1-2 黒魔女、糾弾される
「……何も言わない、ということは、そういう事なんだね?」
アランがそう、急かすように厳しい口調でそう問いかける。周りの貴族からの厳しい視線は、さっきから嫌という程私の肌を刺していた。
私は少しだけ考えてから……小さく、口を開く。
「いいえ」
短く、けれどはっきりと紡がれた否定の言葉に、会場が明らかにどよめいた。
ああ、そうだよな。こんな状況で、ここまで証人を揃えられて、まさか否定するなんて誰も思わなかっただろう。だけど、私にはそう答えることしか出来ない。だって私は、本当に無実なのだから。
ゲームのエレナの悪行っぷりはえげつないものだった。
時にヒロインを嵌め、時に攻略キャラを騙し、時には暴力にさえ頼る…余りのいい性格っぷりに、画面を何度も叩き割りそうになったのは記憶に新しい。
だが。だがしかし。
今ここにいる『私』には、そんな悪業を働いた覚えはこれっぽっちもない。
それに、ゲームのエレナと違い、私はアランとの結婚は乗り気じゃなかった。そして向こうもきっとそうだろう。私達はお互いに対して、何の興味も抱いていない。あくまで私達の婚約は、利益のために親同士が決めたもの。そこに私達の意思はなかった。
だから私達は、お互いにほとんど関わらず、学園生活を送ってきたのだ。
もちろん、ヒロインがアランを攻略しようと、私は全くもってどうでもいい。だって私は彼を好きでもなんでもないのだから。興味がない。別に好きにすればいい。勝手に結婚でも何でもすればいい。
むしろ向こうから婚約破棄してくれた方が私としても気軽だし。私はあくまで公爵令嬢、こちらから王族との縁談を断る訳にもいかないのだ。
「いいえ、というのは…その、今のお話を否定されるということですか?」
アランの後ろでプルプルと震える少女が、薄い唇を震わせながら、そう問いかけた。まるで昼下がりの小麦畑みたいな温かみのある金髪。陶器のように白い肌。ピンクダイヤモンドのきらめきを閉じ込めた美しい瞳は、今は涙に濡れている。
……アランの恋人、ヒロインである少女……
マリー・エマーソンだ。
「……ええ、そうですね。今のお話、正直なところ全くもって見に覚えがございませんわ」
キ、と威圧するように目を細めれば、マリーはびくりと肩を震わせた。アランがその肩を、まるで守るように抱いたのが、なんだか見せつけられているみたいで、無性にイラっとする。
「そもそも、私にそんな事をする理由が無いではありませんか」
「っ、それは……」
私の言葉に、アランの声が若干怯む。そりゃそうだ。だって、私達がどれだけ冷え切った関係だったかなんて、彼自身が一番よく知っている筈なのだから。
「お分りいただけたようで何よりですわ」
そう言ってアランに向けてにこりと微笑み、マリーの方へ目をやる。マリーは、肩を震わせながらキッとこちらを睨みつけていた。
「……っ酷いです!エレナ様、私にした事を忘れたんですか!? 私を嘲って、詰って、踏みつけた事も! 全部全部!!」
__いや、忘れたも何も、そもそもアンタと喋った記憶すらないんですけど。
そんな心の声が漏れかけたのを、すんでのところで抑える。ヒロイン然としたその態度に、呆れを通り越してなんだか笑えてきた。まるで悲劇のヒロイン気取り。私を見てと言わんばかりのセリフ。
……ああ、段々イライラしてきた。
「……ねぇ、マリー・エマーソン」
カツカツとヒールの音を高らかに響かせながら、私はマリーに歩み寄る。
私に罪を犯した覚えはない。だがこの女は、私を悪役だと言う。……ならどちらが嘘をついているかなんて明白だ。どちらが悪役かなんて、分りきった話だ。
「……貴女には分かっているはずだわ。貴女と私。嘘つきはどちらか。ここまでして私を悪役に祭り上げる……貴女の目的は一体、何なのかしらね」
目の前のマリーのその可愛らしい顔を覗き込んで、私はそう、優美に微笑みかける。……すると、マリーは引きつった表情を浮かべ、とうとう瞳からポロリと涙をこぼした。
「…っ! エレナ! それ以上は許さない! 彼女から離れるんだ!」
伸びてきた腕に肩を強く突き飛ばされる。
私の体は、無様に床に崩れ落ちた。
…ギロリとマリーを睨みつければ、アランは彼女を庇うように私を睨み返す。
「君が何と言おうと、証言者は何人もいる。それに……証拠だってある」
「……は?」
アランの言葉に、思わず間抜けな声が出た。証拠?なにを言っているんだこの男。だって、犯してもない罪の証拠なんて存在していいはずが……。
戸惑う私に向かって、一枚の写真が投げつけられる。……それは、私がマリーを踏みつけて、いる写真だった。物陰から撮られたそれは、私の意地の悪い表情をよく写している。
「何よ、これ……」
愕然とした。だってこれ、ゲームのスチル絵と全く同じだ。いじめられるマリーを可哀想に思った生徒の一人が撮った写真として、クライマックスで登場したあのスチル絵。
……どうして、これがここにあるの。
「…本当はこんな事、俺だって信じたくはない。
……だけどエレナ。この写真と君の態度を見れば、真実は明らかなようだね」
酷く冷淡なアランの声が、空っぽになった頭に反響する。
何これ。何これ何これ何これ。
一体何が起きているんだ?
