10-1 黒魔女と闇ギルド
ギルド、というのは、そもそもの意味…私が生きていた世界の意味では、主に商工業者などの同業者組合を指す。彼らは同業者同士で集団を作り、技術を独占し、厳しい時代を生き抜いてきた。
この世界での『ギルド』が指すものも、纏まりや組合という意味では、前世のものと変わらない。
実際、この世界にも前世と同じようなギルドは確かに存在する。しかし、それはレアケースだ。
この世界で『ギルド』といえば、それは大抵の場合『魔法使いの組合』を指す。
ギルドには、二種類ある。国に認可を受けた正規のギルドと、それ以外のならず者の集まり。
……所謂、闇ギルドだ。
正規のギルドは、国からの依頼を、所属する魔法使いを使って解決し、その報酬を依頼主の国家から受け取る。依頼の内容は大体、逆賊の退治だとか、魔物の退治だとか、そんな感じのいかにも冒険者なお仕事。
そのため仕事としては大層人気で、庶民の魔法学校では、大抵の生徒がギルドへの就職を希望する。
まぁ、大抵の場合は入団テストで振るい落とされるのだけれど。
しかしそれでも四月には、入団テストを受けるために各ギルドの前に行列が出来る。正規ギルドに就職してなり上がれば、お給料も沢山入るし、名誉も手に入る。まさしく、正規ギルドへの入団は、ヒーローになるチャンスなのだ。
そして、そんな正規ギルドと対を成すのが闇ギルド。非正規の違法ギルドだ。清く正しく強い魔法使いの集団である正規ギルドとは違い、無法者の掃き溜めである。
引き受けてくる仕事は、大抵ギャングなんかの違法組織から依頼されたもの。殺しに盗みに違法取引、違法薬物の栽培…と、とにかくなんでもありな連中だ。時には国が保護するダンジョンを荒らし回ったり、国のお偉いさんを暗殺したりなんかもする。つまりは闇社会の中でも汚れ役、金次第ではなんでも請け負う仕事人だ。
……ウロボロスは、複数ある闇ギルドの中でも、特にタチの悪い闇ギルド。
集まるのは闇社会でも名を轟かせた随一の無法者達。殺しも盗みも平気で犯し、その牙は時に正規ギルドにすら向く。しかしその本拠地や詳細は未だに掴めておらず、エレミアの上層部も頭を抱えているというのが実情だ。
最近じゃもはや都市伝説のような存在になりつつある。
正体は不明。実態も不明。
分かるのはとにかくヤバイのがいる……ということだけ。いくら政府が探しても尾を掴ませず、闇社会に君臨するその有様は、確かにウロボロスの名を冠するに相応しい。
「……って、まぁ随分大仰に語られてたけど……何よここ、ただの酔っ払いの集まりじゃない」
ワーワー騒ぐ男の声。楽しげに歌う女。賭けに興じる老人達。
まさしく乱痴気騒ぎ。想像していたような鬱屈としてニヒルでダークな悪役像は完全にぶち砕かれた。
パッと見た感じは場末の酒場というところか。あまりにもイメージと違う光景に、思わず呆れたような声が漏れる。
「あんだよ姉ちゃん! 俺らはただの酔っ払いじゃないんだぜーー!」
「そうさ! なんてったってウロボロスのメンバーなんだからよぉ!」
奥の方で豪快に酒を飲み干していた男が、ガハガハ笑いながらこちらへ声をかけてくる。私はそれを無視して、隣を歩くジャックを小突いた。
「ちょっと、ここ本当にウロボロスのアジトなの?」
「ああ……悪いな、ここはいつもこんな感じなんだ。アイツらは無視してくれ」
若干頭が痛そうに、こめかみを抑えながらジャックはそう返す。なるほど、どうやら彼も苦労していると見た。
私が猫から人間に戻って、一夜。
私たちは、クレアおばさんの言っていた『賢者』の情報を知るという男に会うため、ウロボロスのアジトを訪れていた。
