14-02
◇
白狛神社のある雑木林から出ると、だいぶ時間が経っていたようで、白んだ空に夕焼けが近づいていた。
仁科は和都を抱えたまま離れに上がると、広間の隅に布団を敷いてもらって和都を休ませる。
横になりながら、和都はグズグズと文句を言っていたのだが、すぐに小さな寝息を立てて眠ってしまった。
やはり疲れていたのだろう。
その様子を眺めていると、普段着のワンピースに着替えた凛子が、お茶を持って離れにやってきた。
「和都くん、大丈夫そう?」
「うん、大したことないよ。疲れが出たんでしょ」
「持病とか、身体弱かったりするの?」
座卓にお茶とお菓子を並べながら、心配そうな顔で凛子は眠る和都を見つめる。
「そういうのじゃないよ。ちょっと、色々当てられやすくてね」
「あ、そうなんだ」
和都は元々、悪霊などの『いやなもの』のチカラに影響を受けやすい。霊力を分け与えることで多少は強くなったものの、強すぎる神仏のチカラは悪いものじゃなかったとしても、今の彼にはまだ少しキツいのだろう。普段から神社仏閣を避けて過ごしていたのであれば尚更だ。
「それに、長距離移動とかあんまりしたことないから、その疲れもあるだろうね」
「ふーん」
いつも家に閉じこもっていて、電車に乗って出掛けることすらも殆どしてこなかった人間が、休憩を挟んだとしても、長時間の車移動の後で元気にしていられるわけがない。
しかも本来ならその身体を休めるはずの休憩時間は、来たことのないサービスエリアで無駄にはしゃいでいたのだ。疲れていても仕方がないだろうと、その時の和都を思い出して仁科は苦笑する。
「急に泣き出したから吃驚しちゃった。あの子、ただの興味本位で白狛神社を探してたわけじゃないのね」
「うん。あの神社が昔ちゃんとしたとこにあった時にいた、狛犬の生まれ変わり、らしい」
「生まれ変わり? そう……」
仁科の言葉に、凛子が眉を顰めてなにやら考え込むような顔をした。
「なんか、違う感じしたの?」
「うーん、生まれ変わりについては分からないけど、アタシには大きな『狗神』が憑いてるようにしか視えなかったから」
言われて、ああ、と仁科は思い当たる。
視えない状態で和都にくっついて回っている、ハクのことだろう。
「たぶん、その番だった方の狛犬じゃねーかな。魂が繋がってるとかで、ずっとついて回ってるんだって」
「……それ、本当に狛犬なの?」
説明するも、やはり凛子の表情は険しいまま。
「らしいんだけど、違う感じする?」
「確かに強い神獣の気配はあるんだけど、アタシにはもっと違う、狗神に近い何かを感じるのよねぇ」
「……なるほど」
狗神とは、人を祟ったり害をなす目的で、極限に飢えさせた犬の首を切り落として作り出す、怪異や悪霊の一種だ。
確かに、ハクの姿は首から上しかない。仁科も当初は見た目からその可能性を少し考えてはいたのだが、ハクの言動は基本、和都を守るものだったので、悪いものではないだろうと判断していた。
しかし、現状安曇家で一番チカラが強く、学業の傍ら祓いの仕事もしている凛子が言うのであれば、やはりハクは狗神なのかもしれない。
──そうなってくると『生まれ変わりじゃない』という可能性も、上がって来ちゃうな。
ハク達と仁科家の祟りとの関係については、まだちゃんとした確証がない状態だ。今回の蔵での捜索で、何かしらハッキリすればいいのだが。
「まぁ、今回はその関係もあって連れて来たんだ。白狛神社の神様に、逢いたがってるみたいだったし」
「……そうだったのね」
言われて凛子は納得しながら、再び眠っている和都に視線を向ける。
ふと、それまで険しかった表情が、どこか懐かしいものを見るように優しくなった。
