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そうして連れられた広場は、それはまた私にとっては凄く魅力的な場所だった。
さっきの商店街と違い、大きく開けた場所の中心には、水が噴き出る何かがあって。近くに椅子があり、大人や子供が座っている。
近くで子供が楽しそうに走り回って。さっきのお店とはまた違う小さなお店みたいなのが、所々にあった。
けれど、賑やかなのはここも変わらない。 楽しそうに聞こえてくる笑い声や、お客さんを呼び込むお店の人の声。色んな声が重なっている。
お母さんは、お父さんに何かを言ってどこかに行く。どこ行ったの? と訊けば、何か軽く食べられるものを買いに行ったんだよと教えてくれた。
よく見れば、美味しそうな匂いを出している小さなお店の前に、お母さんが並んでいる。何を買ってきてくれるんだろう。楽しみが一つ増えた。
しかし、それよりも、私は気になって仕方ないものがある。
それは、広場の中心にある水が噴き出ているものだ。お日様の光を浴びて、きらきらしていて、とても綺麗。
お父さんの手を引いて、広場の中心へと向かう。そこに辿り着けば、背伸びして、中をのぞき込もうとするが、ちょっと難しい。
そんな私に気付いたのだろう。お父さんがすぐさま私を抱き上げた。視界が一気に高くなり、見上げていたそれを、今度は見下ろす立場になる。
「ほら、アイヴィー見てごらん。 これはね、噴水って言うんだ」
そんな父親の声が後ろから聞こえてきて。
水が湧き出る場所の外側に、水が溜まっている。ゆらゆらとした水面が、お日様の光で反射して、まるで鏡のように世界を反転させて映している。
そこには、噴水を覗き込んだ私の顔も、反射されている。
思えば、鏡なんて高価なものなど家には無くて。自分の顔がどんななのか、気にもしたことが無かった。
だから、その水面に映り込んだ私の顔が、どこか、見覚えのあるような。お父さんとお母さんの面影とは違う、既視感のようなものを持っていることが、とても不思議で、首を傾げてしまった。
そんな私を見て、噴水がよくわからなかったのだろうと、お父さんは説明をしてくれた。
説明を聞きながら、それを理解していきながら、ふと、そのことさえも疑問に思った。
まるで、今まで当然だと思っていたことが、当然ではないんじゃないかという感覚。
私は何でも気になって、直ぐにお父さんやお母さんに訊く。
これはなぁに?
これはどうして?
なんで? どうして?
問えば、お父さんもお母さんも、嫌な顔一つせずに教えてくれる。
教えてくれることが嬉しかった。 教えてくれることを覚えていくことが楽しかった。
いや、可笑しい。
教えてもらって、直ぐに理解できてしまうなんて、可笑しい。
まるで、私の中の持っている当然の知識と、ここに存在する知識を紐づけて、理解していくような。
それは、まさに年齢不相応とも言える、不可思議な知識。
その時、ようやく私は自覚した。
私は、何かを持っているのだと。
ならば、その何かとはなんなのか。 この知識は何なのか。 この、感覚は何なのか。
私が私でないような。 そんな、何か。
大人しくなった私を、お父さんは流石に疲れたのだろうと解釈した。
サンドイッチのような食べ物を手に帰って来たお母さんが、これを食べたら帰りましょうかと笑いかける。
それに小さく頷いて、帰りはお父さんに抱っこをせがんだ。
頭の中は、まだごちゃごちゃしている。
◆
家に帰って、一息ついて。私は一人悶々と考えた。
まぁいいやと放っておくには、気になり過ぎた。何でも知りたがる時期だったから、余計に。
けれど、何もピンと来ない。そもそも、何であの時突然不思議に思ったのか。あの時は、確か噴水に自分の顔が映って。
……映って?
ふと、思い至ったかのように外に出る。我が家は外に井戸がある。子供の私は水を汲むことはまだ出来ないけれど、帰宅してから先程までの短時間、急な通り雨があった。
だから、きっとある筈。そんな確信を持って向かったのは家の横の、井戸の場所。
井戸の横にある数個重ねられている桶の中で、唯一ひっくり返してない物があり、その中に、案の定雨水が溜まっている。
そっと近づいて覗き込む。ゆらゆらと揺れる水面に、ぼんやりと私の顔が映し出される。
その自分の顔を見て、唸る。
ミルクティー色の髪の毛に、黄色の瞳。……金っていうのかな?
名前は、アイヴィー。
平民だから、姓はない。
これが、私。私の名前。
……大好きな、ゲームの、ヒロインの、名前。
「っ!」
ぱしゃり、と。
反射的に顔を上げた拍子に身体が桶の側面に当たって、水面が揺れた。
ゆらり、ゆらり。
映し出される少女の面影を持つ、女性を、私は知っている。
途端、記憶が逆流するかのように、意識が浮いた。
地面に膝をつく。雨のおかげでぬかるんではいたが、そこにあった石にぶつかったのか、痛みを感じる。
でもそのおかげで、朦朧とする意識の中でも、今いるここが現実なんだと理解出来て、ちょっとだけ安心した。
まるで開きかけていた箱の蓋をそっと開けるように。漏れ出て来た記憶が溢れるようにそこから出てくる感覚。
ぎゅう、と強く瞑っていた瞳を、次に開いた時には、なんら変わらない景色が開けたかのように鮮明に映った。
ふと、空を見上げる。
雨上がりの空は、まだ沢山の雲があった。その隙間から覗きこむ日差しが、眩しい。
家の中に戻ると、お母さんが私の膝を見て慌てて駆け寄って来てくれた。
「アイヴィー! 外で転んでしまったの? 膝から血が出てるわ」
「母さん、綺麗な水はまだあったか?」
「飲み水が残ってるわ、今布を持ってくるから、アイヴィーは椅子に座ってなさい」
言われるがまま椅子に座って、両親の様子を見ていた。
お母さんと、お父さん。
私を育ててくれて、今日は一緒にお買い物に行った、両親。
けれど、思い出したばかりの記憶が、私には他にもお父さんとお母さんがいたのだと訴えて来る。
それは、生まれる前の所謂前世のものだ。今の私の両親じゃない。
今のお父さんとお母さんはこの人達で。
そして、この二人はあの『アイヴィー』のお父さんとお母さん、だ。
「う、そ」
そうして。
私は、この世界が前世でドハマりしていた乙女ゲームの世界だと、気付いてしまった。