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「おう、大丈夫か。 二人とも」
押し売り男は、店主のおじさんと何度か言い合いを終えた後、不服そうな顔をしながらそそくさにその場を去った。
胸倉を掴んでいた手をやや乱暴に放したせいで、少年の身体はふらついてしまって、私はそれを慌てて後ろから支える。
そんな私達の様子を見たおじさんが、心配そうに声を掛けてくれた。まだ、恐怖が拭い切れなくて、上手く声が出なくて小さく頷くことでしか返事が返せない。
「ああ」
そんな中、ちょっとだけ、拗ねたような声が少年の口から出て来た。その様子に気付いたおじさんが、軽く笑って少年の頭に手をやる。
「一人で解決出来なかったからっていじけんじゃねぇよ。 頑張ったな」
わしゃわしゃと頭を撫でられて「撫でんな!」とその腕を叩いている光景にきょとんとしてしまう。
しかし直ぐに、この二人は知り合いなのかと納得する。私も、おじさんのことを知っているのだから、少年が知っていてもおかしくはない。
二人の様子を見ながら、ふと、周りに意識を向けた。そうすると、そこにいた人達が何かを噂するようにひそひそと言葉を交わしていることに気付く。
「さっきの男の人……」
「あれでしょ? 粗悪品を安値で仕入れて高値で押し売りする……」
「女子供を狙ってるとか」
「そう言えば私の友人も……」
どうやら、私達、というより先程の男性についてのようだ。
陰口のような雰囲気に、何を言われてしまうのかと少しだけ不安が湧いてしまったが、自分に対してじゃないとわかってちょっぴり安心する。
……というか、そんな問題ある人なら、ちゃんと捕まえて欲しいんだけど。そう思ってしまうのも、無理はない。実際に被害に被りかけた私としては、あんなのがうろついているなら、こんなところ来たくないって考えてしまう。
ちゃんと取り締まってほしくて、おじさんに声を掛けようと顔を二人の方へと向けた瞬間だった。
「お前」
くるりと、ずっと背中を向けていた少年が、こちらを振り返った。
目が合う。黒だと思っていた髪は、よくよく見ると日差しに当たっている毛先がやや茶色っぽい。多分、ちょっと傷んでしまっているんだろう。
しかし、それよりも目が惹かれたのは、彼のその瞳だ。
深い、青。 海を彷彿とさせるような、深海のような青が光を取り込み、とても綺麗。
まるで引き込まれるような感覚を覚える。 対して、少年もまた、ゆっくりと目を見開いていく。
見つめ合って、数秒の沈黙。
何と言えばいいのか。 言葉が出てこなかった。
でも、私の胸はとくとくと脈を打っていて。 少しずつ、頬に熱が集まっていく。
「……大丈夫だったか?」
沈黙を破ったのは、少年の声だった。
気付けば、見開いていた瞳はまるで蕩けそうなぐらい柔らかく、こちらを見つめている。
「え、あ、う、……うん」
さらに頬の熱が上がる。 なんだろう。なんか、甘い。 甘ったるい、感覚がする。
「ん。ならいい」
笑むように、目が細くなるのを見て胸が高鳴った。
ちょっとだけ私よりも身長が低い、男の子。 だけど、言動も、表情も何もかもが、私よりも大人びてる。
「そういや、買い物に来てたんだろ?」
何か、言葉を切り出さなきゃ終わってしまう。そんな、わけのわからない気持ちから言葉を口にしようとするけど、何も浮かばなくて。
どうしようと狼狽えていると、不意に話を切り変えるように、少年の方から声を掛けてくれた。そして、その言葉にハッとして頷く。
そうだった。つい目の前の少年に気を取られてしまったが、そもそもの目的はお遣いだ。それを遂行しなくてはならない。
そんな私達の様子を見ていたおじさんが、辺りを見渡すように視線を動かした後、首を傾げて私へと問いかけた。
「というより、アイヴィーちゃん。 今日は親はいないのかい?」
