9-2 黒魔女、悪と邂逅する
オルガを見たジャックの第一声は、意外なものだった。
「とりあえず、中に入れ」
そう言って、なんと彼はオルガを家に招き入れたのだ。
これにはオルガ自身も驚いたようだった。普通に暴力沙汰になると踏んでいたのだろう。私もそう思っていた。だって、今のオルガの容姿は赤い瞳に黒の髪。この国じゃ一番疎まれ、迫害される容姿だ。
普通なら即通報である。
しかしジャックは、それを、オルガの姿を見て何かを悟ったようだった。「その姿では、周りに見られると色々困るからな」と付け加え、彼はオルガをリビングのソファーに座らせたのだ。
「さて……。悪魔が一体俺に何の用だ?」
そして、彼はオルガの正体を一瞬で見抜いた。
禁忌とされた存在を、普通に生きていればまず知るはずのない存在を、彼は知っていた。
……オルガは、興味深げにゆらりとその瞳の赤色を揺らした。
「よろしい。全てお話しましょう。そうでなきゃ、お嬢様は渡していただけなさそうですし」
言って、オルガは自らの顔に手をかざし…
スッと、まるで全てをリセットするかのように、ゆっくり手のひらを右に流した。
……再び現れたオルガの顔に、おおよそ傷と呼べるものは、一つも残っていなかった。
「見て頂いた通り、そして御察しの通り私は悪魔。
そして、この方は私の契約者なのです」
そう、少し大仰な口調で、まるで舞台上の役者のように彼は全てを語り始めた。まるで私の存在が物語の歯車の一つだとでも言わんばかりの台詞回しで。
「つまり……こういうことか」
オルガの話が終わり、微かに震える指先に持っていたコーヒーカップを、机に置きながらジャックは言う。
「この猫は元は黒魔女の人間で、お前はその主に使える悪魔。そしてお前はこの主を迎えに来た、と」
「ええ、左様です」
向けられた鋭い視線にたじろぎもせず、オルガはその美しい顔ににっこりといつもの笑顔を浮かべた。
刻まれた傷が、洗い流されたように綺麗さっぱり無くなったその顔は、まさしく美しいと評価するにふさわしい。
……腹立たしくはあるが。
「にわかには信じられないな。証拠は?」
「今からお見せしますよ」
そう言って、オルガは懐から小さな透明の小袋を取り出した。中には、ドギツイファッションピンクの錠剤が三粒。明らかに体に悪そうな…いかにも魔法薬、という感じである。
「少し、失礼しますね」
オルガの手が、机の上に座っていた私を優しく捕まえた。
……ウワァ嫌な予感。
「あっ、おい!」
ジャックの制止の声も聞かず、オルガは私を膝の上に乗せた。そして…ズボッと、口の中にその細い指を突っ込む。
「に“っ!?」
「お薬の時間ですよ、お嬢様」
……その唇が、嗜虐的に歪められたのを、私はしっかりと見てしまった。
指を入れられ、こじ開けられた口の隙間から、小さなサイズの錠剤が三粒、順番に押し込められる。そして側にあった、口をつけていないままのコーヒーを、がふがぶと私の口につっこんだ。
「に”ぉぉぉぉぉ!!!?」
喉の奥から、珍妙な悲鳴が上がる。というか、悲鳴の体さえなしていない。
コーヒーの熱が、口の中にたっぷりと広がる。錠剤の苦味なんて一切感じなかった。
いや熱い熱い熱い熱い……!
「ゴホッ!!」
ごくり、と最後の一口を飲み干して、私は盛大に咳き込んだ。喉はまるで焼け焦げてしまったみたいに、まだヒリヒリと痛みを訴えている。
こっの男は……!!
「あ、戻った」
「戻ったじゃないわよこのサディスト!!!!!」
頭上で微笑むオルガに、私の盛大なグーパンチがキマる。…今度はオルガが「ブッ」と口から異音を出す番だった。
「ありえない、ありえないありえない!!
本当最低ね貴方!!? 普通、可愛い黒猫の口にコーヒーなんて突っ込む?! 本当の猫なら間違いなく死んでたわよ!!」
「よかったですね、死ななくて」
「そういう問題じゃないでしょこの悪魔!!!」
「悪魔ですが」
「知ってるわよ!!!」
オルガの膝から飛び降り、全力で蹴りを放った。もちろん狙いはそのムカつくにやけ面だ。
「ていうか、なんで貴方がここにいるのよ?!
