10-3 黒魔女と交渉
「なるほどねぇ。つまり、その賢者の情報を教えてほしい…ってわけ」
ワインの入ったグラスを、くるくると弄びながら彼は軽薄な口調でそう言った。ソファに深く腰をかけ、足を組むその姿は、あまり客を相手にするのに相応しい態度とはいえない。
しかし、彼はこういう男なのだろう。
気にせず、私はこくりと彼の言葉に頷いた。
「ええ、そう。貴方なら知っているとジャックから聞いたわ」
「うん、知ってるよ。彼の居場所も、彼が何者なのかも、ね」
「それなら……」
その時だった。
期待の色を帯びた私の声を「でもね」
と冷たい声が遮ったのは。
声の主は、それはもうにっっっこりと、今までにないくらい綺麗な笑みを浮かべていた。
「君、いくら払えるの???」
「えっ」
「だから、いくら払えるのって」
「……」
彼の言葉を聞いて、私はようやく、自分が無一文であることを思い出した。
いはやは、完全に失念していた。
相手は情報屋。金銭の類、報酬を要求されるのは当然である。唯一の手がかり、というその言葉に飛びついて、その先のことを考えていなかった。
んん……まずい……とてもまずい……。
前述の通り、もちろん私は何も持っていない。1ペレーネすら、である。そりゃそうだ、だってついこの間まで幽閉されてたんだもの。縋るような気持ちで悪魔を見やる。しかし悪魔は、小さく頭を振っただけだった。
……まさしく八方塞がり。
糾弾される前は、お金なんて湯水のようにあったのに、まさかお金で痛い目を見る日が来るなんて。
「え、マジで?何も持ってないの、君ら」
「……お恥ずかしながら」
「1ペレーネも?貴族の娘のくせに??」
「……無い」
青の双眸が、ぱちくりと見開かれる。まるで信じられないものを見ているような瞳に、なんだかとても居たたまれなくなる。
……沈黙が、ひしひしと身を刺す。
「っ、ぶ、はははははははは!!!!
いやぁ、良く、良く言えたね、そんなこと!!!ははは、お金もないのに俺を買おうなんて!!
脳内お花畑にも程があるんじゃないの?!」
「……」
目の前で肩を揺らして爆笑するノエルに、顔が熱を帯びていくのが嫌という程分かった。
いや本当、こればかりは返す言葉もない。浅はかだった。というか、周りが見えてなさすぎた。やっと垂らされた蜘蛛の糸に縋るのに必死で、常識とのすり合わせができてなかった。反省。
……よし、反省終わり。
さて、これからどうするか……。
「一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
頭を回し始めた私の斜め後ろで突然、ス、とオルガが手を挙げた。
「どうぞ、悪魔くん」
「……もし、貴方の情報を買うとして。大体お幾らくらいお支払いすれば宜しいのでしょうか」
的を射た質問だった。確かに、具体的な金額を聞いておくのは大事だ。
ノエルは「ふーん、そうだねぇ」と顎に指をやり、少し考えるようなそぶりを見せて、それから「500万ペレーネ」と、答えた。
「500万ペレーネ、俺の前に耳揃えて出せたら、教えてあげる」
……実際は彼の口から直接出た言葉だったが、もしこれがゲームのスクリプトなら、間違いなく語尾に♡マークが付いていたと思う。ちなみに500万ペレーネは、二頭立て馬車が御者付きで買える金額だ。ブラッディ家ならそれくらい、ポンと出せただろうが、残念ながら今の私たちは国に追われる身。まさかブラッディ家に乗り込んで、お金を取りに行くわけにもいかない。
「あ、言っとくけどこれでもサービスしてるんだよ〜?これ以上は、1ペレーネだって負けてあげないからね」
「さぁ、どうする?」と彼はグラスに口をつけた。白ワインが、彼の口へと吸い込まれていく。
その間に、私は頭の中の可能性の一つ一つを検分していく。丁寧に、でも迅速に。
違う、違う、これも違う。
どうすればお金を……!
