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12-3 黒魔女と仮面少女

 煌々と灯る明かりの眩しさで、目が覚めた。重たい瞼をゆるりと開けば、陽の光が差し込む窓が、寝ぼけ眼にうすらぼんやりと見える。


 ___体が、痛い。


 そこでようやく、寝落ちしてしまったのだと気がついた。眩しい筈だ。

 だって部屋の明かりをつけたまま眠ったんだもの。


「……んっ」


 ソファにだらしなくもたれかかった体を起こし、ぐんと伸びをする。パキパキと背骨が気味のいい音を立てた。

 眠りが浅かったのか、なんだか体が想い。


 部屋は昨日と変わらないままだった。

 ベッドのシーツも乱れていない。


「帰ってきてないのかしら、アイツ」


 帰ってきていれば、私に一声掛けるくらいはした筈だ。夕食までには帰ってくるよう言ったんだけどなぁ。

 ……一体アイツは、何処に行ったのだろう。


「まぁ、いいか。別に……」


 考えたって仕方がない。どうせ彼は教えてくれる気もないだろうし、私も心当たりがないんだから。


 この数日で、一体何度目になるかわからない溜息を吐いて、私はバスルームへ向かう。軽くシャワーを浴びれば、ぼやけていた頭のピントが少し合うようになった。そのまま身支度を整え、部屋を出る。


 この時間なら、もうそろそろ朝食のはずだ。


 昨日、おばさんから教えてもらった食堂の場所を思い出しながら、廊下を歩く。食堂は、宿屋の入り口から入った所のすぐ目の前、受付の隣にあった。


 今日はおばさんまだ居ないな、なんてそんな事を思いながら、ドアノブを回すと、透き通った青い瞳と、パチリと目が合った。


「げ」


「……リズ」


 そこにいたのは、情緒不安定メンヘラ女、リズ・アッカーマンだった。

 リズは私の顔を見るなり、面倒なのがきたなぁ、とでも言わんばかりの嫌悪感丸出しの表情を浮かべる。


 それはこっちの台詞である。


 おはようを言うような空気でもなく、私は少し迷ってリズからなるべく離れた席の椅子を引いた。


「……起きたんだ」


 ポツリ、と呟くような、小さな声がそう言ったのは、私が席に着くのと同じタイミングだった。声の主は、大して興味がなさそうな顔で、机の上の牛乳が入ったグラスを弄っている。


「何よ、起きちゃ悪い?」


「そーだねぇ。そのまま永遠に寝ててくれた方が、私的にはありがたかったかもぉ〜」


 甘ったるい声。煽るような言い方。

 ……ワザとだ。


「言いたいことがあるならハッキリ言えば?」


「……別に」


 言って、彼女はふいと顔を背けた。

 瞳には、少しだけ迷いがあったように見える。


 …………。


「貴女、ジャックはどうしたの?いつもは鬱陶しいくらいベタベタしてるくせに、今日は一緒じゃないのね」


「……っ!」


 彼女の顔が、再びこちらを向いた。

 まじまじと見るまでも無い。激情。憤怒。……悲しみ。全部が、入り混じった表情だ。何を考えているのかなんて、何があったかなんて一目で分かった。


「あら、喧嘩でもしたのかしら」


 くすりと煽り返すようにそう言ってやると、リズはカッと顔を赤くした。


「っ……るさいな!ちがう、そんなんじゃ無い!」


「へぇ、違うの?」


「違うって言ってるでしょ。本当うざったい。シャワー浴びてるだけだよ。

 ……私は、ジャックの特別なの。喧嘩なんて、しないんだから」


「……特別?」


「そう、特別。私こそ、ジャックにとっての唯一無二。……私にとって、ジャックが特別な存在であるように、ジャックにとっても私は特別なの」


「……エレナちゃんなんかとは、違って」と彼女の小さな手が、ぎゅと拳を握る。その肩は、なんだかとても弱々しく見えた。


「どうしてそこまで、ジャックに拘るの?」


 少しの沈黙の後、私はなんとなくそう尋ねた。あくまでも、どうでも良さそうな口調を装って。

 リズは何も答えない。

 言葉に詰まっているのか。

 ……それとも、言葉にしたくないのか。

 私は続ける。


「貴女の執着心は……私には、異質に見える。ねっとりしてて、妄信的で。普通、愛する人のためにナイフを振りかざしたりなんて出来ないわ」


「異質、だなんて。知ってるよ。でも仕方ないじゃない。そうでもしなきゃ、あの子は私を見てくれないんだもん」


 彼女は、ゆっくりとそう答えた。朝日が、彼女の細く弱々しい背中を照らしている。艶のある赤毛は、今はまるでカーテンのように彼女の表情を隠していた。


「……ジャックはね。私の神様なの」


「かみ、さま?」


 突然彼女の口から出てきたのは、随分と大仰な言葉だった。でも、冗談のつもりなんて一切ないらしい。そもそも冗談を言う空気でもない。


「ジャックは、私の全てをくれた人なの。孤児だった私の手を取ってくれた。ギルドに連れてきてくれた。

 世界が美しいことも、ご飯が美味しいことも、人の手が温かいことも、全部、全部。彼に教わった。

 ……だから、ジャックは私の神様」



 そんなことをされて、好きにならない方がおかしいでしょ?


