my funny valentine
第3話 [My funny valentine]
一方、同じ頃のmultiは、というと.....。
午前中の状況が、更にひどくなり。
殆ど、実用に則さない。
(まったく、奇妙なhumanoidだ。)
不要な、意味不明なイメージファイルを、「創造」システムが繰り返し作成し、
「デート」のシミュレイトをしている。
論理機械としての、パラレル・マルチタスク・CPUは、こうした演算を
もっとも得意とする...筈だ。
「感情」が介在しない限りは...。
「なに、着てこかな....。」(ひろゆきさん、どんな服、好きかな...。)
「どこ、いこかな..。」(ひろゆきさん、どこにつれてってくれるかな...。)
「お天気、いいかな。」(きっと晴れるね。)
「何時に、どこで.。」(やっぱり、早く逢いたいな...。)
そんな、どうでも良いことを、何度も繰り返す。
それも、「恋人」に気に入られたいという、少女らしい感情だ。
恋に恋する。
ある種、人生で最も楽しい、一度だけの素敵な瞬間。
はじめての、デート。
ときめくハート。
multiは「女の子」として、幸せの頂点であった....。
殆ど、上の空のまま、授業は終わり、古臭いFM音源のゴングが鳴る。
D/Aコンバータの精度が悪いため、変換誤差がノイズとなって、ざわざわと聞こえる。
漣のように。
そんな、ノイジーな状況すら、今の彼女には心地よいサウンドなのであろう。
上機嫌で、掃除当番をこなすmultiであった。
「じゃ、multi、廊下頼むネ、あたし、ゴミすててくる。」
「あ、ありがとう、手伝うょ、私.....。」
「いいの、いいの、ついでだから!」
スポーティなショートカットの少女は、運動部なのだろうか。
すでに運動着に着替え、元気いっぱいだ。
ゴミ箱を重そうに抱え、廊下を歩いてゆく後姿を見送り、「友情」という文字の
実感を記憶しているmultiであった。
フロアの樹脂の表面を、水ぶきする。
旧態依然たる方法であるが、学校などといったものは常に遅れているものだ。
堅木の柄のついた、無塗装のモップのデザイン。
「朝日印」などという20世紀的なレトリック意匠は、もはや芸術的価値を感じる程である.....。
ともあれ、汚れを落とす、が、これが結構力がいる。
体重の軽いmultiにとって、前に進むだけでも一苦労だ。
水分を含んだ布地モップが、廊下の表面に吸着し、なかなか上手くいかない。
「......u..n.....。」
少しずつ、前後にこするように、徐々に、時間をかけて綺麗にしてゆく。
「よ、multi!」
すこし間伸びした感じの声。
multiは全身に、緊張が走る。
この声は....。
勢いよく、振り返る...と..。
「こんにち.......わッ!」
モップを持っていること、その長さを忘れていた。
「朝日印」は、コーティングメタルのbucketを倒す。
金属と樹脂の触れる音が、コンクリート作りの廊下に反響し、はるか遠方の者まで注視。
「......あ~.....ぁ。」
「朝日印」も、びっしょり。
「......。」
「.....。」
「す、すみませぇん。...。」
水浸しになった床。
転がっているbucket。
「よし!かたづけよ!」
傍らにいた、あかり。
「そうだな。」浩之。
「みんなでやれば、早く終わるもんね。」
「いぃえ、そんな、先輩にご迷惑です...。」
あかり、multiを見、にっこり、微笑む。
浩之も、静かにその情景を微笑みながら。
ごみ箱をかかえたさっきのスポーツ少女が、戻ってくる。
「あ~ぁ、multi、またやったのぉ。」笑いながら、bucketを拾い、片づける。
「ごめんねぇ....。」
「さ、かたづけよ。」
4人は、めいめいに掃除具を持ち、それぞれに片付けはじめた。
そよ風が清々しい。
春の訪れを予感させるような午後だった。
multiは「連帯」という単語のもつ意味を、重く実感していた。
「友達って、いいな...。」
いつも、彼女のそばには「愛」がある。
純粋なこころの共感.....。
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「...でも.....。」
あかりさんが、もしひろゆきさんを好きだったら。
どうしよう....わたし。
だれもが一度は直面するであろう「友愛」と「自己愛」の対立。
multiは、小さな悩みを抱える....。
「感情」を持つ故の、不条理な。
論理では、解決のできない問題があることに、
multiの制御システムは適切な解の選択に「苦慮」している....。
「『恋』って、難しい.....。」
博士のあの夜の言葉が、実感として感じられる。
「『一生をかけて』か...。」
multiは、すこしだけ、おとなになったような気分だった。
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さて、友人たちの尽力によって、清掃は終了した。
「じゃあ、みんなでかえろうよ。」
「...そうだな。」
もう、冬の陽は傾きはじめようとしている。
朝よりも、なぜか大きく膨れて見え、
色温度の低い、その光線を浴びて、multiはオレンジ色に染まりながら、
「ありがとうございます。本当に、いつも、ご迷惑ばかりかけて.....。」
