2-1 黒魔女、運命を知る
むかしむかし。まだ、この世界に魔法が無かった頃。エレミア王国は干ばつによる大飢饉に襲われました。人々は飢えに苦しみ、たくさんの人が死に絶えました。
そんなある日、赤い瞳を持つ双子がエレミア王国にやってきました。どうやら彼女達はお金のない旅人のようでした。可哀想に思った村人達は、彼女達になけなしのミルクを振る舞い、家に泊めてあげました。すると姉は「一宿一飯のお礼に」と、不思議な力を使いました。すると、どうでしょう。枯れた川は清流に変わり、大地には再び緑が芽吹き始めたのです。村人達は大いに喜びました。
村人達は彼女達を歓迎し、彼女達は村に住むことにしました。
姉のナディアは輝かんばかりの美しい白髪を持ち、いつも笑顔で人々にとても愛されていました。一方妹のリディアはまるで夜の闇のように真っ黒な髪を持ち、いつも無愛想で村のみんなに嫌われていました。
ある日、二人は国を救った功績が認められ王城へと招かれました。なんと、そこで二人は、王子様に同時に恋に落ちてしまったのです。
王子に選ばれたのは、もちろん美しく優しいナディアの方でした。しかし、嫉妬に狂ったリディアは、闇の魔法で悪魔と契約し、王子様とナディアに剣を向けます。彼女達の戦いは、いつしか国をも巻き込む大きな戦争に発展しました。
……戦争は、一年にも及びました。
しかしある日、とうとう、王子様とナディアはリディアを打ち破ったのです。
捕らえられたリディアに、ナディアは言います。
「妹よ、本当ならばお前はここで死刑です。しかし赦します。お前は西の森で一生を過ごしなさい」
こうして、リディアは国から追放され、西の森へと姿を隠しました。
ナディアはその美しさと慈悲深さから『聖女』と呼ばれ、人々に深く尊敬される立派なお妃様になりました。
こうしてナディアは、王子様と幸せに暮らしましたとさ。おしまい。
「……ねぇ、ババ様。リディアはこの後、どうなったの?」
「そりゃあ、うちのご先祖様と結婚して、子供を産んだのさ」
「だからエレナの髪の毛は黒いの?エレナのおめめは赤いの?」
「ああ、そうとも。女を一番美しくする色だ」
「……そう。じゃあ、エレナ達は悪い人?黒魔法は、いけないこと?」
「そうさなぁ……。魔法には、悪いも良いもないのさ。大事なのは、使い方。エレナは、道を誤っちゃあいけないよ」
「……うん」
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ポツ
どこかで、水の滴る音がする。
ピチョン
水滴が、地面を打つ。
ピチョン
……もしかして、雨漏りだろうか。
いや、でもブラッディ家の屋敷で雨漏りだなんて……。
「っ!!」
一度違和感を感じれば、微睡みから意識が覚醒するのは早かった。次の水滴が落ちる前に、私は勢い良くその場から飛び起きた。
「痛ッ……」
身体を襲う痛みに、顔を歪める。
硬い石畳の床は、眠るのには不向きだ。……体の節々が痛い。
どう見たって、ここはブラッディ家の屋敷の暖かいベッドの中ではなかった。
……どこだ、ここ。何があったんだっけ。思い出せ思い出せ思い出せ……。
「うぅん……ええと、私は卒業パーティに出席して……」
ああ、そうだ。断罪イベントが始まったんだ。
突然覚えのない罪を着せられ、私は糾弾された。まるで、悪役令嬢エレナのように。反論は意味を成さず、私の声は怪しい証拠で押しつぶされた。
それで私……動揺して…魔法を解いちゃったんだ。
姿を変える魔法を。魔法は心と密接な関係がある。精神が乱れれば、魔法も乱れる。姿を変える魔法も同じだ。感情を昂らせれば、黒魔女の象徴である黒髪と赤目が衆目に晒される。
それは、大罪人の証だ。
「っマリー……アイツのせいで……!」
恨みがましく呟いた言葉が、ぼわんと反響する。全部、アイツのせいだ。アイツがきっと、アランを唆して私を悪役令嬢に仕立て上げたに違いない。
あの写真は……どうしてあんなものがあるかは知らないけど、きっと偽造に違いない。そのはずだ。だって私は、マリーとの接点なんて全くと言っていいほどなかったんだから。
「っ、許せない……!! 覚えてなさいよあの女、タダじゃ済まさないんだから!」
そう呟いて、悔しさにキツく拳を握れば、鎖がチャラリと音をたてる。
両手足につけられた枷に、私は苛立たしげにチッと舌打ちを打った。本来ならば公爵令嬢が舌打ちなんて、と叱られるところだが生憎ここには私以外誰もいない。
……辺りは、酷く静かだ。人の声どころか虫の鳴き声一つ聞こえてこない。
どうやらこの部屋をぐるりと取り囲む、分厚い石壁が外の音を遮断しているらしかった。辺りを見回してみても、見える限り窓なんてものはない。一応ろうそくが置かれているので光源はあるが、それでもこの部屋全体を照らすのには心許なかった。
「……“イグニス”」
人差し指を突き立てて、私は小さく呪文を唱える。灯火程度の小さな炎を起こす魔法だ。これなら視界も少しは晴れるだろう。……と、考えたわけだけど。
「……あ、あれ? “イグニス“! っ、“イグニス”!