「さぁ、どうする?」
彼の言葉が、頭の中でリフレインされる。挑戦的な、こちらを試すみたいな瞳。
……いや。違うな。
ああ、そうか。きっと、そもそもが違っていたのだ。
グラスの中身が、証明の明かりでくるりときらめく。……彼がワインを全て飲み干すのと、私の答えが出るのは同時だった。
「お金以外で、支払うわ」
カン、とグラスを机に置く音が、室内に響く。……ノエルは興味深げに「へぇ?」と眉を釣り上げた。
「お金以外で支払うって…何?娼婦の真似事でもするつもり?悪いけど俺はそういうのは……」
「違うわよ。……というか、この言葉がどういう意味かは、もう貴方には分かっているんじゃないの?」
「……はっ」
ノエルはまた笑う。でも、違った。
その表情は、今までの笑顔とは、全くの別物だった。お綺麗さなんてカケラもない、心の底からの笑み……心の中の汚い塊を前面に押し出したようなそんな笑顔だった。まさしく、悪。
「どうして分かった?」
「簡単よ。貴方は見たところとんでもない金の亡者。貴方みたいなタイプは、すっからかんの貧乏人なんて相手にしないわ。……それでも、どうするか、なんて選択肢を与えてきたってことは、私達に何かしらの利用価値があると、そう踏んだのでしょう?」
違うかしら、と不敵に言ってみせる。
「……いいね、君。面白いよ。
確かに、君の言う通りだ」
「じゃあ、やっぱり…」
「ああ。まぁ、別に頼みって訳じゃあないけど……。だけど君達はタイミングが良かった。ラッキーだよ」
言うなり、彼は立ち上がって、棚から地図を出した。そして取り出したそれを、バッと目の前のローテーブルに広げる。
「……これは、エレミアの地図?」
机に広げられたのは、教科書なんかで良く見た我が国エレミアの地図だった。中央に首都のボルノワがあって、他にも主要都市が大体の位置で描かれている。地図の隅の方には、赤い小さなバツ印があった。
「そ。で、君達の目的地はここね」
彼はそう言って、その赤いバツ印を指差す。
ボルノワからは、随分と離れた場所だ。周りに目立った街も無いし、端的にいえば地図で見る限りは、ど田舎といった風である。
「君達には、ここに行って、ちょっとしたお宝を盗んできてもらいたい」
「……お宝って?」
「邪竜石」
ノエルの答えに、息を飲む音が、背後から聞こえた。
見れば、オルガが少し驚いたような顔をしてノエルの方を見ている。
なんだろう。心当たりでもあるのだろうか。
「おや、どうやらそこの悪魔くんは知ってるみたいだねぇ」
カラコロ笑いながら、彼はまた、ソファに深く腰掛ける。オルガの拳が、こっそりと小さく震えたのが見て取れた。やっぱり、何かを知っているみたいだ。
「ねぇ、邪竜石って何?」
そう問いかけると、オルガは取り繕うような笑みを浮かべて「さぁ」と答えた。
「生憎、私は存じませんね。いやはや全く、そんなの初めて聞きましたよ」
……分かり易すぎる。
コイツこんなに惚けるのが下手だったか。あれだけ露骨に反応を示しておいて、それはないと思う。
「……ふーん。ま、惚けるなら俺から説明するけどね」
ノエルは至極どうでも良さそうに言って、また私に目を向けた。
「君は、聖女物語を知ってる?」
「ええ、もちろん」
聖女物語。この国に古くから伝わる伝説だ。聖女ナディアと、妹の黒魔女…リディアの物語。なぜ世界では黒魔法が悪なのかを示した物語だ。人々はこの伝説を信じ、国に害を成した黒魔女を異端の存在とした。私も小さな頃、嫌になる程ババ様に読み聞かせられた。
……自分の先祖が悪者になる話なんて、楽しくもなんともなかったが。
「で、その聖女物語と邪竜石に何の関係があるのよ」
「はっは、そう急かすなよ。…実は、その物語には続きがあるのさ」
……続き?聖女物語の?