ジャック曰く、その男は腕利きの情報屋で、今はウロボロスの専属として働いているらしい。「俺は知らないがアイツなら」と、彼はアジトまで連れてきてくれた。ちなみに昨日も結局ジャックの家に泊めてもらった。部外者……しかも黒魔女の私にここまでよくしてくれる辺り、やっぱり彼は変わり者なんだと思う。勿論、ありがたいことではあるけど。
アジトは、ボルノワの郊外の寂れた酒場の中にあった。中にあった、と言ってもその店がアジトというわけではない。正確には、その地下。呪文を唱えれば、バーカウンターの下の部分が開き、階段が現れるという仕組みだ。
魔術払いも当然されており、中々のセキュリティである。それだけ外部の人間に警戒しているのだろう……なんて思っていたが、この騒ぎ具合を見る限り、そうでもないような気がしてきた。「かっこいいじゃんそういうの!」とか平気で言いそうだ。
「あの中に情報屋はいるの?」
「いや……居ない。どうやら外に出てるみたいだ」
少しタイミングが悪かったようだ。
乱痴気騒ぎには参加していないらしい。
「ちょっと待ってろ」
ジャックはそう残して、奥の方へと消えて行った。
情報屋を探してきてくれるんだろうか。
「なんだか疲れるわね、ここ」
側にあった木製のベンチに腰掛け、私はそうため息を吐いた。なんというか…雰囲気が疲れる。こんな風に賑やかな場所には、もう随分と長いこと居なかったし。魔法学校もそれなりに賑やかだったが、貴族の息子や娘が集うあそこでは、なんというか…もうちょっと品があった。少なくとも、こんな馬鹿騒ぎにお目にかかることはなかった。
「お貴族様のお嬢様にはこんな場所は縁遠かったでしょうからねぇ」
オルガはそう皮肉げに笑った。
「本当。こんな下品で低俗な場にいるなんて、お父様が聞いたら卒倒してるわ……」
そんな過保護のお父様も、今ではもうこの悪魔の胃袋の中だが。
…………。
「おや、どうされました?顔色が悪いですよ、お嬢様」
私の顔を覗き込んで問いかけるオルガの口元は、やっぱり悪趣味な形に歪んでいる。全部知っているのだ、コイツは。……本当、悪魔という奴はいい性格をしている。
「別に、なんでもないわ。少し下品な酒の匂いにやられただけよ。さっさと情報屋とやらに会って、早くこんな馬鹿みたいなところ、出ましょう」
小さく悪魔を睨みつけ、ツン、と澄ました顔でそう言った……その時だった。
突然、背中に何かがのしかかってきたのは。
「えー、もう帰っちゃうの?せっかくここに来たんだから、ゆっくりしていきなよ〜」
「っ!!」
甘い男の声が、耳元で言う。まるで酒気を孕んだような声だ。反射的に振り返って、首にまとわりつくその手を払えば、深紫色の髪をした男は少し驚いたような顔をして……それから、ニコリと微笑んだ。
「ごめん、びっくりさせちゃった?」
「何、貴方」
威圧するように、喉の底から低く唸るような声で問いかける。しかし男は、変わらず、その薄い唇をニコリと釣り上げたままだ。
「僕はロイ。君は?」
変わらずふわふわした口調で、今度は男……ロイが私に聞き返した。芯のない柔い声と表情。
だけどそのコバルトブルーに煌めく瞳には、何故か有無を言わせない迫力があった。
「……エレナ・ブラッディ」
短く、ぶっきらぼうに答える私に…ロイはへにゃり、と微笑んだ。
「そっか、エレナちゃんっていうんだね。ジャックの友達でしょう?……じゃあ、警告しといてあげる」
「…っ」
何だ、これ。
急に彼の纏う雰囲気が変わった。