綿雲、茜色にそまり、空色の中で際立って。
「なーに、いいってことよ。俺達『先輩』だからな。」
「そうよ、後輩を助けるのは先輩のつとめ!」
「お前、言うじゃない?、やーっと、
ドジなおまえにも、丁度いい後輩ができて、嬉しいか?」
「なによぉ、その言い方、あの事、いっちゃうぞぉ~、マルチちゃんに!」
「あー、わぁった、わぁった。」 語尾が震えている。
そんな、なにげないやりとりすら、multiには、貴重なものに思えてならない。
いつものような、自然な時間。
いつものように、楽しく過ぎる。
自然時間と、純粋時間。
果てることなく....いつまでも.....。
時間が永遠だ、と信じている。
少年の頃は、誰しも。
しかし......。
ふと気付くと、さっきの綿雲、菫色。空に、同化している。
時の流れを告げるかの如く。
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いつもの、LRTの停留所。
「ありがとうございました、本当に。。」
「いやあ、そんな(^^);;気をつけてな。」
「さようなら。」
家路に就くべく、彼女はLRTに乗車して....。
...あ、そうだ、お父さんの夕ご飯...。
駅前に、途中下車。
ショッピング・モール。
クリスマスにも似た、一種独特の華やぎ。
日本中の若者(とも限らんか)が一喜一憂する日は、間近。
日本中のお菓子屋さんが喜ぶ日....。
昼下がりののどかさが過ぎ、すこし慌ただしさを覚える今頃....。
その少女は、ひとり。
髪を簡素に両に分け、ゴムで束ねたストレートで、おさげ。
前髪に、特徴的なアクセント。
安っぽい赤のプラスティック・バゲージを下げ。
中には、ポケット・ティシュがたくさん。
今日も、寒風の中、労働に勤しむ...。
短いスカートからのぞく素足が、寒さで充血し、痛々しい。
労力の割に、実入りの少ないこのバイト。^^;(実感....。)
しかし、健気にがんばるおさげ髪であった.....。
アーケードのあちらこちらで、女学生の集団ができ、
それぞれに、かしまし、賑わい。
そんな情景をどう見つめているかは解らないが、元気にバイトをつづけている。
「はい、お願いします。」「おねがいしまーす。」
「よろしく、お願いしまーす!」
彼女の瞳に、ひとりの後輩の姿が映る。
小柄でやせ型。
切りはなしの碧の黒髪。
だぶだぶの制服...。
「あ..multiちゃん!」
呼ばれて、振りかえる。
エメラルド・グリーンの大きな瞳、きらきらと。
「あ、理緒さん。お仕事ですか?」
「うん、今日は、ここなんだ。」
「大変ですね、寒いのに。」
「うん、慣れてるから。multiちゃんは?、...あ、わかった、チョコでしょ。
カ・レ・シに!」
「え....?ちょこ?」
「ちがうの?」
「はい....晩ごはんの、おかず....。」
「そう....でも、あげるんでしょ、ヴァレンタイン!」
「はぁ...。」
「やだぁ、ほんとに知らないの、ヴァレンタインって、ねぇ....。」
「え、え、そういう日なんですか?」
「そうよぉ。喜ぶわよ。きっと。あ、おとうさんにもあげたら、ね?」
「じゃ、そうします。ありがとうございます、教えて頂いて。」
「うんうん。あ、いっけない。さぼってるとおわらないぞっと。じゃね。」
「これ、配るの、お仕事なんですか?」
「そう。あっちのカゴのもぜーんぶ!」
「わたし、お手伝いします。」
「いいのよぉ、そんな。これ、あたしの仕事だもん。」
「いいえ、お礼の代わりにはなりませんけれど。このカゴですね。」
「...そう、ありがと!じゃ、終わったら、安くて美味しいチョコ、売ってるとこ
おしえたげるね!」
「....。」(^^)一杯の、笑顔。
「おねがいしまーす。」
「おねがいしまぁーすぅ・」
ふたりの声、アーケードにこだまする....。
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「ずいぶん、遅くなっちゃって。」
「ううん、おかげでたくさん買えましたし、チョコレート。」
もう、星のまたたきがはじまろうとしている。
ふたりの少女は、寒さなど感じないかのようにおしゃべりに熱中している....。
ポプラの並木が、節くれだった幹も露に。
冬の風、凛々と。
公園に面した、大通り。
丁度、LRTがやってきた。
「ありがとうございました。」
「ううん、こちらこそ。助かっちゃった。」
ステップを昇り、振り向くmulti。
音も無くスライドドアが閉じる。
フラット・フロアなので、背の低い彼女は伸び上がるようにして。
「さよならーっ。」
と、手を振った。
LRTは音も無く走り出し、直ぐに雑踏に隠れてしまう....。
「さて、と。」
お下げ髪を止めているゴムのよじれを直し、少女は次の仕事に向かった...。
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一方の、multiは。
チョコレート、ヴァニラ・ビーンズ、シナモン、ミント...。
お菓子の材料が醸す甘い香りに誘われ、楽しい夢をみていた。
VVVF-Inverterが、音楽のように周波数を変え、従い速度は増加する。
....どんな、カタチにしようかな?