「そんなの聞いたことないけれど」
「そりゃそうさ。これは語られなかった歴史だからね。……いや、隠されたと言うべきか」
少し意味深に言って、彼は、ゆっくりと語り始めた。
国を歪めた喜劇……聖女物語の、続きを。
昔々。エレミアを二つに分けるような、大きな戦争がありました。
戦争の火種は、不思議な力を持つ双子。何でもできる白魔女である聖女様に、醜い黒魔女のリディアが嫉妬したのが始まりでした。
長い年月を経て、戦争は聖女様の勝利に終わりました。聖女様は、黒魔女を許し、西の森へと追放しました。
聖女様のお陰で、国には繁栄と、平和がもたらされたのです。
黒魔女が大衆の前に姿を現したのは、それから数年後の事でした。なんと黒魔女は再び悪魔と契約し、聖女様に復讐しようとしたのです。国はまた、戦禍に包まれました。たくさんの人が傷つきました。たくさんの人が死にました。
聖女様はとうとう、ある決断を下します。
自分の魔力を全て使って、黒魔女の魂を分け、封印しようとしたのです。
見事、聖女様の作戦は成功しました。罪深き黒魔女の魂は六つに分かれ、綺麗な宝石となりました。聖女様は、結晶を王様と、聖女様の弟子である五人に託しました。
「私はこの国をいつでも見守っています。ずっと、ずっと。もう二度と、こんな悲劇が起こらないように……」
そう言い残して、聖女様は魔力の使いすぎで死んでしまいました。
王様と弟子は、宝石を誰にも見つからない、とっておきの場所へそれぞれ隠しました。
今も、愚かな黒魔女の魂はどこかに封じられています。
この大地への復讐を夢見て、深い眠りの中にいるのです_____
「これが、聖女物語の続き。……聖女ナディアは、妹のリディアの魂を、六つに分けて封印したんだ」
物語を語り終えた彼は「まるでこの先はもう分かるだろ?」とでも言わんばかりに、私に視線を送ってくる。
……正直、今の話自体にわかには、信じ難いけど、つまり…
「……そのリディアの魂のかけらっていうのが邪竜石ってこと?」
「大正解」
気障ったらしく、格好つけるようにこちらを指差して、彼は続ける。
「五人の弟子っていうのは、現在の五剣のことでね。君には、この内の一つ……ガイナス家の邪竜石を盗みに行ってもらいたいんだ」
「ガイナス家……」
ああ、そうか。バツ印の辺りは確かガイナス家の領地だった。
……エヴァンの、土地か。
「…邪竜石を、取りに行く理由は?」
「端的に言えば、ここを……ギルドを守るため、かな」
「……ギルドを?」
「そう。邪竜石には不思議な力があってね。持った人間の願いを叶えるのさ。それを狙った敵対組織が、最近動き始めてるんだよ。……このまま放っておけば、石の力でここが潰されかねない」
「不思議な、ちから」
確かに、黒魔女リディアの魂を封じ込めた石、なら。……多分、大抵のことは叶うんだろう。黒魔術は、人間の欲望と、醜さと、願いで出来た魔法だ。
浅はかな人間が求めることは、熟練した技と大量の魔力は必要だけど、理論上できる。現在、それが可能な術師がいないというだけで。
……もし、その石を手に入れれば。
王家への復讐は出来るんだろうか。
いや…もしかしたら、過去に戻ることさえ。
「力を利用される前に、さっさと石を回収する。…できればそんな石、さっさとどこかに埋めなおした方がいいね。ロクなことにならないだろうしさ」
……まるで心を読んだようなセリフに、小さく肩が跳ねた。ノエルの表情は変わらない。ただ、彼の瞳の奥に、何かが光ったような気がした。
……いや、まさか、ね。
なんだか少し居心地が悪くて、私は話題を変えようとまた質問を投げかけた。
「でも、どうして私にわざわざ頼むの?」
そう、咄嗟に出た問いとはいえ、疑問には思っていた。
正直彼自身がやったほうがよっぽど上手くいきそうなのに、なぜ私を使うのか。だって、悪魔は大して使えないし、私も今は魔法が使えないただのご令嬢なのだから、大した活躍ができるとは思えない。
ましてや行くのはエヴァンの領地。すなわち五剣のお膝元。そんな大切な石なら、しっかり警備体制が整ってるところに保管されてるんだろうし。
私の少し警戒したような言葉に、彼はへらりと笑って答えた。
「面倒だから」
「……は?」
言葉を、失った。
いや待て。面倒だからって何だ。
まさかそんな理由で、私に仕事を頼むの??
え、ちょっと雑過ぎないだろうか。
「冗談よね?」
「いやいや、俺は本気。俺、そもそも魔法とかも使えないしさ〜?元々モニカから頼まれてた仕事だったんだけど、汚れるのも怪我するのも嫌だし。だから俺の代わりに、行ってきてよ」
……マジかぁ。
なんとも適当な理由だった。なんだか裏があるようにすら思えてしまう。
……まぁでも実際、彼の言葉に従うしか情報を得る手段はないのだ。うだうだ言っていても仕方があるまい。腹をくくらなければ。
「分かった、やるわ」
覚悟を決めて、私はそう、真っ直ぐに彼の瞳を見つめた。
「そう。じゃあ、交渉成立だ」
ちょっと無骨で、大きな手が差し出される。少しだけ警戒しながら、私もそれを握り返した。
大丈夫、大丈夫。ガイナスの領地とはいえ、アイツは今はこのエレミアにいるはず。
出くわすことはない、筈だ。
……今回こそ、上手くやる。
踏み台にしてきた人々の顔を思い浮かべ、私はぎゅ、と反対側の拳を握った。
「……面白くなりそうだ」
ク、と。小さく喉を鳴らした悪魔の声は、私の耳には届かないほど小さなものだった。
別原稿とストック作成の為、次の投稿は12/15になります。申し訳ないです。