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好きになって

 「おい、安堂! この馬鹿!」

 放課後帰りかけた沙希を追いかけて怒鳴りつけたのは、相馬だった。

 「オマエ、昨日なんで休んだ?

  マラソンいやで逃げたんじゃないだろうな!」

 「ぐ、具合悪かったから」

 怖い。

 相馬の怒った顔が見上げられなくて、下を向いてしゃべった。


 「うそつけ。 みんなが言ってたの聞いたんだろう?

  オマエが休めば、勝てるから休んで欲しいって」

 沙希は黙っていた。

 「空山のやつ、みんなに言ってたぜ。

  誰か安堂を説得して休ませてくれないかなあ、って。

  オマエ、それどっかで聞いたんだろ?」

 沙希は返事をしなかった。

 「なんでそこで休むよ?

  失礼な事言うなって怒るだろ、普通!

  オマエがそんな馬鹿だから、あいつらが図に乗るんじゃないかよ!」


 沙希は相馬をにらみつけた。

 くやしくて、腹が立って、でも何を言っていいかわからなかった。

 沙希はいつもそうなのだ。

 感情が昂ぶると心が苦い汁のようになって、口をきくことが出来なくなる。

 だからといって、感情が安定している時に怒るものではない。

 それで、結局誰にも意見が言えずに終わってしまうのだ。


 にらみつける目から、涙が静かに盛り上がって来た。

 「泣くくらいなら、見返してやれよ!」

 相馬はその涙をも叱った。

 「なんにも、ないもん‥‥」

 「ああ?何がない?」

 「見返すほど、人よりうまいもの、あたしにはないもん…」

 「何かあるだろ?」

 「ないよ」

 相馬は、特別何かがうまいというわけではなかったが、要領のいいタイプだった。

 何をやっても苦労したことがない人に、わかるわけがない。


 「なんにも取り柄がない人だっているんだよ。

  そういう人だって、友達は欲しいんだよ。

  いちいち怒ってたら、誰も付き合ってくれないよ」

 「友達いなかったら、誰かに怒られるのか?

  いいじゃん、いなけりゃいないで、ひとりでいればよ」

 「そんな、寂しい‥‥」


 「馬鹿だなオマエは!

  泣くなよ、俺なんかの言うことでさあ!」

 相馬は派手に舌打ちして、ポケットからあんまりきれいじゃなさそうなハンカチを出した。

 「聞き流せよ! 俺の言うことなんか!」

 無理やり押し付けられたハンカチに、沙希は面食らった。


 ずっと怒られているんだと思ってたけど。

 もしかして違うんだろうか?

 なぐさめてたつもりなんだろうか?

 みんなを責めて、あたしを励ましてくれてたんだろうか?


 もし、あれがなぐさめのつもりだったのなら、相馬はものすごい不器用な人だ。

 沙希は自分が否定されたとしか思ってなかった。

 泣きながら、同時におかしさがこみ上げてきた。

 変な人だ。

 分かりにくい人だ。

 でも、ひとつ分かったことがある。

 この人の「馬鹿」は、クラスのみんなの「気にするな」より、ずっとずっと優しい。


 その日から沙希は、相馬のことを怖いと思わなくなった。

 教室にいるとき、耳を澄ますようになった。

 相馬の足音を聞き取る。

 友達としゃべっている話の内容を盗み聞きする。


 遠くからでも、足音が聞き分けられるようになった。

 くしゃみひとつでも、相馬がするとすぐわかった。

 そんな馬鹿なことが得意になってしまった自分が、ちょっと可愛いと思った。

 沙希は、相馬を想っている時の自分が、いつもより好きだった。


 ある日、帰りに雨が降り始めた。

 「あーあ、傘なんか持ってきてねえぞ」

 相馬が今井君たちに言うのを聞いて、鼓動が跳ね上がった。

 沙希は折りたたみ傘を持って来ていた。


 言えるかな。

 なんて言おう。

 ずっと考えながら、彼を目で追った。


 教室で話し掛けるタイミングを失った。

 どうしよう、どうしようと口の中で繰り返しながら、ソロソロとあとを追った。

 下駄箱の所で、名前を呼んだ。

 「相馬くん、あの、もし‥‥」

 言いながら傘を開こうとしたら、焦ってうまく行かなかった。

 何度開いても、中途半端にぱらぱら畳まってしまう。


 「ドンっくっせーなー!!」

 相馬は沙希から傘を奪い取り、さっさ開いて外に出る。

 「ちっちぇー傘!

