10-2 黒魔女と情報屋
乱闘開始から数分。ギルドの中は、もう見るに耐えないほどに破壊され尽くした。
砕けた机に椅子に、割れた瓶。
それから、巻き添えを食らった団員達の屍。
いやまさか死んではいないだろうが、あの派手なやられ方を見る限り少し心配になる。
「いやぁ!見苦しいところを見せて済まなかったねぇ!!」
そう、ケタケタ笑って、目の前の彼女はビールを豪快にグビリと煽った。この惨状の犯人は、言うまでもなく彼女だ。
え?ジャック??そこでモニカさんの椅子になってるけど。
「うちの連中は皆喧嘩っ早いから、こんなのしょっちゅうなのさ。毎度毎度、修復魔法をかけなきゃいけないから、もう少し慎み深くして欲しいんだけどねぇ」
言いながら、モニカさんは手に持った杖をぐるり、と回した。すると散らばっていた食器や瓶、砕けた机や椅子がガタガタと動き出し、パチリと瞬きを終えた頃には、全て元どおりになっていた。
……いや、全てというのは語弊があるな。団員の屍はそのままだし。本当、さっきからピクリともしてないけど大丈夫なんだろうかアレは。
「もう、ママったら。ちょっと過激すぎるよ?」
そんなところも好きだけど、と。ロイが私の隣で笑う。モニカさんのお尻の下で、ジャックが大きくため息をつくのが聞こえた。
……ああ、苦労してるんだなぁ。
「ま、丁度いいじゃないか。人払いをする手間が省けたしさ」
悪びれた風もなく、彼女はまたグビリとビールを流し込む。先程からもう随分呑んでいるはずなのに、その頬に赤が灯ることはない。作り物みたいに、肌は真っ白のままだ。「さて、」とビール瓶を置いて、彼女は私の方を向いた。
「改めて、ようこそウロボロスへ。
で、アンタ……何しに来たんだい?」
キ、とモニカさんの目が、突然鋭く私を射抜く。そこに、先ほどまでの柔らかさは無かった。…こちらを敵か味方か図りあぐねている……そういう目だ。
完全に、警戒されている。
「アンタの正体も、どうしてそんなのを連れているのかも知ってるよ。だがねぇ……アンタ、どうしてここにたどり着けた? うちのジャックは、お貴族様と友達になれるような身分じゃないし、そもそも、そう簡単に警戒心を解くような奴じゃない。もちろん、アジトの場所を教えるなんて以ての外さ。
……ねぇ、まさか、うちのジャックに何かおかしな魔法でもかけたんじゃないだろうね?」
「ち、違うわ!!」
問いかけられるなり、私は即座に否定した。早めに何か言わないと、命が危ないと本能が語りかけたからだ。モニカさんは「へぇ?」と眉をひそめる。その白魚のような手は、杖を握ったままだ。
「証拠は?」
「……これよ」
私は手首を差し出し、例の呪いをモニカさんに見せつけた。……彼女の視線が、私の手首に移る。彼女はがっしり私の手首を掴むと、ジロジロと呪いを検分し始めた。
「は、魔力封印の紋章かい。それも、これは王家の……。はは! 可哀想に、あの黒魔女もこうなっちゃ可愛いもんだねぇ」
「確かに、これじゃ無理か」と彼女はそう、ケラケラ楽しげに笑う。
しかし、まだ疑いは晴れていないらしい。彼女はオルガの方に視線を向けると、ジロリと彼を睨みつけた。
「で?アンタはどうなんだい。
アンタなら、魔法は使えるはずだろう?」
「いえ、ミセス。残念ながら私も、処刑場で五剣と戦った際に魔力を封じられてしまいまして。お恥ずかしながら、できる魔法は、精々しまっておいた物を取り出す程度で…彼を操ることなど、とてもとても」
モニカさんの圧力なんて、まるで気にしないような顔をして、彼は平然とそう答えた。モニカさんはそんな彼をたっぷり10秒ほど睨みつけ……ペチン、と椅子にしたジャックのお尻を叩いた。
「痛っ! 何すんだババア!」
「やかましいよ! 誰がババアだ!
