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13-01 *

 夜。

 錆びた匂い。参道の先の拝殿を見る。

 真っ赤な血溜まり。

 血の海の中に、■■■様が倒れてる。

 すぐ近くに人がいる。立っている。

 水色の袴が血で汚れて、黒ずんで。

 手にすらりと長い、日本刀を持っていた。

 刃の部分も赤黒くギラっと光ってて。

 その顔は、知っている。

 知っている。

 なんで?

 どうして?

 お前が、殺したの?



「……え?」

 目を開けると、すでに明るくなった天井。

 涙はいつものように止まらず、心臓がドクドクと早鐘を打っていた。額にはびっしりと、夏の暑さのせいだけではない汗をかいている。

 血の海の中、あの人が倒れている光景はいつ見ても慣れない。感じるはずのない錆びた匂いが纏わりついているようで、目眩がする。

 ──殺されたんだ、あの人。

 ただでさえ慕っている人が殺されて辛いのに、殺したらしい犯人はバクの知っている人間だなんて。

「……こんなの、覚えていたくないよね」

 記憶を破り捨てたくなるのも、無理はない。

 身体を丸めて、しばらくゆっくり呼吸することを意識していたら、ようやく涙と動悸が落ち着いた。それから身体を起こすと、和都はベッド脇に置いていたノートにペンを走らせる。

 でも、文字が震えてしまって、なかなか進まない。

 神社のことを調べるヒントになるとはいえ、文字に書き起こすのがどうしても憚られる。

「……できた」

 いつもより読みづらい文字になってしまったが、何度も深呼吸して、なんとか覚えている内容を書き終えた。

 写真を撮って仁科宛に送信すると、もうそれだけで重労働を果たした気分である。

 再びベッドに横たわり、天井を見上げた。

 ──あれ、誰だったんだろう。

 水色の、袴を履いた人物。名前の分からないあの人とは別の、誰か。

 今までの夢には出てきていない、見たことのない顔だった。

 スマホの写真フォルダを開き、仁科宛に送った夢のメモ画像を見返す。

 見ている夢の時系列は、どうもあっていない気がする。バラバラに千切った記憶らしいので、順番通りに見る、というわけではないのかもしれない。

 考え込んでいると、メッセージの通知が入った。仁科からだ。

 夏休みの、それも早朝なので返信は来ないと思っていたのに。

 ──嫌な夢の時は、だいたい返信してくれるんだよなぁ。

 和都は小さく笑ってチャットアプリを開く。

《親しい人間による殺人か。嫌な夢だったね。大丈夫?》

《大丈夫じゃないけど、大丈夫》

《なんだそれ。今日、手伝いに来る日だろ?》

「……あ」

 メッセージを読んで、和都はそうだった、と思い出した。

 色々と忙しいらしい仁科の手伝いで、学校に登校する予定の日である。すっかり記憶から抜け落ちていた。

《忘れてた。眠いから今度じゃダメ?》

《面白いもの見せてやるから、頑張っておいで》

 嫌な夢を見たことを理由に休みたい、と主張したつもりだったのだが、仁科のメッセージも気になる。

「面白いもの?」

 まんまと釣られる形で、癪ではあるが。

《しょーがないなぁ》

 和都はそう返信すると、再び身体を起こしてからうーんと伸びをして、ベッドを降りた。





 七月下旬、狛杜高校は夏休みに入っていた。

 夏休みとはいえ、教職員は当番制で在校しており、部活動もあるので学校自体は開放されている。なので、学校に用のある生徒は、制服や学校指定のジャージ等を着ていれば登校が可能だ。

 そんな、夏休みでほぼ人のいない学校の保健室に、和都は制服姿でやって来ていた。

「夏休みなのに、なーんでおれは学校に来てるんだろう」

 不服そうな顔で言う和都に、仁科は普段と変わらない白衣姿で、呆れたように言う。

「どーせ暇してんだろ」

「暇ってわけでもないんだけど」

「宿題やるか本読むかしかしてねーくせに」

「……まぁ、ハイ」

 菅原も小坂も部活が忙しく、春日も塾の前期夏季講習が始まる関係で、そんなに会うことはない。何の予定もない和都は、特にしたいこともないので、適度に宿題をやりつつ、自宅でひたすら本を読むばかりだ。