気がつけば、あれだけうるさかった室内はシィンとしていて、こちらを沢山の目が見つめている。彼の声は変わらず穏やかだ。でも、目が、冷たい。彼だけじゃない。周りの全てが、こちらを値踏みするような、そんな瞳を私に向けていた。
異様な雰囲気に飲まれそうになる私に、彼はゆっくりと語りかける。
「あのね、うちのギルドのこと…あんまりバカにしない方がいいよ。ここのバカ共、皆プライドだけは高いからさ。
…エレナちゃんみたいな、無防備で無自覚な弱い子なんて、すぐに殺されちゃうよ?」
ツゥ、と、彼の細い指が私の首を伝う。まるで首を切るような、そんな指遣い。
……慣れた手つきだった。
ぞくりと冷たいものが、背筋を駆け抜ける。
……確かに彼らは、本物だ、と本能が理解した。
なら、撤回しなければ。
彼らが負け犬のちゃちな悪党ならいざ知らず、これまでの私の発言は、本物である彼らのプライドを大いに傷つけるものだっただろう。
…復讐は始まってすらいないというのに、こんなところで始末されるのはごめんだった。
「…そうね。ごめんなさい、言い過ぎたわ。私も少し……気が立っていたの。許して頂戴」
ベンチから立ち上がって、ドレスの裾をつまみ、軽く頭を下げる。
オルガが「おや、珍しい」と笑う声がした気がしたが、それは気にしないことにした。というか、珍しいと言える程の付き合いでもないでしょうに。
「驚いた。頭、下げるんだね……君」
ロイの言葉に頭を上げれば、彼は意外そうな顔でこちらを見ていた。周りも然り。驚いたような、呆気にとられたような、そんな顔をしている。
ああ、なるほど。
「いけない事をしたのだから、謝るのが普通でしょう。……それとも、貴族はそんなこともできないと思われているのかしら?」
「あっ……いや、べつに、そういう訳じゃ……」
平然と言う私に、彼は少しバツが悪そうにしどろもどろしている。
不意に、部屋の片隅から豪快な笑い声が上がった。
「はっ、ははははは!!! おぉい嬢ちゃん、気に入ったぜ!! ちぃと高飛車だが、アンタはちゃんと分かってる!! なぁそうだろう?!」
いかつい体つきをした、如何にもな男がそう、周りに問いかける。すると、あちこちから賑やかな声が上がり始めた。
「ああ! そこらのお貴族様とは違うや!!」
「さっきはぶっ殺してやろうかと思ったが…意外としっかりしてんじゃねぇか!」
「性格は悪そうだがな!!!」
「余計なお世話よ!!」
ギャハハハハ、と下品な笑い声が辺りに響く。緊張した空気はもう跡形もなく霧散していた。
彼らは次々とビール瓶を開け、それをジョッキに注ぐこともなく、中身を口の中へと流し込んでいく。
そんな様子を苦笑いして眺めながら、ロイはポツリと、微かに唇を震わせた。
「……お貴族様が皆君みたいな子だったら、この国はもう少しマシだったかもね」
「……え?」
「いや、何でもないよ。独り言さ」
聞き取れなくて不思議そうな顔をした私に、ロイはまたへにゃりと微笑んだ。
なんだろ?貴族がどうとか言ってた気がするけど……。
喧騒に飲まれたせいで、全然聞こえなかった。……一体何故、彼は少し悲しそうな顔をしたのだろうか。
「ところで君、あのブラッディ家の子だろう?
どうしてこんなところに?」
思い出したように、ロイが口を開く。
……私が黒魔女だと知っていて、あんな啖呵を切ったのか。
「いえ、実は色々あって…。知りたい情報があったんだけど、ジャックがそれなら闇ギルドの情報屋を頼るといいってここに連れてきてくれたの」
「情報屋……ああ、ノエルか。そう……」
な、なんだこの微妙な反応は。すごく気まずそうな、なんとも言えないようなそんな感じは。
……え?その情報屋って、大分やばい奴なの?
