13-2 黒魔女と夜のティータイム
窓の外は夜の闇に飲まれ、すっかり日も暮れた午後7時。結局、ダンジョンの調査はまた明日からに延期になり、私はオルガの淹れた紅茶に口を付けていた。
「さて、オルガ」
「何ですか、お嬢様」
改めて、ティーカップをコトリと置き、目の前で足を組んで(不敬にも程がある)ソファに腰掛けるオルガを見据える。
「結局、貴方は昨日何をしていたの?」
そう。朝、ダンジョンに向かう途中でされる予定だった説明を私はまだ聞けていないのだ。リックの事もあったし、何だかんだうやむやになりそうだったので今聞いておく事にしたのである。実際、オルガの方も少し忘れかけていたみたいで、彼は私の言葉に、思い出したように「ああ」と赤い瞳を揺らした。
「そういえば、お話ししてませんでしたね」
「やっぱり忘れてたのね」
「ふふ、失礼しました」
言って、全然失礼したとは思っていない表情を浮かべ、オルガはティーカップを置く。
「実は……昨日、私はあの広場に戻ってみたのです」
「広場に?」
一度戻ったのに、わざわざ?コイツが??
……この男が、か?
「そんな疑わしげ顔しなくてもいいじゃありませんか。……ま、悪魔の契約者としてはご立派な態度ですが。でも、これは本当ですよ?」
「どうしてわざわざ?貴方、そんな事をするタイプでもないでしょう」
オルガは私の悪魔だけど、でも私の為に利益になる行動を、積極的に取ろうとはしない。あくまでも命じられたことしかしないのだ。あの、オズに襲撃された時もそうだった。彼は、命じられない限り自発的には動かない。きっと、私みたいな小娘のために動くのは癪なのだろう。
……そんな彼が、自分から、わざわざ広場に戻って何かを調べるだなんて。
嘘か、隠し事があるようにしか思えなかった。
そんな、警戒するような視線を送る私に、オルガは少し眉を下げ、困ったように笑う。
「悲しいですねぇ。お嬢様にはどうやら信用していただけていないようだ」
「信用なんてハナからしてないわよ。いいから話して」
「……やれやれ」
小さく息をついて、彼は肩をすくめる。
……彼の顔から、表情が消えた。
「ところでお嬢様、あの広場はいつから見えていました?」
「え?」
唐突に投げかけられた質問に、思わず固まった。……いつから見えていたか、って、どういう事だ?
「……聞き方が悪かったですね。お嬢様が、あの広場に気がついたのはいつですか?」
「気がついたの……」
言われて、ようやく思い出した。
そうだ。確か、あの広場、上から見たときには気がつかなかったんだっけ。オルガの後を追って、初めて気がついた。普通、あんな大きな広場、斜面の上からなら見落とすはずが無いのに。
「そう。実はあの広場、魔法がかけられていたんです」
「魔法……?」
「ええ、不可視の魔法がね」
「…………」
不可視の魔法。魔法の中じゃ、そこそこ難しい部類に入る魔法だ。その魔法をかけられた対象は、人間や動物から認識されなくなる。たとえその物体に近づこうと触れようと、だ。
「なら、どうして私はあの広場を認識できたのよ。不可視の魔法がかけられているなら、私はあの広場自体に気がつかなかったはずだわ。それに、貴方だって」
「そこなんです」
オルガの細く長い指が、ぴ、と私を指す。
「私は悪魔ですから、人間如きが掛けた魔法は大体探知できますし、通用しません。ですが……不思議なのは貴女だ。いくら私の契約者だとはいえ、貴女はただの人間。不可視の魔法がかかっている場所を認識できる筈もないのです」
「それで、少し興味が湧いたんですよ」と言葉を締め、彼は足を組み直した。
「なら、別に次の日一緒に調べれば良かったじゃない。それに、隠す必要も無かったわ」
「気になることは放って置けないタチでして。……あと、理由を説明して付いてこられたくなかったんですよ。あの辺りは魔物も出ますし、チョロチョロされて厄介ごとを持ち込まれたら面倒ですから」