 と、彼女は笑う。自嘲めいた笑みを浮かべる。


「ジャックは、誰にでも優しくするの。だから思い上がらないでよね。エレナちゃんに優しいのだって、ジャックが優しいからってだけなんだから」


 これまでの弱さを取り繕うような、そんなセリフを聞いて、ようやく全部、腑に落ちた。


 だから彼女は、ジャックにあんな態度を取っていたんだ。演じていたと言ってもいい。神様を独り占めする為に、みんなに優しい神様の気を少しでも引く為に。自分は特別だから許されるのだと言い聞かせながら。


 でもそれは。今の、セリフは。

 彼女が特別である事の否定ではないのか。


 誰にでも優しいのは、誰も特別な人がいないのと同じなんじゃないのか。


 そもそも、自分は特別だと言い聞かせる時点で……現実を知ってしまっているんじゃないのか。


 ……それは、流石に言えなかった。


 何も言えないまま、時間が流れる。

 10分か、20分か、それとももっとか。

 永久に続くとも思えた長い時間が流れて、ようやく扉が開いた。


「……ああ、エレナ。おはよう」


「おはよう、ジャック」


 なんとも間の悪い事に、入ってきたのはジャックだった。ジャックを見るなり、リズはあからさまにぷい、と顔を背ける。


 ……ああ、やっぱり喧嘩したんだ。


 そうじゃなきゃ、まずリズがジャックを置いて先に朝食に来たりなんてしないだろうし。……あんな話を、弱みを見せるような真似を、きっとしなかった筈だ。


 ジャックはリズの様子に若干苦笑いして、リズの隣の席に掛けた。そして、リズの青の双眸を見つめ……口を開く。


「……悪かった。昨日は言い過ぎた。仲直りしよう」


 突然の謝罪に、リズは少し驚いたようだった。青い、少し涙の滲んだ双眸を見開き……そして、にこりと笑う。


「え〜?私達喧嘩なんかしたぁ〜??ジャックと私は、いつでもラブラブでしょ〜!」


 そう言って、リズはジャックの手をキュッと握る。


 ああ、また仮面を被ったのか。

 甘ったるい声が耳につく。


 ……可哀想な子。


「そういえば昨日、お前夕飯の時居なかったよな。何してたんだ?」


 ふいに、ジャックがそうこちらに向けて問いかける。リズの視線がブスリと突き刺さった。やめてくれ本当に。


「寝てたのよ。オルガも外出しちゃったし、起こしてくれる人がいなくて、朝までそのままね」


「ああ、そうか。長旅だったしな」


「別に、様子を見に来てくれたってよかったんだけど?」


「……はは、それは、な」


 言って、ジャックはリズの方に視線を泳がせた。


 ……なんだろ?リズに何か言われたのだろうか。


「遅くなりました、すみません」


 微妙な空気になったところで、オルガが部屋に入ってきた。何事もなかったかのように、至っていつも通りに、彼は口元にニコニコと笑みを浮かべている。


「あら、随分遅かったのね。ディナーには間に合うように、と言わなかったかしら」


「申し訳ございません。……少し調べ物が長引きまして」


「……調べ物?」


 じゃあ、用事というのは、これだったのか。でも、戻ってくるのがこの時間って……一体何を調べていたんだろう。


「詳しい話は、モーニングの後で。

 昨日の場所に、移動しながらにしましょう」


 昨日の場所。……あの、広場か。


「そうね。……食事は楽しく食べたいもの。

 オルガ、座っていいわよ」


「失礼します」


 許しを出すと、オルガは最後の一つだった、私の隣の椅子に掛けた。これでパーティは全員、揃ったわけだ。

 あとは朝食が運ばれてくるのを待つだけである。


「……いや、というか、遅くない?」


 時計を見やりながら、私はそう言った。時刻は8時をゆうに過ぎ、8時半前。朝食の開始は8時だと言われていたのに、かれこれ30分近くオーバーしている。


「ふむ……トラブルか?」


 少し様子を見てくる、と言い残しジャックが席を立つ。……席を立とうとドアを開けた、その時だった。

 受付のおばさんが、食堂に駆け込んできたのだ。


「リック!!リックを!!リックを見てないかいお客さん!!」


 酷く慌てた様子で、口早にそう問いかける。


 ……リック。


 思い返してみるが、心当たりのある顔は浮かんでこない。それは皆同じなようで、おばさんの剣幕にぽかんとした

 表情を浮かべている。


「ああ!リック、リック!!私の可愛いリックや……!」


 おばさんは、その場で泣き崩れた。どうやら様子を見るに、ただごとじゃなさそうだ。


「落ち着いて下さい。そもそもリックって誰ですか」


 ジャックがとりあえずおばさんを落ち着かせようと、そっと背中を撫でながらそう尋ねる。……おばさんは、嗚咽混じりの声でこう答えた。


「孫、孫だよ!アタシの可愛い可愛い孫さ!!」


 おばさんの、孫。


 ……そこでようやく、彼の顔が思い浮かんだ。昨日リンゴをくれた、あの少年の顔を。


「あの子が、どうかしたの?」


 唇が震える。……なんだかとても、良くない予感がして。


「いな、居ないんだよ!!どこにも!!家にも、村にも!!孫が居なくなっちまったんだよぉ!!」


 言うなり、おばさんは一等辛そうな顔をして、またワッと泣き出す。


 ……どうやら、予感は的中したらしかった。

別原稿のため、しばらく2日に1度の投稿になります。

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