「いや、なんでもない。大丈夫大丈夫。まぁ、何かあったら僕に聞いてくれればいいよ。
一応、このギルドには長くいるからね」
言って、彼は私の頭をポンと撫でた。
さっきから思っていたけど、この人なんか、距離感が近いよなぁ……。
ルース様みたいにお兄ちゃんって感じはしないけど、頼れる大人って感じがする。
……あれ。なんか、頭がぼぅっと……。
「っおい貴様!! エレナに何してる!?」
「おっと、見つかったか」
突然頭の靄を払うよな怒鳴り声が、私の頭の中に響く。声のした方を見れば、ジャックが鼻息荒くこちらに向かってくるところだった。
「おい大丈夫か!? 頭は!? 頭は平気か!?」
ジャックは私の肩を力強く掴み、グラグラと揺さぶる。指が肩に食い込んで、少し痛い。
というかその聞き方だとまるで私の頭がおかしいみたいだからやめてほしい。
「何よ、そんなに焦って。別に、私はロイと少しお話ししていただけで……」
「ならいいがな…! 気をつけろよ、コイツは黒魔法の使い手! それも洗脳が大得意なんだ!!少し気に入った奴がいれば、自分の操り人形にするサイコパス野郎なんだからな!?」
「はっ!!?」
な、なんだって!!? じゃあ今の感じは……。
「ふふ、種明かししちゃダメじゃないか、ジャック。せっかくいい感じの子が見つかったのに」
そう言って、ロイは「ねぇ?」とこちらを覗き込んでくる。その瞳に悪びれた雰囲気は一切ない。
「なにがねぇ、だ!! エレナは客人だぞ!? 余計なことをするな!!」
「でも、素敵なお嬢さんに声をかけないのは失礼だろう?それに、そこの悪魔くんにも止められなかったし」
ロイが指差した先には、口元を覆ってプルプル肩を震わせるオルガがいた。
……まさか、こいつ。
「くくく……惜しいですね、洗脳されてトロトロになったお嬢様を見るのも面白いかと思ったのですが」
「ふっざけんじゃないわよこの悪魔!!! 主人の身がピンチなのよ!? ちゃんと助けなさいよ!!!」
「だから悪魔ですって。だって命令されてませんし、良いかなって」
「良くない!!!!!」
なんてふてぶてしくて憎たらしい悪魔だ。全部終わったら、悪魔祓いには、より苦しみの強い方法で祓ってくれるようお願いしよう。
「エレナ、一人にしてすまなかった。もう俺からは離れるなよ。ここはこういうサイコパス野郎がゴロゴロいるんだ。ここの団長だって…」
「ちょっと、だぁれがサイコパスだってぇ!?」
「グゲッ」
ジャックの言葉は、ハスキーな女の声と、飛んできたフライパンによって遮られた。フライパンが命中したジャックは、呆気なくヘニャヘニャと床へ倒れ臥す。
「ち、ちょっとジャック!?」
「ったく…恩知らずなガキだね。一体誰が育ててやったと思ってるんだ」
カツ、カツとヒールが木の床を打つ音が、ゆっくりと近づいてくる。
店の奥から現れたのは、美しい茶髪と深緑色の瞳を持った女だった。品のある赤いドレスに身を包んだその姿は、一見すれば夜会の貴婦人、といったところだが。
「この! 私様の! どこが!! サイコパスだって!? 言ってみなボウズ!!」
赤のピンヒールでジャックの頭をグリグリ踏んづける彼女に、そのイメージは、三秒で粉砕された。貴婦人というか、どちらかといえば肝っ玉母ちゃんだこれは。
「い、いでででで!! やめろババア!! 殴るぞ!!」
「は、アンタのちゃちな拳なんて届くかいクソガキ!! 私に傷一つ負わせたことないくせに、よく吠える口だねぇ?」
「なんだとババア!!」
ダンダンダン、と唸るような銃声が響く。ジャックが拳銃を抜き、発砲したのだと分かる頃には、オルガはもう私の腰を引いて少し離れた場所に退避していた。
「お! 喧嘩か!? いいぞいいぞー!!」
「いけ! ジャック!! 今日こそママに勝ってやれ!!」
「よし、賭けるか! 俺ママに1000ペレーネ!!」
「あ、じゃあ俺もママに10000ペレーネ!!」
「アタシもアタシもーー!!」
「ばっきゃろ、それじゃ賭けになんねーだろ!!」
ぎゃははは、と笑い声が室内を包む。
ロイは少し困ったように笑って、私の横に避難してきた。
「なによアレ……。無茶苦茶な動きだわ、二人とも」
まるで漫画のような動きで互いを攻撃し合う二人に、絶句する。ロイは少し困ったように眉を下げて笑った。
「あー、まぁ、いつもの事だよ。
……あれが僕達のボス。ウロボロスの女主人、モニカ・ベローチェだ」
そう、ロイが指差した時には、モニカ…さんは、華麗な飛び蹴りをジャックの顔面にキメ、見事勝利を収めていた。
前編なのに長くなったのは間違いなくロイの所為です。明日からできる限り毎日投稿します。