吹っ切れて
「あの‥‥馬鹿なことやってるって、思ってませんか?」
学生食堂の隅っこで、沙希は唐沢に聞いてみた。
「誰のこと?」
「私のことです」
「なんで?」
「亡くなった人の、記憶ばかり作ってる‥‥から」
「いんじゃない?」
唐沢は、こともなげに言った。
この人は変わった人で、年下の沙希だけではなく先生にも初対面の人にも、この軽い口調を崩さない。
その上マイペースで、飯に行こう行こうと誘うくせに、一緒に座ってもろくに話しかけてこない日もある。
口下手な沙希としては、かえって気を遣わなくていい相手だった。
「その程度の馬鹿は目立たないって。
美術やってるヤツなんて、どっか馬鹿でなきゃ勤まんないよ」
「でも、唐沢さんはすごいじゃないですか。
デッサンされてるの見たら、寸分の狂いもなくて、完成したら迫力があって」
「当たり前のものを作る馬鹿さ」
「当たり前?」
「ただ本物そっくりに描けばいいんなら、写真がある。
本物そっくりに作ればいいんなら、モデルに石膏付けて型取っちまえばいい。
そうでないから芸術なんだろ?
そうでない部分は、作者の心ってやつだ。
じゃ、その心ってヤツは、その人特有の、誰にも理解できないものがいいと思う?
それとも、みんなが同感するような、ありきたりのものがいいのか?」
「みんなに伝わるものがいい、ですよね」
「だろ? そうすると、当たり前のことを当たり前に感じて、それを作品にするヤツが売れる芸術家だ。
でも、そういうものを目指すために、日夜ありきたりの感じ方を心がけてる、って言ったら、いっそ馬鹿だと思うだろ?」
「はあ。 唐沢さん、そういうこと心がけてるんですか?」
「うーん、モチーフとか選ぶ時にもついついそういうものを選んじゃって。
で、あーオレって意外性のないやつだな、とか思いながら作っていくのさ」
「それであのすごい作品ですか」
「馬鹿だろ?」
「もっと他のことがしたいのに、受けないからしないんですか?」
「ちぇ。 面白くねー言い方すんなあ」
「すみません」
「謝るな、図星だよ」
どこまでが本気かわからないような表情で、唐沢はケケケと笑った。
「ホント言うとサア、沙希ちゃんが相馬の顔作ってくれて、なんかほっとしたんだ」
「どうしてですか?」
「沙希ちゃんをここに引っ張り込んだのは、オレと相馬だと思うからさ」
「え?」
「実は、沙希ちゃんの作品が教頭先生の目に留まったのって、オレと相馬のせいなんだ」
「どういうことですか」
「オレね、相馬と同郷なわけ。 弟が同級生なんだよね。
で、去年の11月かなあ、文化祭かなんかで、あんた達の高校に行ったら相馬と会ってさ。
記念に携帯で写メ撮ったんだよ。
相馬がここがいいって言ったのが、沙希ちゃんの作品の前でさ。
で、そのあとずっと忘れてたんだけどね。
3月に相馬が亡くなったって聞いて、その時の写メを見直したんだ。
そしたら、これだ」
唐沢さんの差し出した携帯を見て、沙希はあっと叫んだ。
沙希の大きな作品をバックに、唐沢と相馬が並んでピースサインをしている。
その後ろに。
「相馬くんの顔がある!」
相馬の肩口から、相馬の顔がのぞいている。
心霊写真、だ。
「で、オレは会う人ごとにこれを見せて、すごいだろーってやってたわけ。
それが、教頭先生の目にも留まったって事だ」
沙希は言葉を失った。
閉じてしまった輪の中から、また相馬の声が届けられる。
次の日から、沙希は本格的に、斜め上から見た相馬の顔を作り始めた。
だいぶ慣れてきたので、今度は3体ほどで完成した。
「この次は何にするね?
彫刻に行きたいんだが、まだ顔を掘りますか?」
教頭に聞かれて、沙希は首を振った。
「基本を習ったら、等身大のものが彫りたいんです」
「いきなりかね」
「全身じゃなくていいです。
こう、この部分に人が入れるものが作りたい」
「胸の部分かね?」
「抱きしめて欲しい人、みんないるでしょう?
そういう人を思い浮かべるための装置、です」
「うーん」
「芸術的じゃないからだめですか」
「いやいや、芸術的じゃないものなんか、この世にはないんだよ。
もしかしたら、あの世にもないのかもしれん。
ただ、きみが何かずいぶん吹っ切れたように見えるから、びっくりしたんだよ」
教頭は優しく笑って、一つ大胆な発言をした。
「もし、完成品が今年中に10を越えたら、展覧会を開こうか」
「えええ?」
「なんで笑うんですかねえ」
「だって、こんなへたくそ、誰も見に来ませんよ」
「もちろんきみだけじゃなく、他の特待生との合同ですよ。
でも、きみの作品が一番、全体のパワーを上げるでしょうから、それが10体で決行です」
沙希はただ笑っていた。 教頭が自分を励ますために大き目な話をしていると思ったからだ。
この先生がどれだけ本気で物を言う人か、沙希はまだよくわかっていなかった。