9 - デューク
デューク視点。
七歳の時です。
「……不審な男?」
「そう。 どうやら安値で粗悪とも言える品物を仕入れて、それを今度は高値で人に売りつけて来る人がいるらしいのよ」
「なんで捕まらねえの?」
「それがね、相手と場所を考えているのか、中々見つからないの」
小さい頃からあちこち歩き回っていたこの町は、最早庭のような場所。
商店街の店の人達も殆どが俺を認識していて、今じゃこうやって店同士の情報とやらを俺に教えてくれることがある。
内容は今日の目玉商品から、収穫率やら相場の変更やら、更には人の噂まで。七歳の俺にはまだまだ早いだろう内容ばかり。
話が通じると思っているのだろう。実際通じてはいるから、良いんだけど。
その日聞いたのは、ここ最近出回っている、押し売りしてくる悪質な商売人の話だった。
女子供を狙っているというそれは、どうやら人気の無さそうな場所やら、逆に人通りが多い場所を選び行われているらしい。
周りに商店街の他の店員や自衛団等がいないのを確認して、声を掛ける。そのまま半ば強引に品を買わせる。
とある店の情報通の店員が俺、デュークにこの話をしたのはきっと俺だったらその犯人を見つけられると思ったからだろう。
実際、女子供をターゲットにしているってことだから、俺はターゲットの一人になりえる。まぁ、中身を知ったらそんなことを思うわけがないんだろうけど。
今日の商店街は、いつもより人通りが多い。
俺はその道を慣れたように人と人の間を潜り抜けるようにして歩いていく。流れに逆らう動きだって慣れてしまえばなんてことも無い。
歩きながら、聞き耳をきちんと立てておく。入ってくる内容は、これ安いわね、とか、あと必要なのは、とかそんな他愛のない買い物に来た人達の独り言やら会話やらばっかりだ。けれど、俺は聞き耳を立てるのをやめない。
なんとなくだけど、もしその押し売り野郎が今日もそれをやってるなら、今日は人気のない場所よりこういう人通りの多いところでやってそうなんだよな。
それはいわばガキの勘のようなものだろう。けれど、何故か無性に自信があった。そうでなければ可笑しいと思う程の、確信。
だから、俺があの野郎を見つけたのは、最早当然のことだった。
◆
くそ、ガキ扱いしやがって。
そんな不貞腐れた気持ちが湧き上がる。
押し売り野郎を見つけて、どうにか捕まえてやろうと思ったのに、ターゲットになりうる子供である俺は、結局のところ野郎にとって何の脅威にもなりえなかった。
助けにきてくれたと言わんばかりのブレッドのおっさんは、不服そうな俺の様子を見て楽しそうにしてる。
俺にこの話をしたのはお前の妻だぞ。まぁ、わかってるからこうやって来てくれたんだろうけど。
頭を撫でられて、その手を叩いた後にふと、あの押し売り野郎の狙いとなっていた女の子の方へ振り返る。
声が聞こえて、俺の視界には野郎しか入ってなかった。
割り込む時、女の子の後ろ姿だけは認識していたから、女の子だってことはわかってたけど……捕まえることに夢中で気にもしてなかった。
まだ視野が狭いのはガキたる証拠だろう。気を付けて行かねばならない。
だから、ちょっとだけ後ろめたい気持ちはあった。不甲斐ない自分を認識したことによる罪悪感。
けど、彼女をこの視界に入れた時、そんな感情も一瞬で吹き飛んだ。
――見つけた。
初めて見た時湧き上がった感情は、その一言だった。
◆
「デュークが一人の女の子にあんなに夢中になるとはなァ」
そう楽しそうに笑うブレッドのおっさんに一言了承を得てから、売り物の林檎を一つ手に取って軽く拭いた後齧りついた。
これが俺の今回の報酬らしい。ちょっと安い気もするけど、こういうのは恩を売ったことに意味があるから気にしないでおく。
「俺のだから、誰にも手出しさせねぇよ」