「研究発表用の資料作成で忙しくて、夏休み中の仕事に手が回らなくてね。誰かさんの探し物に付き合ってたから、色々ギリギリなんだよ」

「わかってまーす」

 返事をしつつ、そっと仁科の様子を窺うと、どうも連日本当に忙しいらしく、普段どおりに見えつつも、やはりどこか顔色に疲れが見える。

「……でもやっぱ、ちょっと怖いよ。みんな居るわけじゃないし」

「ちゃんと堂島も川野もいない日だけ呼んでるから安心しろ。来る時も部活の菅原達と一緒に来れたろ」

 そこは仁科の言う通りで。登校の支度をしていると、菅原からいつも下校の際に別れる十字路で待っているから、と連絡が来たので一緒に登校してきたのだ。

「そうだけど。……采配上手すぎて、なんかムカつく」

「ワガママな子ねぇ」

 クチを尖らせて文句を言う和都の頭を、仁科が撫でる。

「だって今日は眠いんだもん」

 和都はそう言いながら、仁科の手から逃げるように、普段からよく使っている一番端のベッドへ向かうと、そのまま横になった。

「なんだ、今朝の夢のせいか?」

「うん……」

 横になった和都に近付いて、仁科は一応額に手を当てる。体温は予想通りの平熱だ。

「──あの宮司さん、殺されてたんだね」

「そうみたいだな。その、日本刀持ってた人は、これまでの夢に出てきてるのか?」

 仁科に問われ、改めて考えてみるが、やはりこれまでの記憶にはない。

「ううん、初めて見た」

 そう答えてから、和都はベッドに横たわったまま、傍らに立つ仁科をじっと見上げる。

「なに?」

 ちょうどこのくらいの位置から、バクも見上げるようにあの男を見ていた。

 そのシルエットがなんとなく、

「先生に、似てたな、って……」

「えー、嫌な話」

 言われた仁科も、流石に困ったように眉を下げた。

 殺人を犯した人物に似ていると言われて、いい気分になる人間はいないだろう。和都は若干の申し訳なさから、今朝のメッセージの件に話を切り替えた。

「あ、そだ。メッセージで言ってた、面白いものってなに?」

「ん? ああ」

 仁科がそうだった、とデスクに置いていたスマホを取って戻ると、和都の横になっているベッドに腰掛ける。そして、スマホを操作しながら、和都に聞いた。

「お前の、前の苗字、神様の『神』に、谷山の『谷』で合ってる?」

「急になに? ……そうだけど」

 和都は身体を起こして答えながら、仁科の横に並ぶように座り直す。

「じゃあ、両親の名前は?」

「相模小春(こはる)と、相模隆世(りゅうせい)

「あぁ、そっちじゃないほう」

「……神谷清孝(きよたか)。え、なんで?」

 そっちじゃない、と言われたのが若干気になりつつも、和都が不審な顔で聞くと、仁科はそうか、と息をついてスマホを見つめた。

「じゃあやっぱ、コレはお前ってことになるんだな」

 仁科がこちらに向けたスマホの画面には、拡大された家系図の一角が表示されている。

 そこには、神谷清孝と小春の名前が並び、二人を結んだ線が下に伸びた先に『和都』の名前と、生年月日が記されていた。生年月日も自分のものに間違いない。

「……え。なに、これ」

「仁科家の家系図」

「はぁっ?!」

 流石に予想外すぎて、和都も大声をあげる。仁科は少し困ったような顔ではあったが、いつも通りの調子だ。

「……ちょっと色々あって、家系図を見直してたら見つけてね。横行ったら俺の名前もあるよ」

 言われて仁科からスマホを受け取り、和都は拡大画像を少しずつスライドする。線で繋がる様々な氏名の中に、ようやく『弘孝』の文字を見つけた。

「曾祖母さんとこが兄妹ってなってるから、えー……再従兄弟(はとこ)ってやつだな」

「……親戚、ってこと?」

「うん、ちょい遠いけど」

 改めて言われて、和都は頭を抱える。

「えーーーー。嘘でしょ?」

「いやー、嘘から出た(まこと)ってヤツになったな」

 仁科が楽しげに笑いながら言った。

 そういえば以前、白狛神社跡地を二人きりで訪れた際、偶然現れた川野相手に、そんな有りそうで無さそうな微妙な嘘をついている。どうやらそれが、本当の事になってしまった、ようだ。

