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信じられなくて

 告別式は、相馬の実家で行われた。

 お父さんがお経を読むのかと思ったら、喪主の席に座ったままだった。

 もっと偉そうな、年取ったお坊さんが来て、朗々と経を読んだ。


 黒いリボンの付いた相馬の写真を、沙希はじっとにらんでいた。

 あの時、沙希の前ではじけたのと同じ笑顔がそこにあった。

 

 いきなり、涙があふれてきた。

 それまで沙希は、相馬の死を何度告げられても、泣くことはなかった。

 もちろん信じられなかったからだ。

 でも、今だって信じたわけではないのに。

 なぜこんなに泣けてくるんだろう?


 クラスメート達も、制服姿で顔をそろえていた。

 泣いている子もいたし、淡々としていた子もいた。

 どちらも嘘っぱちだという気がした。


 こんなの茶番だ。

 儀式とか、お別れとか。

 蝋燭とか、線香とか。

 きらきらの仏壇、長々しいお経、涙、涙。

 茶番劇だ。


 「絶対死ぬなよ。

  俺も死なねーぞ。

  オマエも大きい声で呼べよ!」


 あの時の相馬くんが、私の相馬くん。

 ここにいるのは、死体と言う名の別人だ。

 

 沙希は涙を拭いた。

 「お母さん、帰ろう。

  帰りたい、もう判ったから、連れて帰って」

 「お焼香だけはしなきゃだめよ」

 母は言ったが、沙希はそれをしたくなかった。

 儀式に参加することで、相馬が本当に死んでしまうような、そんな気がした。



 「あのう‥‥安堂 沙希さんですか?」

 帰りかけた沙希と母の後ろから、声をかけた人があった。

 40歳前後に見える、細身で上品な感じの男性だった。


 「このような場所で声をかけるのはどうかと思ったのですが‥‥。

  この機会を逃すとなかなかお話が出来ないと思ったので。」

 男性は、一枚の名刺を沙希と母に渡した。


 「美術専門学校?」

 「はい、そこの教頭をしております。

  じつは先日、お宅の高校に行った際、沙希さんの作品を見せていただきまして。

  ぜひ、どんなお嬢さんなのかお会いしてみたくなりました」

 

 「はあ‥‥」

 沙希も母も、どう反応していいのかわからない。

 「すばらしい作品でした。

  実は、私の実家は染物をやってまして。

  ああいう長い物をみるともう、つい興味を持ってしまうんですがね。

  今日はもうお疲れでしょうから、そのうちお話に行ってもいいでしょうかね?

  まだ数日は病院におられるのでしょう?」

 「はあ、、たぶん‥‥」


 「それでは、その時を楽しみにしています。

  では」


 「あっ!‥‥あの、すみません!」

 突然、沙希は衝動にかられて彼を引き止めた。

 「何ですか?」


 「教えてください。

  死ぬって、どうなることだと思いますか?」


 なんでそんなことを、初対面のこの男に聞いたのか、沙希にもわからなかった。

 男は首をかしげ、少しほほえんだ。


 「そうですね。

  まっすぐなものが、輪っかになる、という事だと思います」

 男は自然な仕草で沙希の手を取り、

 「その話も、今度したいですね」

 そういい残して、立ち去った。


「まっすぐなものが、輪っかになる。

  それが死ぬということ‥‥」

 

 病院のベッドで、沙希はその言葉を繰り返した。

 何度も何度も、口の中で。

 「不思議なことを言う人だわねえ」

 母にも意味がわからないらしい。


 「輪廻転生のことかしら」と母。

 「生まれ変わるってこと?」沙希はあまり詳しく知らなかった。


 「仏教の考え方でね。

 生物はみんな同じ命を持ってて、一生を終えると、次の肉体に入れられて生きるという思想ね。

 だから、小さな虫でも殺さないように、それは去年死んだお爺ちゃんかも知れないよ、って言うの」


 「じゃあ、死んだらみんな転生の輪の中に入るんだ、と言う意味なの?」

 沙希はその言葉を、今回の相馬に当てはめてみようとした。


 (まず、相馬くんが食堂で死んだ、と仮定する。

  それが素早く転生して、あたしのとこに来た‥‥?)