....よろこんで、くれるかナ...。
少女らしい想像が、彼女を優しい世界に連れて行く。
LRTの規則的なゆれを、心地よく感じながら、
シャボン玉のような夢が、いくつも浮かんで、消えてゆく....。
「ヴァレンタインって、いいなぁ...。」
人知れず、微笑んでいるmultiであった...。
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「ただいまーっ。」
「おお、おかえり。」
研究所にある、早瀬の研究室。
今だ、彼は仕事中だ。
「今日ね、学校でね..。」
楽しげに、学校での出来事を話す...。
早瀬も、仕事の手を休め、にこにことそれを聞いている。
このところ、すっかり彼女のペースだ。
「あ、いけない、お父さん、ご飯まだですね?」
「ああ、さっき軽くすませたが?」
「ちゃんとした物、つくります。(^^)。」
「.....そうか、じゃ、頼むよ。有難う^_^;」
あまり上手ではないながらも、このところどうにか食べ物らしくはなってきた。
彼女なりに、ひたむきな姿勢を、早瀬はとても愛らしいと思い、
いつしか、彼女を本当の娘であるかのように錯覚していた...。
それゆえ、「彼」の話しがでてくると“どきり”とし、妙に不安感を覚える。
まったく、不思議な話だが。
さっきまで、彼女の存在していた空間をぼんやりと眺めながら、
早瀬はそんなことをとりとめもなく。
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こちらはキッチンで。
なにやら“作戦”が進行中?のようで....。
夕飯も終わり、multiは片付けを済ませ、“いよいよ”製作にかかる。
製作とはいっても、チョコレートを湯煎にし、フレイヴァーを添加するだけのことだが。
殆ど、泥んこ遊びのような物だか、これが意外に難易度が高いのだ。
ゆっくりと、ブロックのチョコレートを溶解させる。
特有の、甘い香りがたちこめ、なんともムーディー。
前夜祭の雰囲気。か。
その芳香、Livingにいた早瀬にも。
「multi、なにをしてるんだね...。」と、仕切りのスモークド・グラスを..。
「あ、はいっちゃだめーっ!」
「....はいはい。」^_^;。
何をしているか、は、大体判るのだが。
それでも、いきなり出して驚かせたい、という、ちょっとしたいたずらこころ。
その気持ちを、大事に思い、
そのままLivingに戻る、早瀬であった。
穏やかな微笑みを浮かべながら。
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例によって(?)何度か試行錯誤を重ね。
どうにか、完成したのは夜半過ぎであった。
「できたぁ。」
会心の笑み。(^^)。
......でも、どうやって渡そう。
大問題発生!
そんな、恥ずかしくて渡せない.....。
でも。
せっかく作ったのに、渡さなくちゃ。
おどろくかナ、よろこんでくれるかな....。
つけ放しになっていたラジオから、音楽が。
旧い、ラヴソング。
甘い、female-vocal
--友達より、近くにいたくて
あなたにだけ 想いを溶かした.....My Sweet,My Sweet, Valentine....
