21
「……無礼であるという自覚はおあり?」
少しの沈黙の後、小さくため息を吐いたリンダ様はそう私に問いかけた。
無礼。
貴族のルールだったか。目上の者に声を掛けられるまでは、掛けてはいけないっていう。
あまり詳しくは理解していないけれど、一応公爵邸で学んだ記憶はある。
けれど、その時に同時に教えてもらった内容も思い出し、萎縮することなく、真っ直ぐ前を向いて彼女と対峙する。
「はい。けれど、ここは学校です。 学校は法の下、この学校に通う者全ては身分関係なく平等の立場である、という規則があったかと思います。 無礼かもしれませんが、規則違反ではありません」
「……」
今まで、私から彼女に話し掛けたことはない。
規則違反になるからじゃなくて、それこそ、話し掛ける理由が無かったから。
殿下とのことだって、弁解も何も、私の中では何の関係も出来てないと思っている。それを、わざわざ彼女に説明する必要性がわからなかった。
だって、ちゃんと見ればわかると思うのだ。私は一度だって彼らに話し掛けられて嬉しそうにした覚えもないし、私から話し掛けたこともない。
いつか、気付いてくれるだろう。何もせずとも、落ち着くだろう。
そう思っていた。
けれど、もう、そうは言ってられない。
「あの、私の話を聞いて欲しいんです。 聞いた上で、それでも許せないならいくらでも罵っていただいてもいいんです。でも、どうか」
今更、と切り捨てられても可笑しくは無いと思う。私だって、今更だと思う。
最終的に、こうやって話に行くことになるなら、最初から行くべきだったのだ。
私が何もしなければ、大丈夫。 そんな慢心が、こんな状況を生んだのだろう。
都合が良い。 そう思うと、段々と自信が無くなっていく。
「……場所を移動しましょう」
駄目だろうか。中々返答を返してくれないその沈黙に、ついにそんな不安が湧いて、視線が下へと向いた。
貴方と話すことなんてありません。そう一言言い捨てられる覚悟を持ってはいたけれど、実際の私の覚悟なんて大したものじゃなかったようだ。
けれど、そんな私の様子を見て、彼女は切り捨てるのではなく、受け入れてくれる。
どうぞこちらに、と踵を返そうとするリンダ様を見て、恐る恐る視線を持ち上げた。
「……良いんですか?」
「ええ。 ……私も、貴方とは一度二人でお話してみたいとは思ってましたから」
ど、ど、ど。と耳に響くぐらい鼓動がうるさくて。学校に通うようになってから、こんなに緊張したのは初めてだ。
リンダ様に言われるがまま後をついて行き、一つの部屋に辿り着く。
ここは高貴族の中でも成績優秀者三名に与えられる特別なサロンの一つだそうだ。つまり、リンダ様はトップスリーの中だということ。
本当凄いな。
因みに私の成績は中の下ぐらい。 下の下じゃないだけまだマシだと思ってる。
一つ一つの家具やら何やらが高価そうで全然落ち着けない。促されるままにソファに座る。
彼女は少し離れたところでカチャカチャと何かしていた。
……あれ、お茶、淹れてる?
「貴方、砂糖はいくつ必要かしら」
「え、あ、じゃあ二つで……というよりお茶は私が」
「あら? 平民風情が淹れたお茶をこのわたくしに飲めと?」
「……滅相もございません」
目上の人にお茶を淹れられている。その状況が流石にやばいことは私もわかる。
けれど、実際彼女の言う通り、私にお茶を淹れるセンスなど無い。美味しくないお茶を出されるぐらいなら自分で淹れた方が良いというのは、真理だ。
……お茶の淹れ方、覚えとこう。
内心でひっそりと決心する。覚えておいて損は無いだろう。
そんな感じで一人静かに座っていると、音も立てず、目の前のテーブルに美味しそうな紅茶が差し出された。そのまま対面に彼女が座るのを見届ける。
優雅にお茶を飲む姿も綺麗で、所作全てが洗練されつくしている。田舎育ちの何も知らない女が見てもそう思うのだから、きっと百人中百人が素晴らしいと両手を叩くに違いない。
生きる芸術品みたいな人だな、本当に。
こうしてまじまじと見て、思う。
殿下は彼女の何が嫌だと言うのか、という疑問。
「……それで? 話と言うのは?」
「……あの、殿下のこと、なんですけれど」
いつ話を切り出して良いものか。タイミングがわからず、そもそも出してくれたお茶を飲まないのも失礼な気がする。
そんな思いから、こちらも紅茶を飲もうかと指先がティーカップに触れようとしたその時。突然話題を切り出されてその指はそっと膝の上に戻った。
触る前で良かった……!