 ‥‥そんなわけない。

 食堂に遺体が(半身でも)あったなら、沙希の所にいた相馬の体は実体じゃないことになる。

 転生するのに同じ顔って事はないだろう。

 実体じゃないものは、転生したとは言わないだろう。


 やっぱり、極限状態で見た幻なんだろうか。

 死の恐怖と、孤独の中で。

 沙希の頭は、勝手に自分の好みの状況を妄想してしまったのだろうか?


 大好きな人にそばにいて欲しい。

 ふたりきりでいれば怖くない。

 抱き合って暖め合いたい。


 まつ毛の長い相馬の顔のアップ。

 あれも、沙希の想像力が作り出したものだったのだろうか?

 絶対ありえないと思っていたものが、日を追うにつれ、自信がなくなってきたのも確かだ。



 

 告別式の2日あと。

 中年の婦人が、病室を訪ねて来た。

 「その節はお見送りいただきまして‥‥」

 入り口で頭を下げたまま、涙で声が出なくなってしまった。


 相馬の母親の顔を見たのは、葬式の時と今で二度目だった。


 母があわてて椅子を譲り、お悔やみと訪問のお礼を言った。

 沙希は言葉を発することが出来なかった。

 

 相馬は戻らず、自分は戻って来てしまった。

 そのことが申し訳なく、そして悲しく、思いの大きさが口を塞いでしまったのだ。


 

 「じつは、息子の日記を見つけたんですが。

  こちらのお嬢さんに渡してくれと、書いてありましたもので」

 黒い表紙の手帳を、相馬婦人は沙希に手渡した。


 「‥‥日記に書いてあった?」

 沙希は手帳をめくってみた。

 予定を書き込むための狭いスペースの中に、ぎっしりと小さい文字が詰め込まれている。


 最後のページは、あの崖崩れの時の日付け。


 

 「この日記は、私が死んだら、安堂 沙希さんに差し上げてください」

 大きく何日分も取って、そう書いてあった。

 

 沙希の体は震え始めた。

 だいぶ落ち着いていたはずなのに、また貧血のめまいがしてくる。



 あの時の約束を、どうやって日記に書き込んだの?

 それとも、あの日が来るまでに、相馬くんはこの日記を見せようと決めていたの?

 わからない。

 でも、ひとつわからなきゃならないことがある。


 沙希は震えながら、日記を抱きしめた。

 相馬は約束を守ってくれた。 これは真実だ。

 生きて帰った沙希に、日記が届いたのだ。

 相馬は約束を守った。

 

 「相馬くんのおかあさん。

  私、相馬くんに守ってもらったんです。

  事故の時もだけど、もっと前からずうっと、クラスの中で私を守ってくれた。

  言葉がきつくて、私は気付かなかったけど、ずっと守ろうとしてくれた」


 あの時、沙希の体の上に乗っていたのが、何なのかはわからない。

 相馬の幽霊?

 沙希の作った幻?

 根性で生きようとして奇跡の宿った、死体?

 そんなことを考えても、解明する手立てはない。


 まるでつるつるの金属の壁を、掌で撫でて探っているみたい。

 その向こうに真実があったとしても、行きつけることのない隔たり。

 でも、そこを突き抜けて届いたこの日記は、間違いなく相馬の意思が入っている。

 それで充分じゃないかという気がしてくる。


 私、応えなくちゃ。

 相馬くんの思いに応えなくちゃ。

 なんて言ったっけ、彼は。

 そう、見返してやれ、と言ったんだ。


 入り口の鍵を持ってる、とも言ったんだ。

 やり残したことがいっぱいあるだろう、無念を作るなと、言ったんだ。

 

 そういう思いで考えてみると、沙希はこれまで何もしようと思わなかった。

 何かしかけては、人より遅いとか、人よりヘタだとか言ってやめてしまった。

 誰かが馬鹿にしたとか、誰かに邪魔にされたとか、そう言っては挑戦の場面を回避した。


 人と同じに出来ないことを、沙希は嫌いになった。

 小学校の図工も、夏休みの宿題は進んでやったが、学校の授業はいやだった。

 人のためにやるのじゃないのに、いつも比べて情けなかった。


 何一つ挑戦せずに、何かうまくなれるとでも思っていたんだろうか?

 


 その晩、沙希は相馬の日記を、長い時間かかって読んだ。


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