表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/18

溶け込んで

 アトリエの天井から、あや取りをするような光の糸が降りて来る。

 作品キャビネットの上に、4体の胸像を並べた。

 後ろに下がって、見比べてみる。

 同じモチーフで作った4体。

 ただし、それぞれタッチが違う。


 粗く切り込んで、面の持つ意志を強調したもの。

 ことさらに滑らかに削り、皮膚の触感を出したもの。

 デフォルメして、激しさを強調したもの。

 そして、4体目は‥‥。


 「ちょっと!」

 「あッ、ごめんなさい!」

 後ろに下がりすぎて誰かに背中がぶつかったので、慌てて謝った。

 振り向くと、大きなスケッチブックを抱えた空山が、沙希を睨みつけている。

 「朝も早くから呑気にタラタラ‥‥」

 口の中で唱えられた言葉は、沙希の耳には半分しか届かない。

 でも、ことばより雄弁で威圧的なのは、彼女の表情だった。

 沙希はお早うの挨拶も出来ないで、黙って空山の座る場所までの道筋を譲った。


 この美大に通うようになって、沙希はとても楽に生活できるようになっていた。

 アトリエに通うメンバーは、バラバラの時間に出て来るので、大勢の人間と一度に付き合わなくて済む。 

 クラスメートと比べられて一喜一憂する、あの胃の痛みを感じなくて済むのだ。


 時間の制限がない中でする制作活動は本当に楽しく、沙希は生まれて初めて自由に自分を表現していた。 

 そうやって物を作ってみると、自分がある一定のレベルの物を作る力があることにも気づいて来た。

 それは才能とは別の物かも知れない。

 でも時間をかけると人並み以上のものが出来ると解っただけで、すごいことだという気がした。


 唯一、沙希の落胆の原因となったのは、この空山の存在だった。

 最初、彼女が同じアトリエに通うと知っただけで、ここを辞めようかと思ったくらいだ。

 ハキハキと率直な物言いをするこの同級生が、もともと苦手だった。

 しかも、マラソン大会の時のあの発言。

 思い出すのも苦しいトラウマの上に、更に相馬を失った事実がかぶさっている。


 空山の方も、沙希がここに通うことが気に入らないらしく、再会の時から雰囲気は最悪だった。

 「なんで、美術の美の字も知らなかった人が、特待生と同じ扱いなのよ?」

 初めてアトリエで顔を会わせた時、いきなりそう言って噛み付いてきた。


 「特待生ってなに?」

 「あんた知らないの?

  ここに通ってる人はみんな、スカウトされて来た人なのよ。

  唐沢さんなんて、教頭が惚れこんで、通ってた大学まで日参したって。

  才能のある人を開発して、画廊に紹介したりしてんのよ。

  だから、みんな月謝とか払ってないわけ。

  バイトするために短大やめた誰かさんとは、扱いが違うんだから」


 「そうなんだ。 みんなすごいんだね」

 実際は、沙希も月謝は払っていない。

 バイトを始めたのは、沙希のやり方では材料費がかかり、とても母に頼めないと分かったからだ。


 「空山さんも、都内の美大を受験したって聞いたけど。

  そこを蹴ってこっちへ来たんでしょう? すごいね」

 沙希の言葉に、空山は一瞬、きっとにらむ様な目つきになった。

 

 空山は、美術部で三年間頑張ってきた人だ。

 そのことへのプライドがあって当然だ。

 沙希にはそれがない。

 なのに、沙希の作品だけが職員室前に掲げられていた。

 その辺りが、在学中から鼻についていたのかも知れない。


 何の取りえもないと思っていた自分を、ライバル視してイライラしている人がいる。

 そのことが沙希には不思議で仕方なかった。


 その後、ひょんなことから沙希は、空山が美大の受験に失敗していたことを知った。

 両親は就職を勧めたが、空山は美術を諦め切れず、ここに月謝を納めて通うことにしたのだという。


 沙希はそれを聞いた時、肩の辺りがふっと楽になったような気がした。

 空山の態度に、泣きそうになったりせずに済むようになった。

 誰にも傷はあるものだ。

 それを暴き出して、空山を愚弄する気にはなれなかった。




 「ああ、とうとう出したね、相馬の顔」

 後ろから声をかけたのは、唐沢という先輩だ。

 橋爪教頭先生とふたりで、彫刻用の木材をワゴンで運んで来たのだ。


 唐沢はキャビネットに歩み寄って、4体目の石膏を手に取った。

 「いつ作るのかなあって、橋爪先生とも話してたトコなんだ。

  何体作ったって、これが出なきゃ沙希ちゃんはおさまらないのになあ、って」


 「そんなんじゃないんです。

  最初から相馬くんを作ろうとしたんですけど、上手に出来なくて。

  で、練習してから再チャレンジしようと思って」

 沙希はあわてて説明した。


 橋爪教頭は、荷物をワゴンごと棚の隙間に突っ込んでから、作品を見に近寄ってきた。

 「この教室始まって以来ですよ。

  石膏の扱いを教えた途端、同じモチーフで立て続けに5体も量産した人は」

 「沙希ちゃん、到達点がきまってるんだもんなぁ」

 唐沢は、胸像を採光のいいテーブルに運んで置いた。

 

 「ほら、この位置から見ないと目が合わないんだ。

  先生、こんな変わった視点の作品、見たことあります?」

 斜めに胸像を見下ろしながら、唐沢が面白がる。

 

 「ええっ? 目が合うも何も、眼球なんか入れてませんよ?」

 沙希が驚く。

 「いやいや、目は入ってなくても、この作品はこう見るために作ってありますよ」

 教頭が唐沢に同意した。


 「沙希ちゃん、これねえ。

  最初から寝かせて作ってみるべきですよ。

  ここから見た顔の比率が正しい割合なんだ、‥‥でしょ?」

 「先生、それ言ったらまた沙希ちゃん、寝かせたヤツ5~6体作っちゃうよ」

 「うーん、そろそろ彫る方も教えたいんだが」

 「来年ですかね?」

 ふたりの笑い声は、暖かかった。

 沙希を馬鹿にしているものではなかった。


 「呑気なやり方して‥‥。 時間に余裕のある人は違うわね」

 空山は馬鹿にしたように口の中で呟いた。

 彼女は夜間の大学に通っているので、アトリエには午後2時までしかいない。

 「あんたと相馬君って、結局付き合ってたわけ?」

 「え? 違う‥‥」

 「よくカレシでもない人の顔を堂々と作るわよね」

 「堂々って‥‥」

 人の勝手だろうと思うのだが、沙希はこういうときにさっさと反論することが出来ない。

 

 「いいじゃん、俺だって女の子描くとき、ちょいユウカ似にしちゃったりするぜ」

 唐沢が助け舟を出してくれた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