「……あっそ」
……まぁ、確かに、理由を説明されていれば付いて行っていたかもしれない。昨日は折れる形になったけど、基本的には(何をするか分からないので)彼を一人にはしたく無いし。でも事情を説明してくれれば、別に納得したのに。
そこまで聞き分けが悪いお嬢様でもない。
「で、私に隠し事をしてまで広場に向かったんだもの、何か分かったんでしょうね?」
「ええ。実は、調べた女の像の後ろに、詩が刻まれたプレートがありました」
「詩……?一体、どんな?」
「あの歌の、ですよ。お嬢様もお聴きになったでしょう?」
あの歌。
……言われて蘇ったのは、昼間子供達が歌っていた歌だった。軽快なメロディと、首を落とすフリをする少年の笑顔。
「……あ、」
オルガが、口を開く。
「『一つ目は土の中
誰にも知られず眠ってる
閉ざされた内緒の迷宮』」
「……っ!」
突然胸が、ぎゅうと締め付けられた。
ああ、またこの感覚だ。村の子供達の歌を聴いた時も、こうだった。
オルガは続ける。
「『選ばれた者のみ鍵を持つ
太陽と月が交わる時間』」
圧迫感は、痺れとなってじわじわと胸全体に広がっていく。
知っている。知っている。
この詩を知っている。
……忘れちゃいけない何かを、忘れている。
「『嘘つき乙女の首跳ねて
あの日の約束果たしましょ』」
_____嘘吐きの、名前は。
「……聖女」
「え?」
「そう、聖女。聖女よ。思い出した、思い出したわ……!!」
頭の中の黒い霧が晴れたような、爽快な気分に、私は思わず立ち上がった。オルガは珍しく、ポカンとしてこちらを見ている。
「どうしたんですか、急に」
「知ってたの!私、この歌を!!小さな頃、誰かに聞いた事があって……ずっとモヤモヤしてたの!ああ、ようやく思い出した!」
そう。私はこの歌を知っていた。そして、歌を披露してくれた彼は、さらにこっそりこう教えてくれたのだ。
「この歌の嘘吐きは、聖女なんだ」って。
「歌が指す嘘吐き乙女はね、聖女なのよ」
私は彼の言葉をなぞり、そうオルガに向けて自信満々に言い放つ。
「……お嬢様。ちなみに、その歌。誰に聞いたか覚えてますか?」
スッキリした私とは対称に、神妙な顔つきで、オルガはそう静かに問いかける。
……誰、だったか。
「……うーん。覚えてない、けど」
「けど?」
「とても小さい頃の話よ。それから……彼は、男の子だった」
そう、小さな男の子。私と同い年くらいの。あの子が嬉しそうに、私の耳元に唇を寄せて、秘密を教えてくれた。
「……ふ、はは」
思わず漏れてしまったような笑い声が、耳に入る。声の主……オルガは小さく肩を揺らしていた。
「お、オルガ?一体どうし……」
「ふ、ふふ、あは、あははははははっ!!!」
私の声は、オルガの笑い声に呑みこまれた。最初は吐息のようだったそれは、どんどん大きくなって、部屋中に響く。心底愉快でたまらない、と言わんばかりの、大きな笑い声だった。
「ふふふ、なるほど……確かに。これが一番理に適っている」
ひとしきり笑って、オルガは最後に、ポツリとそう呟いた。
「な、何よ急に。そんないつにもまして気持ち悪い顔しちゃって」
「いえ。何でもありませんよ。
……でも、さっきのお嬢様のセリフで全てが繋がりました」
まるでさっきまでの様子が嘘みたいな、綺麗な笑顔を貼り付けて、彼は言う。
「……さて、お嬢様。嘘吐きには、お仕置きをしなくてはいけませんね?」
誰もいない部屋。月の光が差し込む室内で、男は静かに呟いた。
「お膳立てはしてやった。……後は、お前次第だ」
月と同じ色の瞳は、窓の外のどこか遠くへ向けられていた。
前回、次回からダンジョン編だと言ったな。あれは嘘だ(ごめんなさい)
次回からちゃんと探検始まります。