優雅にお茶を飲みながら話せるほど度胸は無い。ガチャッとかゴクッとか絶対音を立ててしまう。
流石に喉が枯れてきたら飲むかもしれないが、今は彼女の気が変わらない内に言いたいことを言ってしまうのが重要だ。
その間にはしたないと思われるような所作は極力するべきではない。
そう気を取り直して、話しておきたかった内容を切り出す。殿下の名前を出したせいで、微かに眉尻が跳ねたような気がする。無理もないが、話は最後まで聞いてくれるつもりらしく、彼女の口は閉ざしたままだ。
「……その」
しかし、いざ話し出そうとすると、言おうとしていた言葉は口から上手く出てこなかった。
別に誰かに防がれてるというわけではない。ただ、語ろうとしている内容に問題があった。事実をちゃんと述べれば理解してくれる。心のどこかで慢心していた。
けれど、真っ直ぐに冷静に見つめてくれる彼女を見ていると、そうじゃないと思ってしまう。
そりゃ、そうだ。
私はその気は一切無いのに、殿下の方から寄って来ている。だから私に矛先を向けられても困る。だなんて、正直に告げて、解決するわけがない。
ここにきて、耳を傾けてくれているたった今、それに気付いてしまった。
ちょっとだけ、血の気が引く。殿下が勝手にやっている、だなんて目の前の彼女からしたら至極屈辱的だし、何より殿下に失礼と判断されてしまう。それだけでさらに好感度はマイナスされるだろう。今時点でも相当マイナスだろうけど。
そこまで悟って、自分にはどうしようもないことなんだと、気付く。
婚約者を咎めても聞いてもらえず、近付く女性に告げても結果は変わらず。
挙句にはその女性が私は別にそんなつもりはないと言ったところで。ならいいんですよって許して終わるわけもない。
そもそも。許せるわけが無い。 許しちゃいけないんだ、彼女は。
許すという事は、彼女自身が、彼女の立場を否定することになる。
胸がぎゅうと痛くなった。
そんな彼女に、私は何を言えるのだろう。
ごめんなさいと謝るべきか? 私が悪いことをしたわけでもないのに?
私にその気がないから安心して欲しいとでも言うのか? そもそもあの男が私に懸想していることが許されないことなのに?
頭の中で、色んな言葉がぐるぐる廻る。
どうしたらいい。 私は何を言いたいんだろう。
彼女を傷つけたいわけじゃない。
折角話を聞いてくれようとしていたのに。
罪悪が募る。けれど、何でもないと告げてこの場を切り上げるしかないかもしれない。
色々考えて、まとまらない思考のまま、強引に話を終わらせる方向へと持って行こう。
そう、考えた。 そんな時だった。
――お前は単純なんだから、難しいこと考えても何も得しねぇよ。
そんな、聴き慣れた、大切な人の言葉が頭に響いた。
そうだ。
そうやって、言われた。
「……殿下に、リンダ様は勿体ないと思います」
するりと出た言葉は、本音だった。
「……なんですって?」
「あ、えと」
見るからに怒りを滲ませていくリンダ様に、さらに冷や汗が湧き出て来る。無理もない、突然婚約者を悪く言われたのだ。リンダ様のような責任感の強い方は怒るに決まっている。
というか、怒るとわかっていたのに言ってしまった。そもそも、こんなことを言うつもりは無かった。
ただ、私の大好きな声が、我慢しなくていいって言ってくれた気がして、ついその妄想に甘えてしまった。
私も大概である。
しかし、言ってしまったものは仕方ない。どうせ何を言ったって怒られるし、嫌われるのだ。いや元々嫌われているのだが。
……そうだ。今の私に、失うものなんて何もないんだった。なら、とことん言ってしまおう。
「貴方、殿下に向かってそのような物言いは……!」
「で、でも! 殿下はリンダ様の婚約者なんですよね!?」
「そ、……そうですけれど」
「婚約者がいるのに、めちゃくちゃ私に言い寄ってくるんです。私はやめてくれって言っても謙虚な姿勢が好ましいとか言って」
「それは……」
「あと私は名前呼びを了承してないのに、呼び捨てですし」
「まぁ……」
「そういうのを避けるために、わざわざ教会で名前を貰って来たのにですよ」