  オマエ背が低すぎて、俺とじゃ守備範囲に入らねえじゃん」

 言いながら、なるべく縮んで沙希にさしかけてくれた。

 ドンくさいと言われて嬉しかったのは、これが初めてだった。


 「そうそう、俺、一個見つけたぜ」

 「何を?」

 「オマエの得意なこと」

 「…置き傘?」

 「ははは、傘は思いっきりヘタクソだったじゃんかあ!

  そうじゃなくて、職員室前のでかい額の絵!あれオマエだろ?」

 「あ‥‥」


 それは夏休みに自由課題として製作したものだった。

 もともと、1学期に授業でやったデザイン製作が面白かったので、もう少しやってみたくて作ったのだ。

 細く切った画用紙を、機織りのように組み合わせて模様にする。

 ただそれだけの単純な作業は、あれこれ手順を気にしなくても出来る。

 そういう意味では、沙希に向いている作業だった。

 色々な色合いの市松模様を作り、切り取って組み合わせた。

 それを大きな紙に隙間なく貼りつけてタペストリーのようにした。

 インドの曼荼羅みたいなものが出来た。


 美術の松島先生がいたく感動して、ぜひ装丁して飾りたいと言ってくれた。

 横長の額に入れ、廊下に掛けられた作品は自分のものじゃないみたいに立派だった。

 後にも先にも、美術で誉められたのはこの作品ひとつだけだ。


 「得意なわけじゃないよ。たまたま偶然出来たものだよ」

 沙希が言うと、相馬はうなずいた。

 「そうかもしれないけどさ。

  俺は、あれ見て、ずいぶん時間かかったと思ったんだけど違うか」

 「うん。 時間はかかった。

  10日くらいほかになんにも出来なくて」

 「だろ。それだけ面倒なことが、飽きずに出来るってのも才能じゃないか」

 「飽きないのが、才能‥‥?」


 「なんだってそうなんだろうけどさ。

  例えばサッカーのセンスがすごくあるとするだろ。

  これは天才だと周りが騒いでも、本人がボール蹴るの大嫌いだったら天才プレーヤーになりようがないだろ。

  好きこそものの上手なれって言うけどさ。

  まず好きになれたら、それが第一の才能なんだと思わね?」

 「最初の才能?」

 「入口の鍵を持ってるヤツってことだ。な?」


 沙希は自分の掌を見た。

 何にもないと思っていた自分の手の中に、1つでも未来の鍵があるんだろうか。

 「そんなことでいいのかな。

  未来の職業につながるものとかでなくてもいいのかな」

 「オマエ、そんな堅い話じゃねえだろ?

  かけっこやマラソンなら未来につながったのかよ?」

 「そ、そうね。 でも、こんなものが‥‥」

 「だいたい、贅沢なんだよな。

  俺なんか、何やったって未来の職業には繋がんねえんだぞ。

  うちは寺だし、俺は一人っ子だからさ。

  坊主に繋がるものしかできないなら、学校なんか行かずにお山で修行だ」


 「相馬くん、お坊さんになるの?」

 「しょうがねえだろ?

  ‥‥あ! 笑ったな? 今こっそり笑ったろ」

 「わ、笑ってないよ」

 「笑ってるじゃん。 ちぇッ、みんなすーぐハゲ頭だけ想像しやがんだ」

 「ぷっ」

 「わーらーうーなー!」

 相馬は傘を持ってないほうの手で、沙紀の髪の毛をぐしゃぐしゃに掻き回した。

 

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