11-2 黒魔女と恋愛脳
「お、来たか」
ギルドの外に出ると、ジャックとオルガはもう、準備を済ませてギルド前のベンチに二人腰掛けていた。どうやら少し待たせてしまったらしい。
「遅くなってごめんなさいね」
「気にするな、俺達も今出てきた所だ」
「それに、お嬢様がノロ…若干のんびりさんなのはもう知ってますから」
「……本当に余計な事しか言わないのね、貴方。ジャックの爪の垢でも煎じて飲ませて貰ったらどうかしら」
忌々しげに悪態を吐く私に、オルガは「おっと、失礼しました」なんてニヤニヤ口元を歪めた。いつでもどこでもムカつく奴だ。完全に私を舐めている。
「……それで、目的地まではどうやって向かうの?」
とりあえずオルガは無視して、私はジャックにそう問いかけた。悪魔相手に、ムキになったって仕方がない。彼らは人を煽るのが仕事みたいな奴らだし。ジャックは若干引き攣った笑みを浮かべたが、すぐに気を取り直して、
「あそこの馬が、郊外まで行くから、荷台に乗せて行ってくれるそうだ」
と答えた。
見れば確かに、少し離れた場所に、荷馬車が停まっている。荷台を引く痩せた馬の隣では、人相の悪いお爺さんが仏頂面でタバコを吸っていた。
……なんだか、カタギには見えない。
「大丈夫? あの馬車。野菜と見せかけて実は麻薬運んでました〜とか、そういうの、無い?」
「全然あるな。あの爺さん、麻薬商人だし」
……そんなシレッと答えることじゃないだろう、それは。
なんだろう、やっぱり闇ギルドの人間は、アンダーグラウンドな商人なんかとも仲が良いんだろうか。同じ穴の狢、みたいな。
「まぁ、たまに取引まで爺さんの護衛したりもするからな。顔馴染みだよ」
微妙な顔をしていた私に、ジャックは苦笑しながらそう付け加えた。
……まぁ、私自身も今となっては犯罪者だし、彼らのことをとやかく言う権利はないか。それに現地までの足が調達できたのはありがたい。電車や乗り合い馬車なんかを使っても良かったけど、やっぱりできるならあまり、一般人とは関わりたくない。どこでボロが出るかも分からないし。
「おーいボウズ!! まだ出発しねぇのか!? そろそろ置いてくぞ!?」
お爺さんが、道の向こうでこちらに向かって手を振る。ああ、いけない。時間だ。
「じゃあ、行きましょうか」
「ああ。そうだな、荷物は……と」
そう、ジャックがカバンを取ろうと、後ろを振り向いた時だった。
目の前を、猛スピードで何かが突っ切っていったのは。
「ジャーーーーーーーックぅぅぅぅっ!!!!!!」
「ぐへっ!?」
ドン、と。鈍い音が辺りに響く。
次の瞬間には、ジャックは硬い地面に倒れ伏していた。否、倒れ伏していたというよりは。
……毒々しいほど、赤い髪をした女の子に、押し倒されていた。
「あーん会いたかったーー!! 久しぶりだねジャック〜!!!! アッシャンプー変えた!? いい匂いするーー!!! すんすんすんすん」
「っやめろ気色悪い!!!!」
「アッそうだよね……気持ち悪いよね……私みたいな女。ごめんなさいごめんなさい嫌わないで嫌わないで、お仕置きするから嫌わないで……」
「ばっ、やめろ! 軽率に手首を切るんじゃない!! こっのメンヘラ女!!!!!」
いきなりナイフを取り出して、自分の手首を切りつけ始めた少女の手を、ジャックが強く掴む。
「あぁっ…! ジャックが私を心配してくれてる……! 私、愛されてるぅっ……!」
恍惚とした表情を浮かべて、少女はぞくぞくと背中をしならせた。
私達はといえば、いきなりの茶番にただ呆然とすることしかできなかった。
「何、あのサイコパス臭がする女の子は……」
「さぁ……?見たところ彼の恋人のようですが……」
「頼むからやめろ!!! こんなのと付き合えるか!!!」
「アッ、そうだよね……ジャックは私みたいなのと付き合うのなんて嫌だよね……。それなのに私、ジャックを好きになって、あろうことかモブお二人を勘違いさせちゃって……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、死んで償うから許してぇぇっ!!!」
「あああもう面倒くせぇぇぇ!!!」
ジャックの悲痛な声が、市街地中に
こだまする。周りの人の目がとても痛い。
「っ悪いな……。コイツはこういう奴なんだ……っ!」
言いながら、ジャックが腹にナイフを刺そうとする彼女を地面に押さえつける。その手つきは何とも慣れたものだった。
「ジャックが私を地面に押さえつけてっ……これってもう押し倒してるのと同じだよねぇ!? やだ、ハジメテが路上なんて……っ! ジャックのケダモノっ!」
「やめろ!! 生き埋めにするぞお前!!!」
「心中!?心中なのっ!!?そっか……ジャック、今まで私に素直になれなかったのは、そういう事なのね!?