「それにしても、本当にマサくんソックリね。見た目もだけど、雰囲気とか気配もすごく似てる」
「でしょ。性格は全然違うんだけどね。……コイツ、神谷さんとこの子だよ」
「えっ、うそ。神谷って、長男が縁切りして居なくなっちゃって、次男の人が継いだっていう、あの神谷?」
仁科の言葉に、凛子が驚いた顔をこちらに向けた。
元々、和都の母小春と神谷家側のソリが合わなかった上、生まれた和都が視えるチカラを持っていたことから諍いが絶えなくなり、安曇と無関係のインチキ霊能者を厚く信奉してのめり込んだ結果、言われるままに縁を切って居なくなってしまった、というのは安曇家でも周知の事実だ。
「うん。父親の清孝さんが亡くなってて、奥さんが再婚したから苗字が違うんだ。俺も最初は他人の空似だと思ってたんだけど、家系図を見直したら名前とか一緒でね」
「そうだったんだ……」
「縁切りはしてるそうだし、親父たちには言うなよ。たぶん色々、面倒になるし」
「……それはそうね」
安曇家はその莫大な遺産と高い霊力を維持するため、元は一つだった仁科家を含む分家などの親族間で婚姻することも多い。和都がチカラを持った血族であると分かれば、安曇家や仁科家のそういった問題に巻き込まれることは必至だろう。
それにしてもだ。
ここまで亡き末弟に瓜二つな彼と一緒にいるということに、凛子は少し勘繰ってしまう。
「……ヒロ兄、和都くんをマサくんの代わりにしようとしてない?」
「そんなつもりないよ」
「どうだかー」
仁科弘孝にとって、末弟の雅孝は特別な存在だった。
兄弟以上と思える親愛と執着を注いだ彼がいなくなった空席に、そっくりの人間を据えようとしているのではないだろうか。
先ほどの白狛神社から離れへ戻る時の、和都への対応がどうもそれを彷彿とさせた。
こちらを訝しむ凛子に、仁科は眉を八の字に下げて、話題を変える。
「あー……そういや、親父殿に話まとめろって言われてるんだけど」
言われた凛子は、じとっと仁科を見つめて言った。
「アタシ、ヒロ兄と結婚する気ない」
「知ってるよ。俺もお前に興味ない」
二人して、はぁ、と深いため息をつく。
結局、連絡をとっていようがいまいが、互いの主張はずっとこのままだ。それは数年経っても変わらない。
「……大学にいい人いないの?」
「安曇の名前が有名すぎて、まともな人が寄ってこないのよ。来てもだいたいが遺産目当てだし」
「俺の知り合いだと、もうだいたい結婚してるしなぁ」
本来ならば、凛子が雅孝と結婚する予定だった。
それが不幸な事故で叶わなくなると、代わりに弘孝が凛子と結婚しろ、と両家両親から言われ続け、この状態でもう数年が経つ。
凛子が何かを思いついたように、部屋の隅で眠る和都に視線を向けた。
「じゃあ、和都くんもらっていい?」
「……ダメ」
言われて流石の仁科も言葉につまったが、そればかりはやはり、どうしたって譲れない。
「やーっぱりそういう相手なんじゃない!」
「うるっせぇな。猫の子じゃねーんだからほいほいやれるか。お前はさっさと大学で見つけてこいっての!」
「あ、和都くんに紹介してもらうのもアリか」
「こいつの周りねぇ……」
凛子に言われ、仁科は夏休み前に五人で白狛神社跡地へ行った時のことを思い出し、各メンバーの顔を浮かべたのだが、下がった眉は上がらなかった。
「……拗らせた奴か、面倒くせぇ奴しかいねぇな」
「和都くん、まともな高校生活送れてるの?」
なんとも言えない微妙な顔で返答されてしまい、さすがの凛子も心配になる。
「まぁ、最近は楽しそうよ」
眠ったままの和都の方を見て、仁科は笑いながらそう言った。