繰り返す、ソフトなメロディ。
懐かしい感じ。
「想い、を、とかした.....。」
そんな、なにげない詩の一節が、なにか特別な意味を持っているようで。
どきどきしながら、明日を待ったmultiであった。
さて、ときめきながら、デイト・カウントは回る。
multi@system:date
Feb 14 20xx.....。
今朝も、とってもいいお天気。
ずずめのさえずり、ひよどりの鳴き声。
いつもの、情景。
「おはようございます。」
「ああ、おはよう。」
後ろ手に、近づく。ちょっと、いたずらっぽい表情。
「.....?。」
「はいっ!」
ちょっとしわがよっているけれど、華やかな色彩のラッピング。
金色の、リボン。
「.....multi?」
「今日は、ヴァレンタイン・デーよ、おとうさんっ!」
すこし、上気した感じに、微笑む。小首をかしげるしぐさが愛らしい。
「あ、ありがとう。multi。」(^^);;;
チョコなんて、学生の時分にもらったきりだ。
それも、義理で。
なんだか複雑だが....。
嬉しい。
少年に戻ったような心境の早瀬である。
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「じゃ、いってきまーす。」
「ああ、気をつけてな。」
早瀬は、包みを解いた。
少し、不格好だが、おおきなハート。
彼女の笑顔が、オーヴァーラップするようで。
少しかじると、ほろ苦く、甘い。
遠い昔の恋を想起させるような、手作りの味。
ヴァニラ・ビーンズの香りが優しい。シナモンが仄かに。
ミント・パウダーがアクセント。
「.........。」
なんだか、温もりを感じ郷愁にとらわれてしまう早瀬であった。
ご機嫌に駆けて行くmulti。
今日は、とっても、すてきな気分.....。
いたずらな風が、髪を舞い上げる。
でも、平気。
今日は、なにがあっても、大丈夫!
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さて、あっという間に(?)時は流れ、お昼休み。
いつものような日常....のようだが、今日は少しみんな浮き足立っている。
どうしたものやら。こうしたものやら。
いよいよ!
multiは、2年教室の方へ。
大事に、包みを抱えながら。
...どこにいるのかナ?
廊下の隅から、そっと覗く教室。
いない。
中庭の芝生?
...きょうはそこでもないみたい。
校庭のベンチ?
....芹香さんが、いつものように読書。
透き通った陽ざしの中に、漂っている。
「こんにちは!」
「.......。」こくり....。
..屋上かな?
屋上に昇ってみる。
いつものように、ぺたぺたと、ゴム底靴の音は響く。
重い、屋上への鉄扉を静かに開く、と...。
みんなと、一緒の浩之がそこに。
「....渡せない、みんなの前じゃ。」
...はずかしくて。
....どうしよう....。
今日、渡さないと.....。
扉の陰から、そっと見ている。
なんだか、私らしくない....どうして?
multiは、自分でそう思いつつ、後ずさり........。
「あっ!」
「きゃっ!」
誰かにぶつかり、転んでしまった。
「す、すみませぇん!...あれ?」
「あれ?」
^^; / ^^; ?
かわす視線、瞳と瞳。
理緒とmulti。
床にぺたんと。
転げたふたつのチョコレート。鮮やかなラッピング。
「.......。」
「.......。」
「もしか....。」
「.....して?。」
「そうだったんだぁ。」
「そうだったんだぁ。」
ユニゾン・コーラス。
ふたり、なぜか笑い出して。
狭い階段に、響く。
なにがそんなに、可笑しいの?
たぶん、あまりに偶然だから。
「......でも。」
「え?」
「フェアにいこうね!」
「....はい!」
午後の、穏やかな陽射しが、柔らかく。
もうすぐ、春が、来る。
そして.....。
「....!」
「....!」
またも、ユニゾン・コーラス。
ふたり同時に、差し出す。
色鮮やかな、包装紙。独特のムード。の。
そこに実在しながら、空想上の物体であるかのような、それ...ら。
「......。」面食らう、浩之。
屋上の空気が、一瞬水を打ったように。
「いよっ!い・ろ・お・と・こ・。」茶化す、志保。
「ぅ、るせえな、あっちいけ。」
「へへ~、ん、だ。」
静寂は、好ましく破られる。
静水面の、波紋の如く。
「.......。」無言、あかり。
....困ったな。
私、渡せないわ、これじゃ....。
なんだか、コミカルな。
my funny valentine....
それぞれに、それぞれの。
校舎を渡る風、爽やかに。
ぽかぽかと、おだやかな。
小春日和の、昼下がり.......。