凄むように強い言葉で私を咎めようとするリンダ様に対して、負けじと強い勢いで言葉を返す。
まさか、私がここまで勢いよく話し出すと思っていなかったようだ。突然の私の主張にたじろいだリンダ様は段々と言葉を失っていく。
ついでにと言わんばかりに名前呼びについても触れる。これについては、先日リンダ様も気になっていた筈だ。
勘違いされてはいけないと、しっかりと了承していないことを伝える。
なんなら、折角高額のお金を支払ってもらった名前だから、そっちで呼んで欲しいぐらいの気持ちだったりする。流石にそれは言わないが。
因みに、その姓は「カーヴェル」という。
アイヴィー・カーヴェル。 それが、今の私の名前だ。
「それに、私貴族になるつもりもなくて」
「……そうなの?」
「平民のまま、帰りたいんです。 もう、半年以上も実家に帰れてなくて……多分、このまま帰さずに、どっかの貴族と結婚させて囲い込もうとか、思われてるんだろうなって」
「……」
ぽつりぽつりと話し出したら、今度は止まらなくなっていく。
ずっと胸に抱えて来た澱みのようなものが、次から次へと吐き出されていった。リンダ様は途中から相槌も打たず、ただ真っ直ぐ私を見遣るだけ。
話し過ぎだとわかっているのに、止まらない。
ここでリンダ様が少しでも制止してくれたら、止まれたかもしれなかったけど、彼女はそんなことをしなかった。だから、口から本音が零れていく。
誰にも、吐き出せなかった、ずっとずっと抱えてきた本音。
「ただ、私はあの時みんなを……大切な人を、助けたかっただけで、こんなこと、望んでなかった」
目をぎゅっと瞑った。あの光景が鮮明に思い出される。
ただ、守りたかった。失いたくなかった。
忘れもしない、出来やしない。悪夢のような光景。今でも、夢に見る時がある。
彼が、デュークが、私を守るために。
「っ、」
胸が痛くて、張り裂けそうで。ひゅう、と喉奥が空気を鳴らした瞬間、目元に柔らかい何かが当てられる感触に、瞑っていた瞼を上げた。
目の前には、リンダ様はいなくて。けれど、彼女は立ち去ったわけでは無く、気付いたら隣にいた。
隣にいて、そっと、ハンカチを私の目元に当ててくれていた。
視界が潤んでいる。泣いてるんだと、そこでやっと自覚した。
「リン、……」
思わず名前を呼びそうになって。けれど、その声は先程までとは全然違う、優しい瞳と、柔らかな笑みを見て、込み上げる感情の波に巻き込まれて消えてしまった。
◆
結局、ちゃんと会話が出来るようになるまで大分時間が掛かった。
子供のように泣きじゃくる私を、リンダ様は落ち着くまで待ってくれた。
「貴方のこと、大分誤解してたみたい。 ごめんなさい」
「そんな……私も、失礼なことをさっき言いました。 ごめんなさい……」
そう真っ先に謝罪してくれた彼女に、私も素直に失礼な態度を取ったこととかを謝罪する。
「それでなんだけれど」
リンダ様曰く。
「貴方の後見人であるテイラー卿は、とても温厚な人で……それこそ己の利益のために人を利用するとか、あまり好まない人なの。だから、そんな彼でも貴方をそのように拘束しているとなると……きっと、貴方の予想通り、国が絡んでいる可能性は高いと思うわ」
落ち着いてから、リンダ様は真剣な様子で先程言った私の話の内容を考察してくれた。
私よりも国の情勢とかを理解している彼女の言葉だからなのか、それとも、私の話を否定することなく聞いてくれたからだろうか。彼女の言う言葉は、すんなりと頭に入っていく。
この学校に来て、初めて私の話にちゃんと耳を傾けてくれている。それが、何よりも嬉しくて安心した。
私の後見人であるテイラー公爵は、私が思っているより悪い人ではないと思う。そう彼女が言ってくれて、それについてもこくりと素直に頷いた。
確かに、もし本当に早急に囲い込みたいなら、やりようはあった気がする。公爵家には息子が一人いて、彼はまだ婚約者もいなかった筈だから、それこそ、そのまま婚約をそこで結ばせたりとか。そうじゃなくても、会わせて、懇意にさせようとしたりとか。多分、色々出来ることはあったのかも。