“イグニス”!!!」
おかしい。何度呪文を唱えてみても、火花すら付かない。炎の魔法は、貴族なら魔法学校に入っていない三歳児でも扱える簡単なものだ。決して、いや全く難しい魔法ではない。
「“イグニス”!! ……っ、もう!!」
焦れったくなって、思わずイラついた声が口から漏れた。どれだけ手に力を込めようと、チャラチャラと鎖が虚しく音を立てるだけだ。
……どうやら、魔法が制限されているらしい。
「あぁもう!! 最悪!!」
大きな声で悪態をつき、壁に拳を突き立てる。勉強とダンスと裁縫しか知らない手は、じんじんと鈍い痛みを訴えた。
「っ!」
……落ち着け。ここで暴れたってどうにもならないのだから。それに、冷静になって考えてみろ。魔法が使えないのなんて当たり前じゃないか。ここは牢獄。きっと何か仕掛けがしてあるに違いない。
すぅ、と大きく息を吸う。湿った空気が肺を満たして、そうすると少しだけ視界がクリアになった気がした。
……よし。
心の中で気合を入れて、私は顔を上げる。
そしてゆっくり、鉄製の扉へと近づき、コンコンと二回、ノックをした。
「すみません、一体ここがどこか教えていただけませんか?」
私はそう、最大級の低姿勢で扉の向こうへと声をかけた。ここで一人で考え込んでいても始まらない。今私が置かれている状況を把握するには、看守に尋ねるのが一番だと思ったのだ。
……しかし、扉の向こうから声は帰ってこない。私はもう一度、扉を叩く。
「すみません。誰かいらっしゃいませんか」
……やっぱり、反応はない。
見張りを置かないわけがないし、これは無視されていると考えて良さそうだった。
……なら、私にも考えがある。
私は、カツカツとわざとらしくヒールの音を鳴らして、たった一本置かれた蝋燭へと近づく。そしてそれを手に取り……私は、扉の方へと声をかけた。
「ああ! なんという事でしょうー!! こんなところにたった一人で閉じ込められてしまうなんてー!! 私、もうおしまいだわー!! ここでずっと過ごすくらいなら、いっそこの一本、そうたった一本置かれた蝋燭でドレスに火をつけて、死んでしまいましょーー!!」
するといきなり、鉄の扉がガチャガチャと激しく音を立て始めた。私はそれを見て、ニヤリと微笑む。
とうとう扉は重苦しい音を立てて開き……向こう側から、男が部屋の中に飛び込んできた。
「てっめぇ命は大事にしろこの馬鹿!!!」
そう怒鳴りながら現れたのは、燃えるような赤い髪をした男だった。男は私の手から蝋燭を叩き落とすと、ギュッと手首を強く握る。私を見つめる金色の瞳は、焦りと怒りに揺れていた。
あれ、この人。もしかしてもしかしなくても……。
「あの、ルース様……?」
私がそう不安げに問いかけると、目の前の男…ルース・レオンハートは酷く不快そうに眉を釣り上げた。
「おうおうおうおう、テメェ可愛がってもらった先輩の顔すら忘れたか、アァン?!」
「ヴッ」
長い人差し指で、グリグリと眉間を押され思わず変な声が出てしまった。……この荒々しさ。
間違いない、本物の、ルース様だ。