シャクシャクと音を立てながら食べつつ、俺は事も無げに言い放つ。別れたばかりだけど、俺の名前を呼ぶ彼女の声が頭に響く。
「ガチじゃねぇか」
「ガチだよ」
「お前も何だかんだ、あの血筋の子ってこったなァ」
ブレッドのおっさんは、小さい頃からこの町に住んでいて、店だって親のを継いだ人だ。だから俺の父親や、兄貴達のことを知っている。
否定せずに黙ったまま林檎をまた一口食べる。鮮度の質を売りにしているおっさんの店の商品に、外れは殆どない。
酸味も程よくあるが、それでも全体的に甘さを含んだ果実を飲み込んで、視線だけおっさんの方へと向けた。
「それだけじゃねぇよ」
否定ではなく、肯定。それどころか、何かを含ませるような言い方をした俺に、おっさんは首を傾げた。興味深そうに片眉さえも上げている。
「ほう? まだ他に何かあるってのか」
「さぁね」
これ以上教えるつもりは無いと言外に告げるようにはぐらかせば、食べ切った林檎の芯をおっさんに投げ付けた。「汚ぇだろ」と言いつつ受け取ったおっさんはそれをゴミ箱へと捨てる。
こういうのが肥料になるとか聞いたことがある。然るべき場所へとおっさんなら処理してくれるだろう。
変に詮索されるより先に、俺は店を後にした。一度口を閉ざせば、絶対に割らないということを知ってるおっさんは、立ち去ろうとする俺に一言最後今日のあの一件のお礼を再び告げて、見送ってくれた。
最終的にあの野郎を再び捕まえて、自衛団に突き出すまでやったのはおっさんなのに、俺が功労者だと褒めてくる辺りが、あの人の人の良さってやつなんだろう。何だかんだ、俺もあの人のことは嫌いじゃない。
帰路につきながら、そっと右手で左胸辺りの服を握る。
ぎゅう、と痛む胸の痛みは、いつも不快だけど今日は気にならなかった。
ふと、足を止めて彼女のことを思う。
アイヴィー。ミルクティー色のふわふわとした髪に、蜂蜜を溶かしこんだような金というよりもは琥珀のような瞳。
訊けば同い年だと言う女の子。身長は、どうやら俺の方がまだ小さいが、将来は絶対に越せている筈なので、焦ってはいない。気分は良くないが。
思い馳せると、頭から離れなくなってしまう彼女の存在は、今日たった数時間しか会っていないのに、俺の中で大きいものとなっていた。
でも。
「……まだだ。 まだ」
抑え込むように、息を吐いた。
何がまだなのか。何故か俺はそれがわからない。けど、胸の痛みが酷くなるにつれ、そう考えてしまう。
思うがままに彼女を手に入れようとはしてはいけない。何度も自分に向かって言い聞かせた。
一目惚れ、なんて可愛い言葉で収まらないだろう感情。
これを、彼女に向けるのは、まだ駄目なのだと痛む心臓を宥めるかのように、繰り返す。
どくんどくんと鳴っている筈の心臓に、抱くのは違和感だ。
物心ついた時から、何かが足りないような感覚を覚えていた。
それが、兄達の言うこれだというものへと執着のような傾倒のことかと思っていたが、どうやら違う。
だって、こんな仄暗い気持ちを、彼らは持っているようには見えなかった。
「……ふう」
締め付けられるような胸の痛みがゆっくりと引いていく。落ち着くのと同時に息を大きく吐いた。
何はともあれ、明日だ。約束した。明日、また会おうと。
急ぐ必要は無いと何回目になるかわからない言い聞かせを自分に向かって行う。
まだ、出会ったばかりだ。下手に急いでしまえば、逃げてしまうかもしれない。
――逃げ道を、全て無くしてから捕まえないと。
よそ見などさせないように。けれど、束縛を悟らせないように。
そればかりを考えてしまう自分に気付いて、人気のない通りに一人。耐え切れずに声を出して笑いを漏らした。
日の沈む、夕暮れの時。
やけに伸びた影が、俺の足元からのびていた。