死んだんじゃなかったの?!」
「はは、ご冗談を。あの程度で死ぬわけがないでしょう」
渾身の蹴りを飄々と躱し、まるで馬鹿にしたような声音でオルガは言う。
「その割には随分と苦しそうに見えたけれど?」
「ええ、まぁ。そう振る舞うのが得策かと。…魔法も大して使えない今、アレと闘うのは少々面倒でしたから」
「やっぱ死になさいこのクズ!!!」
「おっと」
全ての怒りを込め、もう一度、ヒールの底でその眉間に穴を開けんばかりに放った一撃も、やっぱり易々と躱された。
……これだけ反射神経がいいなら、あの魔法も躱せたんじゃないのコイツ。
「まぁまぁ、いいじゃないですか。そのおかげで、私は姿を戻す薬を持って、貴女をお迎えに上がれたわけですし」
「そもそも貴方が死んだふりなんてしてなかったら、薬を飲む必要もなかったし、彼の家まで連れて来られる事もなかったんだけど?!」
「ああ、それはまぁそうですね。
でもほら、可愛らしかったですよ?
にゃんにゃんにゃーんって」
「……っ!」
からころ笑われて、ボッと顔に熱が昇る。それが怒りによるものか、はたまた別の何かのせいかすらもう分からない。コイツ、全部が終わったら絶対悪魔祓いか何かのところに突き出してやる……!
「っ……あの、そろそろいいか?!」
怒りの炎をメラメラと燃やしていると、後ろで私たちの口論を観察していたジャックが、耐えかねたように声をあげた。その拳は、なぜかプルプルと小さく震えている。
賑やかだった空気が、シンと静まり返った。
「お前達……いや、お前、は……結局、誰なんだ?」
まるで波に揺れるような声音で、彼は問いかける。問いかける、と言う割に彼の視線は、まるで現実から目をそらすかのように、床に落とされたままだ。
まぁ、突飛な話だし。目の前の光景が信じられないのは無理もない。でもそれでも、先程までとはあまりにも態度が違いすぎた。
……一体彼は、何を……
「お嬢様」
「あ、ええ」
オルガに促され、私はスッと彼の方へと向き直った。
「私の名前はエレナ・ブラッディ。
押しかけてしまって、ごめんなさいね」
「……っ!」
彼の体は、硬直した。
側に行って確かめるまでもない、明らかな動揺。
……その肩は、爆発する感情を抑えるみたいに、プルプル小さく揺れている。
「ああ、そうか……」
そう、噛みしめるように、彼は小さく呟いた。
……いや、勝手に納得されても困るんだけどなぁ。
一体彼が何にそんなに心を動かされているのか、こちらは皆目見当もつかないのだ。私にはただ彼を怪訝な目で見ることしかできない。
続いた沈黙を打ち切ったのは、オルガ
の言葉だった。
「ところでミスタ? 何やらご感動の最中のようで申し訳ないのですが……今度は私達の番です」
真紅の瞳をジッと細め、彼は言葉を重ねる。
「私の正体を見抜くその知識。そして今までの言動。振る舞い。仕草。僭越ながら、貴方がただ者ではないとお見受けしました。……貴方は一体、何者です?」
ジャックは、何も答えない。
どうやら、言うか言うまいか、迷っているようだ。……少なくともチラリとこちらを覗いた金の瞳には、そんな迷いが見て取れた。
「言えないのなら、当てて差し上げましょうか?」
オルガの問いかけに、ジャックは小さく首を振り……顔を上げる。
「いや、その必要はないさ。……別に、お前らになら知られて困る訳でもない」
そこには、先ほどの様子が嘘みたいに思えるほど、無機質な表情をした彼がいた。ごちゃごちゃの感情を、全部押し込んだような、そんな顔だ。
___黄金の瞳が、真っ直ぐにこちらを捉える。
「改めて、俺の名前は……ジャック。
ジャック・スミス。闇ギルド“ウロボロス”のメンバーだ」
次回投稿は12/9(日)です。
テスト終わったので、日曜からまた毎日投稿に戻ります。