁科の言葉に、安曇神社を引き継ぐ立場の凛子もあまりいい顔をしない。
「親父殿と話したいんだけど、今いる?」
「今出ちゃってるんだよね。でも、早く帰ってくるって言ってたし、連絡しておく」
「頼むわ」
凛子が差し入れてくれた麦茶とスイカで休憩をした後は、虫干しのために出した本や荷物を蔵に戻す作業だ。昨日より物は少ないが、人数も少ないので時間はかかる。
「さ、日が暮れる前に終わらせようか」
「はーい」
和都は返事をして立ち上がり、身体を大きく伸ばすと、よし、と気合いを入れて作業を始めた。