「公爵の息子さん?とも初対面で挨拶したっきり、会ったこと無いですし……」
「セオ兄様と? ……言われて見れば、わたくしもここ最近は会っていませんわね」
セオ兄様と呼ぶリンダ様に首を傾げると、ああ、と気付いたように説明してくれる。
「貴族の中では周知の事実みたいなものだから、言ってなかったわね。 テイラー公爵令息であるセオドア・テイラー様と私の兄のイライアス・ジェファーソンは同い年でね、幼馴染なの。だから、私は彼のことも兄のように慕っているのよ」
「そうだったんだ……」
イライアス・ジェファーソンというと、メル花の攻略対象者だ。
リンダ様と同じ深い真紅の髪色を持つ彼のイメージカラーは赤。情熱というか、人好きするような明るい性格の人。
……何かと理由を付けて、馬車で妹を迎えに来たという名目で私に話し掛けてくる人だ。
「……カーヴェルさん?」
「え、はい?」
「確認なんだけど……兄とは」
「全くもって他人です」
「あら、そう……」
なるほど。と納得したように頷くリンダ様の様子が、ただただ嬉しくて胸がジンとする。
何故かはわからないけれど、理解してもらえている。
別に理解してくれなくてもいい。ただ何事も無く卒業できればいい。そう思っていた。けれど、こうしてみるとやっぱり理解してもらえるということが、嬉しい。
……でも、幼馴染だというセオドア・テイラーはゲームには出てこなかったような?
メインとまではいかずとも、サブキャラとかに実はいたのだろうか? そんな疑問が湧くが、やはりピンと来ない。
「それで、問題の殿下なのだけれど」
一通りの話を終えた後、少し間を置いて。そう、リンダ様は話を戻した。
その言葉を聞いてぴくりと肩が跳ねる。一番最初、相当失礼なことを言った自覚はあった。謝罪はしたけれど、撤回するつもりはないために、話をすればするほど、また失礼なことを言ってしまいそうな気がする。
「わたくしもね、彼にはほとほと困り果ててしまっているの」
「…………はぁ」
ちょっとだけ、身構えていた体勢から力が抜ける。
多分、本心から話してくれている。そう思えるのは、彼女の表情だ。さっきまでとは違い、まるで年齢相応な、取り繕っているようなものではない。
だからこそ、その言葉の内容に呆けてしまうのも仕方ないと思う。
いや、確かに殿下のあの行動は客観的に見ても酷い。愛想をつかしても可笑しくはない。
でも、何となく、私はリンダは殿下のことがそれでも好きなのだと思っていた。
「言っても聞く耳を持たないし。別に、側室や愛妾を作るななんて言ってないのに」
確か、貴族は一夫一妻制だが、王族だけは重婚というか、側室や愛妾を作ることを認められている。
「……リンダ様は、殿下のことが好きなんですよね……?」
「ええ、勿論。 けれど、彼に私は別に好かれているとは思っておりませんもの」
「……それでいいんですか?」
「それとこれとは話は別ですわね。 勿論、良い夫婦関係を築くためにも、好かれたいとは思いますし、努力もしますわ。 でも、人の心というのは思い通りにはなりませんもの。 ……貴方もでしょう?」
「それは、その」
「……先程言っていた、大切な人。 ……殿方なのでしょう?」
こくりと頷く。
「貴方が、その方をずっと愛しているのと同じように、私も彼をずっと愛してはいます。 ……けれど、相手が幸せならば、その気持ちを私に向けてくれなくとも、私は構わないと、そう、思うようになってしまいました」
少しだけ眉を下げて笑う彼女は、あまりに儚げに見えて。
その原因……きっかけは、きっと殿下の、私への好意を目の当たりにしたからだ、と。わかってしまったから、何の言葉も思いつかなかった。思い付かなかったけれど、凄く、遣る瀬無い気持ちだけは湧いてきて、その時私は、怒られるのだって構わないと、リンダ様のことを強く強く、抱き締めた。
最初は私の名前を呼んで、咎めるような言葉を吐いていた彼女も、ぺしぺしと私の背を叩いて咎めていた手を止めて、ぎゅ、と応えてくれた。
それから、少しだけの間。二人で、ひっそりと泣いた。




