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喋る黒猫とうそつきの麦わら  作者: 香澄 翔
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ひとときの憩い

「ふん。ま、しかし、四月一日わたぬきねぇ。有子ゆうこ、こいつは春渡しをするつもりで連れてきたのか」

「うん、そうだよ。だって今年はまだ春渡しできていないもの」


 ありすはにこやかな顔で告げる。


「春渡しったって、もう実際には夏だろ。今年はやんなくていいんじゃないかとお父さん思うんだけどな」

「だめ。やるの。絶対。こんなチャンス滅多にないんだから」


 娘に一言で言い切られて、けんさんは言葉に詰まる。


「いや、しかし、なぁ。今まではばあさまだったけど、今回は」

「もう、いいからお父さんはあっちいってて。やるの。絶対」

「いや、しかし……」


 口ごもりながらも、娘に背中を押されてずるずると奥の方へと向かっていく。


「家人がうるさいにぎやかなおうちだけど、ゆっくりしていってね。私は謙人けんとさん、大歓迎よ」


 奈々ななこさんが朗らかな笑顔で告げる。

 別に僕はありすの家にお邪魔するつもりは全く無かったんだけどなぁと思いつつも、野宿するのに比べれば格段に好ましいのは確かだ。


「ありがとうございます。短い間だと思いますが、お世話になります」


 言いながら深々と頭を下げて、ひとまず受け入れておく事にする。

 奈々子さんは優しそうな人だったし、お父さんの健さんも言葉ほどは怖い人でもなさそうだった。数日の間、厄介になってもそれほど困る事はなさそうだ。


「有子、謙人さんを客間に案内してあげて。あそこなら普段は使っていないから、ちょうどいいと思うし」


 向こうの部屋にいるらしいありすに向けて奈々子さんが声を上げる。


「はーい。今行きます。お父さんは、このまま引っ込んでてねっ」

「いや、しかし、なぁ」


 向こう側でまだ健さんはぼやきを漏らしていたようだった。

 すぐにありすが再び姿を現す。健さんはそのまま隣の部屋に押し込まれているようだ。


「謙人さんお待たせしました。こっちです」


 ありすは少し先の部屋を指さすと、すぐに背を向けて歩き始めていた。

 その後ろを悠々とミーシャがついていっている。

 仕方なく僕もその後について歩いた。


「この部屋を使ってくださいね」


 案内された部屋はタンスや本棚があるものの、特に変わった様子もないごく普通の畳の部屋だった。


「布団は押し入れに入っていますから、そちらを使ってください」

「ありがとう」


 ありすの言葉にひとまず礼を返す。

 背負っていた荷物を部屋に下ろして、それから部屋の中にあった座椅子に腰掛けさせてもらう。


「ひさしぶりに一息ついたよ。昨日は泊まるところもなくて野宿だったからね」

「そうだったんですね。まぁこの辺はこの村以外には何もないですからね。よくいらしてくださいましたねっ」


 ありすはぽんと手を打つと、にこやかに微笑んでいる。

 その隣でミーシャが箱のようになって座ってくつろいでいた。


「しかし、こんなところに一人で旅してくるとは物好きもいたものだね」

「それは自覚してる」


 ミーシャの言葉に自嘲ぎみにうなずく。

 高校にも行かずに旅をしているなんて、変わり者もいいところだろう。僕以外にいるとも思えない。それも徒歩の旅だ。自分でも馬鹿みたいだとは思う。


 でも僕にはやりたい事も特になかった。兄のように優秀でも無かったから、会社勤めをしようとも思えない。もしかしたらただ未来から逃げているだけなのかもしれない。


 それでも旅をする事で何かを見つけられたらとも思う。それが何なのかは、僕自身にもわからなかったけれど。


「ま、何もないところだけどゆっくりしていってほしい。たぶん村の人達が話し合って、三日後の夏祭りの前、つまり明後日に春渡しをすることになるんじゃないかな」


「わかった。それならここにはそれまでの三日間、世話になるよ」


 春渡しは夜通し行うらしいから、さすがに終わってすぐ旅立つという訳にもいかないだろう。それに村の夏祭りにも少しは興味がある。

 小さな村だけに特にこれといったものはないだろうけれど、そんな経験を積むのも悪くはないだろう。

 僕は心の内で思うと、ありすが嬉しそうな笑顔を向けていた。


「はいっ。ぜひ楽しんでいってください。あと村の皆さんにも紹介しますから」


 この村はどう見ても過疎が進んでいるようだったから、来客も普段はほとんどないのだろう。客人が珍しいのかもしれない。


「いや特に紹介してくれなくてもいいんだけど」

「ええーっ。だめですだめです。春渡しの主役なんですから、ちゃんとみんなに知っていてもらわないと。それに」


 ありすは言いながらちらりとミーシャの方へと視線を移す。

 しかしミーシャは全く気にした様子もなく大きなあくびを漏らしていた。


「せっかくですから、この村を好きになってもらいたいです」


 真剣な眼差しを向けるありすに、僕はこれ以上首を振るう事は出来なかった。


「わかった。なら紹介してもらうよ」


 あまり好きな訳では無かったが、特別に人付き合いが苦手という訳でもない。挨拶程度なら問題ないだろう。

 とはいえ、あまり得意という訳でもない。正直誰とでも仲良くなれるというタイプでもなかった。


 ありすはかなり人なつこい感じだったし年下だからか、すぐに慣れたけれど、さすがに年上の人とはすぐに仲良くするのは難しい。


 そういえばさきほどのこずえも人なつこい子だったなと思う。

 出来ればみんなあれくらいフレンドリーな人ばかりだと助かるのだけど。


 そしてそう願う僕の願いは、ある意味では受け入れられていた。


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