ねぇアンタ、何でこの子を連れてきたんだい?
一目惚れでもしたかい?」
そう言ってペチペチお尻を叩くモニカさんの顔には、ニヤニヤいやらしい笑顔が浮かんでいた。さながら恋話を聞きつけたおばさんのような表情だ。
先程まで彼女が纏っていた威圧感は、もうその表情のどこにもなかった。
「違う!別に困ってたから連れてきただけだ!っつーか叩くな!!あと、いい加減に退け!!」
吠えながらジャックは勢いよく立ち上がり、モニカさんを押しのけた。
「ったく……可愛くないガキだよ。
お嬢ちゃん、悪かったね。一応これでもギルド長、外部からの人間は疑うのが癖なのさ」
美しい微笑みを浮かべ、彼女は私の方へ手を差し出す。その手に、杖はもう握られていない。
「いえ、別に。仕方がないわ。私はこんな身分だもの、疑って当然よ」
そう、私も手を差し出し、そっとその手を握り返した。分かってもらえたようでなによりだ。流石にあの乱闘(というか一方的な暴力)を見せられた後で、彼女を相手取る気にはなれない。
……いや、本当に良かった。
「ソイツ、賢者を探してるらしいんだ。そういうの、ノエルが得意だろ?」
「なるほど。なら確かに、ノエルの出番だね。大方、理由はその手首の呪いの解呪ってとこかい?」
こちらを向いた新緑の瞳に、私はコクリと頷く。
「ふーん……。いくらノエルといえど、賢者なんて捕まるかねぇ。あんなのただの噂で、実在するかどうかも分からないのに……」
「分かるよ」
「……っ?!」
気がつけば、男の顔が私の頭のすぐ上にあった。
……びっくりするくらい、気配がなかった。一体いつの間に。
男は、目をまん丸にして驚く私にチラリとその青い瞳を向けると「チャオ、お嬢さん」と微笑みかけた。
……見たところ二十代前半といったところか。
高い鼻に、マリンブルーの瞳。少し癖毛のオレンジ色の綺麗な髪には、黒の洒落た帽子を被っている。攻略対象になりそうなくらいには、整った顔立ちだ。
……笑顔はどうにも胡散臭いけど。
「ああ、ノエル。おかえり。帰ってたのかい」
「いや、丁度今戻ってきたところだよ。本当、骨の折れる仕事だった。二度とやりたくない」
やれやれ、と彼は大仰に肩を竦め、私の隣に腰掛ける。
「で?この金持ちそ〜なお嬢さんは誰?」
軽薄な口調で問いかけられたその質問に、モニカさんは淡々と「アンタのお客様」と答えた。
「アンタに聞きたいことがあるそうだよ」
「……へぇ、そう」
青い瞳が、私の目の奥をジッと睨んだような気がした。
…刺すような冷たさを帯びた彼の視線が、頭のてっぺんからつま先まで、全身を這いずり回る。
……まるで蛇に睨まれたような心地だった。
彼は少し考えるようなそぶりを見せて、それからスゥとその唇にまた、綺麗な笑みを浮かべた。
「いいよ、話だけなら聞いてあげる」
そう言うなり彼は席を立ち、カツカツと一人、奥の方へと歩き出した。
付いて来い、という事だろうか。
「気をつけてね、エレナちゃん。アイツ、色々エゲツないから。……油断してると食われるよ」
ロイの低い声が、そっと私の耳元に囁く。
どうやら大体が、彼に対しては同じような感情を抱いているようで、ジャックもロイも、少し心配そうな表情を浮かべていた。
……モニカさんだけは、まるでこのやり取りを楽しむように、ビールを煽っていたが。
ごくり、と生唾を飲み、拳を握る。
こちとら悪魔と取引した女だ。
人間相手に怖いことなんてない。
「行きましょう、オルガ」
後ろでそっと静観していたオルガに声をかけ、私はゆっくりと男の後を追う。奥の部屋の扉は、ぽっかりと口を開け、私達を待ち構えていた。
毎日投稿宣言した初っ端から無理でしたごめんなさ……。出来るだけ…頑張ります……。