「あ、あの、今日は一人で……あの、お遣いだったんです」
「なるほどなぁ。 あんな小さかったのに、立派になったなぁ」
納得したのか、おじさんは感心したように笑みを浮かべる。手をすっと伸ばしてこちらの頭を撫でようとしたようで、私は何度かそれを両親とおじさんの店に訪れた時に受けているから、気にせず受け入れようとした。……のだが。
「触んな」
べし、とその手さえも目の前の少年が勝手に弾いてしまった。
突然のことにびっくりして目を見張ってしまう。おじさんも、まさか私へしようとしたことを、私じゃなくて少年に遮られたことに驚いたようできょとんとしていた。
しかし、その表情もすぐさま崩れ、おじさんは寧ろ面白いものを見たと言わんばかりに笑い出す。何がそんなに面白かったのだろうか。叩かれた手をひらひらと振りながら笑うおじさんに対して、私はおろおろするだけだ。
「あ、あの」
「いいもん見れたなぁ。 ……ああ、アイヴィーちゃん、買い物ってことは俺の店にも来るつもりだろ?」
「え? あ、そうです!」
「俺はちょっと寄るところがあって、それから店に戻るから。 あれだったら他の店から回って、うちの店に来てくれ」
それまでには、戻るようにするからと最後に付け足して、再びおじさんの手は私の頭上に伸ばされ――また少年に弾かれてしまった。
今度は耐え切れないと言わんばかりに大笑いするおじさんと、それが面白くなかったのか「いいからさっさと行けよ!」と強めな言葉で言う少年。
……仲、良いんだなぁ。
突然のことばかりで、私はそれぐらいしか思えなかった。
そもそも、なんで少年がおじさんの手を叩いているのか、それをおじさんが楽しそうに見ているのか。何もわからなくて。
うーん……取り敢えず、おじさんの言う通り、他のお店から回るか。行く予定の店にいるのは、全部行ったことがあるから、知ってる人ばかりだ。
さっきの押し売り男のことは、やっぱり怖かったし、私にはまだ一人のお遣いは早かったんだなと思うけど。ちゃんとやるべきことはやらないと、両親にただ心配を掛けるだけになってしまう。
「わかりました。 他のところから行ってみます。 あの、後で行きますねっ」
「おう。 待ってるぞ」
未だ何かを言い合っている二人に向かってそう言えば、おじさんはいつもお客さんへと向ける笑顔を私に向けてくれた。
その変わらない優しさにじんわりと安心を覚える。
それじゃあ、と目的の店へ向かおうと踵を返した時、背後にいる二人の方から私を呼ぶ声が聞こえた。
「おい」
「え?」
それは、少年だった。
まだ、何かあるだろうか。
さっきまでは、まだ話したいと言う気持ちがあったけれど、私の中は随分と時間を押してしまったために、お遣いを遂行することでいっぱいになっている。だからこそ、彼が何が言いたいのかさっぱりわからない。
「その、買い物、付き合う」
「……え?」
「一人だと、まだ怖いだろ」
それは、ややぶっきらぼうな言い方だった。
けれど少しだけ耳が赤くなっているのに気付いて、その後ろにまだいたおじさんもにこにこ笑っていて。
ぽふん、と私の顔がまた赤くなる気がした。
それは、さっきのせいでまだちょっと怖いと思っていたのがバレている恥ずかしさと、気付いてくれた嬉しさ。
「デューク」
彼は、ぎゅっと手を握られ、少し引っ張られるように歩きながら、一つの名前を口にする。
「デューク?」
「おう」
「あの、私は」
「知ってる。 ……アイヴィー、だろ。 おっさんが何度も呼んでたから覚えた」
こくりと頷いた私の方など見ずに、真っ直ぐ前を見て歩いていくデュークの後を追うように歩く。
繋いだ手がやけに熱くて。まるで素っ気ないような態度を取られているのに、ちっとも気にならない。
デューク。
頭の中で、何度も彼の名前を繰り返した。
その日から、彼のことを、彼の名前を思い返さない日などないぐらいに。
それが、私と、彼との出会い。