「……え? 親戚って初めて遭遇したんだけど。何すればいいの?」

 どうやら本当に初めてのことらしく、和都の狼狽(ろうばい)ぶりに流石の仁科も困惑する。

「いや、何もしないよ。近くに住んでりゃ会うこともあるけど、冠婚葬祭とかで会うか会わないかくらいで、他人とそんな変わんねーよ」

「そ、そっか……」

 言われてようやく我に返ったらしい。

 落ち着いた和都は、スマホの中の家系図に再び視線を落とす。

「家系図ってすごいね、もうちょい見ていい?」

「どーぞ」

 隣に座る仁科は、和都の頭を撫でてそう言った。

 開いたままの家系図の『仁科弘孝』の横には『仁科孝文』『仁科雅孝』と並んでいる。各名前の横には、生年月日が記載されているのだが、亡くなっている場合はさらに没年月日と享年が添えられるようで。

 ──享年、十三。

 雅孝のところに添えられた没年月日と享年の数字に、和都は仁科の家のアルバムで見た、彼の顔をなんとなく思い出す。

 自分によく似ていて、自分よりも若くして逝った人物。

「……おれに似てたっていう弟さん、どんな人だったの?」

 きっと、仁科にとって特別な存在だったはずだ。だからこそ、聞くのが少しだけ怖くて、なんとなく聞けていなかった質問。

 ちらりと隣に座る人を見上げると、目を細めて笑っていた。

「引っ込み思案で、大人しくて……優しい子だったよ」

「へぇー」

「お前と見た目とかはソックリだったけど、性格は大違い、だったね」

 頭に乗せられていた大きな手が、頬にするりと滑り降りてきて、そのまま自分の唇に唇が軽く触れる。

 すぐに離れた顔は、やはり笑ったままだった。

「……学校でするなって」

「今、他に人いないよ?」

「そうかもしんないけど」

 本当に油断も隙ない。

 でも、本当に嫌だったら、キッパリと拒絶すればいい。

 そうしたら、仁科もこんな風に隙をつくようなことは、多分しないはずだ。

 そうしない、という選択を自分がしている自覚は、ある。

「見せたかったのって、コレ?」

 和都は仁科にスマホを返しながら聞いた。

「うん。まぁ無闇に送るもんでもないしね」

「……たしかに」

 フルネームと生年月日、そして親戚関係を表した個人情報満載の画像である。送られてきても、取り扱いに困ってしまうかもしれない。

「まさか、先生が親戚のおじさんだったなんて」

「おじさん呼びはやめて欲しいなぁ」

「え、じゃー何がいいの? お兄さん?」

「……お前に『兄さん』って呼ばれるのも、ちょっと複雑」

「もー、ワガママ」

 和都がクスクス笑うのを、仁科は困ったような呆れたような様子で見ていたが、あ、と何かに気付いた顔をする。

「しかし、この親戚って関係はまぁ、使えそうだな」

「何に?」

「安曇の家に行く時、とか」

「あ、なるほど……」

 親戚同士、ということであれば、川野をかわしたように周囲を納得させられるし、母親も上手く説得できるかもしれない。しかし、そもそも神社仏閣を毛嫌いする母が、果たして安曇神社に行くことを許可してくれるのだろうか?

「……でも、どうかなぁ?」

 最近の母親は、顔を合わせるだけでヒステリックになってしまうので、正直普通の会話もままならない。チャットアプリを介してなら説得出来るのだろうか、と和都は考えを巡らせる。

「まぁでもその前に、目の前にある山のような仕事を片付けないとね」

「そーですね」

 仁科がベッドから降りて立ち上がったので、和都も倣ってベッドから降りた。

 すると仁科が、バシッと和都の背中を叩く。

「さ、新しい保健委員長さんに、頑張って働いてもらおうかな」

「……はーい」

 すでに二学期以降は保健委員の委員長となることが決まってしまった和都は、やる気なく返事をした。

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