理解できない、分からない。
真っ白になった頭が、次第に混乱で塗りつぶされていく。知らない。私は、こんな表情を浮かべる自分自身を、知らない。
「……俺の未来の妻への非道な行い……必ず償わせてやる」
ぞくり、と体が震えた。だって、アランの言葉は、最後にエレナに向かって突きつけられた言葉と、全く同じだったから。
……全ては、シナリオ通り。
「……そんなの、嫌よ。嫌! 絶対に嫌!!!」
散々な前世だった。オタクだと避けられ、陰で笑わられ、挙げ句の果てにはトラックに轢かれて人生強制エンド。もうそんなの嫌だ。私は、今世こそ幸せになってやるんだ。こんな所でBADENDなんて、冗談じゃない!!
「マリー! マリー・エマーソンっ……!」
恨みがましく目の前の彼女の名前を呼びながら、私はゆらりと立ち上がる。許さない。許さない許さない許さない……!コイツ、一体何が目的かは知らないけど、私をハメておいてただで済むと……!
「ひぃっ!!」
その時だった。突然、パーティ会場に引きつった悲鳴が響いたのだ。
悲鳴をあげたのは、マリーではなかった。もちろん、アランでもない。声の主は、こちらを遠巻きに眺めていたパーティの参加者の一人だった。
彼は唇をわなわな震わせながら、真っ直ぐにこちらを指差し……そして。
「黒魔女だ! 黒魔女がいるぞ!!」
大きな声で、そう叫んだ。
「……え?」
口から漏れ出た言葉は、女の甲高い悲鳴に掻き消された。何が起こっているのかとぐるりと辺りに目をやれば、皆顔を引攣らせて、真っ青になって私の方を見ていた。
「キャアアアッ!! なんておぞましいの!!」
「ああ、なんてことだ、伝説は本当だった!!」
「逃げろ、逃げろ!! 殺されるぞ!!」
悲鳴と怒号が、会場を飛び交う。先程までの緊張はバチンと弾けて、部屋の中は逃げ惑う人々でぐちゃぐちゃだ。
…混乱の中で、アランだけが、こちらを真っ直ぐに見ていた。
「エレナ…君、その姿は…!」
……っ、まさか……!
人混みを裂き、慌てて近くにあった鏡に駆け寄る。…そこに、いつもの私の姿は無かった。鏡の奥にいたのは、憎々しいほど黒い髪をした私。…こちらを見つめ返すその瞳は、深みを帯びた赤色に光っている。
……黒い髪と赤い瞳は、この世界では特別のしるし。
「……っ、“クラッセイオ“!!!!」
アランがそう叫んだ瞬間、バチン、と破裂音が鼓膜の奥を震わせた。一体何が起こっているのか、理解する間も無く私の視界は白く塗り潰されていく。
……ああ、思い出した。悪役令嬢、エレナ・ブラッディの最期。
アランとマリーに全てを突きつけられ、逆ギレした彼女は……断罪イベントの最後、自らに掛けていた変身魔法を解き、彼女の本当の姿を衆目に晒す。そして彼女は、自ら禁じられた闇の魔術、黒魔法の使い手であることを明かし、マリーに襲いかかるのだ。
しかし、正義が笑い悪が泣くのがこの世界の定め。
愚かな彼女は、最期には、断頭台の上でその首を刎ねられる。
……国に災いをもたらす、『黒魔女』として。
「……どうやら、君を許さずに済む理由ができたみたいだね」
アランのそんな声が、ぼわんと耳の奥で反響する。頭がぐるぐる回って、私はどしゃりとその場に崩れ落ちた。
最後に視界に映ったのは……こちらを酷く冷たく見下ろす、私とお揃いの瞳だった。