いいわ、私、ジャックとなら死ねるっ!!!」
「一人で死ね !!!!!」
……いや本当、なんなんだこれ。
私達は一体何を見せられているんだ。
「で、結局誰なの、貴女」
そろそろ収集がつかなくなりつつあるので、気を取り直して、私は押さえつけられたままの少女に問いかけた。
彼女はその蒼天のような青い瞳をきょとりと私の方へ向け……そしてニコリと微笑む。
「テメーに名乗る名前なんかねーよ、ブース」
「……は?」
あまりにも。あまりにも、穏やかな声で紡がれた暴言だった。一瞬何を言われたのか分からなくなる程に。
……脳がようやくその言葉を飲み込んだ時には、少女はジャックの手を逃れていた。
彼女の手の中のナイフが、真っ直ぐ私を向く。
「ねぇねぇねぇぇぇ? 人がいない間に何抜け駆けしてんの?? ていうか誰とかこっちのセリフなんだけど?? いきなり出てきてジャックとイチャイチャイチャイチャしてさぁ?? ジャックは私のなんだよ?? 泥棒猫? 泥棒猫なの?? ねぇ殺していい???」
「ひぇっ」
呪詛のようなその言葉に、思わず背筋が冷えた。痛い程の殺気が肌を刺す。少女特有の高い声は、確かな、狂気を孕んでいた。
何、この子……!?
「っおい!! やめろリズ!!」
ジャックの怒鳴り声が、鼓膜を揺らす。それから、チッ、と落とされた舌打ちの音。
……喉を切り裂こうとしていたナイフが、ゆっくりと離れる。
「次ソイツに手を出してみろ……!俺はお前を許さないからな……!」
ジャックが少女の方を鋭く睨みつける。ジャックの方を向いた時には、少女は先程と同じような笑顔を浮かべていた。
「もう、やだぁ!ジャックったら、そんなに怒らなくてもいいじゃ〜ん!
ちょっとした、冗談だよ〜?」
そう、彼女はへらへら笑って言う。
……冗談、だなんて。
冗談であんな殺気が出せるわけがない。間違いなく、あの子は私を殺す気だった。
「……本当、悪いエレナ」
「……いえ」
別に、ジャックが頭を下げることじゃない。
まだナイフの冷たい感触が残る首に手を当てながら、少女を睨みつけると、まるで先程までの態度が嘘のように、彼女はニコリと人好きのする笑みを浮かべて私の手を取った。
「さっきはごっめんね! 私ジャックのことになると、ちょっと周りが見えなくなっちゃうの!! あ、私はリズだよ!! リズ・アッカーマン!!
んで、ジャックの彼女!!よろしく!!」
「最後に関しては無視してくれ」
リズの言葉に、ジャックが注釈を付け足す。
……よろしく、なんて割にはえげつない力を込める細い手を、私もこれでもかと力一杯握りしめた。
「エレナ・ブラッディ。……よろしくね」
「うん、仲良くしようね!!」
お互いの目を探るように見つめ、うふふ、あははと笑い合う。
……カァン、と開戦のゴングは、高らかに鳴り響いた。
次回より冒険編スタートです。