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6-1 黒魔女と悪魔とアールグレイ

 

 窓の外を走る、けたたましいエンジン音で私は目を覚ました。

 …視界いっぱいに映りこむのは、塗装の剥がれかけたボロボロの天井。


「……っ、どこ、ここ…」


 ゆっくり起き上がり、辺りを見回す。


 霞んだクリーム色の石壁。軋むベッド。埃っぽい部屋。


 そのどれもに、見覚えはない。

まるで廃屋のような部屋だ。


「私、どうしてこんなところに……?」


 重たい頭に手をやり、ゆっくりと記憶を遡ってみる。


 ……ええと。確か私、悪魔と契約して……あぁ、そうだ。


 悪魔を使って、復讐を果たそうとしたんだっけ。

 それで、アランを殺そうとした。


 両親の仇を、とるために。


「お父様、お母様……」


 二人の顔を思い浮かべてしまい、ぎゅっと拳を握る。


 首が飛ばされていたせいで、彼らの死に顔を見ることはできなかった。


 ……けどきっと、彼らは、私を恨んで死んでいたのだろう。


 首が無かったことはショックだった。でも顔を見なくて良かった、とも思う。


 だって、そこにはきっと深い絶望があったはずだ。そして、ブラッディ家を滅ぼす引き金を引いた、私への憎しみも。


 ……愛する両親のそんな表情を見てしまったら、きっと私はおかしくなってしまっていた。


「汚いのね。責められて当然の事をしたのに、それから逃げようとしてる」


 私は、小さく自嘲気味に笑う。


 ……もしも、私があの日何もしなければ。もっと言えば、私さえいなければ。きっと彼らは首を飛ばされる事もなかっただろう。私は彼らの幸せを奪った。私のせいで彼らは死んだ。


 …私が殺したも、同然だ。



「おや、お目覚めですかお嬢様」


 足音と共に、済ました男の声がそう話しかけてくる。


 ……顔を上げれば、男は「おはようございます」と、こちらへ向けてにっこり微笑みかけた。


「……悪魔」


 そこにいたのは、私が処刑場で契約を結んだ悪魔だった。真っ黒な燕尾服に身を包み、美しい青年の姿をした彼は、一見すればお屋敷に勤める執事に見えなくもない。彼が持つ銀のトレーの上には、ポットとティーカップが二つ、乗っている。


「ご気分はいかがですか?」


 悪魔はこちらに歩み寄りながら、そう問いかけた。……分かっていて聞いているのだから、本当に気分が悪い。


「良いわけがないでしょう。最悪よ」


「それはそれは」


 言って、何がおかしいのか、彼はクツクツ笑いながら、机の上にトレーを置いた。そしてポットを手に取ると、慣れた手つきでティーカップに中身を注ぐ。


 アールグレイの甘い香りが、埃っぽい部屋にふわりと広がっていく。


「……貴方、紅茶なんて淹れられたのね」


「ええ、まぁ。長く生きていればこれくらいはね……どうぞ」


 そう言って悪魔は、椅子を引いた。

 勧められるがまま、私はベッドから立ち上がり、その椅子に座る。


「いい香り……」


「でしょう?たまたま台所を見ていたら、良さそうな茶葉が出てきまして」


 それ、賞味期限的に大丈夫なんだろうか。ここ、見た感じ廃屋っぽいが。


「ああ、ご心配なさらず。ちゃんと確認しましたから」


 そう、まるで私の心を見透かしたような事を言って、悪魔は私と向かい合うように席に着いた。ティーカップからは、温かい湯気がもうもうと立ち上っている。


「……そういえば、ここはどこなの?」


 ティーカップに手をやりながら、思い出したように私はそう問いかけた。


 覚えている限りでは、確かあの処刑場で、私はエヴァンに眠りの魔法ををかけられたはず。普通に考えれば、エヴァンは私をもう一度捕らえて、今度こそ処刑の仕切り直しをするところだろう。


 ……なのに、どうして私はこんな所で、お茶なんて出されているのか。


「ここはエレミア王国首都ボルノワ…の、スラム街の一画。……私達は、あの男に見逃されたんですよ」


 悪魔は紅茶を一口飲んで、そう答えた。


「エヴァンが、私を……?」


 言われて記憶を辿れば、エヴァンの声が脳内に響く。


『エレナ。貴様もここは引け。俺は優しいからな、今日は見逃しておいてやる』


 ……ああ、確かにそういえばそんなこと言ってたな。


 いやでも、だからって本当に逃がすか?あの場では、圧倒的にエヴァンが有利だったはずだ。悪魔の虚をつき、私を魔法で抑えた。彼の家のことを考えれば、私をアランに差し出すのが最善だったはずだ。というか、私を見逃すこと自体謀反と捉えられかねないのだから、普通はそうする。


 彼の場合私に同情して、ということもないはずだ。彼は何においても、自分の利益を優先する。そんな彼が、自分の立場が悪くなるような事を、なんの打算もなくする筈がない。


 ……一体、エヴァンは何を考えているのだろうか。


「ま、彼が一体どういうつもりだったのかは私には分かりませんがね。言っておきますが、嘘はついていませんよ」


「……分かってるわよ」


 まぁエヴァンもああ言っていたし、悪魔の言っていることは真実なのだろう。それはちゃんと、分かっている。


「エヴァンは、何か言っていた?」


「いえ。特には。私が貴女のところへ駆けつけたときには、彼は既に立ち去っていましたし……貴女は眠りの中でした。仕方がないので、私も貴女を連れて彼処から脱出し、たまたま見つけたこの空き家をしばらくお借りする事にしたんですよ」


「……そう」


 淡白に言って、私はティーカップに口をつける。……温かなアールグレイティーの香りは、すうっと私の鼻腔を駆け抜け、胃の中へと落ちていく。


「……美味しい」


「それは良かった」


 にこり、と悪魔は満足そうに微笑む。


「お嬢様。色々腑に落ちないことはあるでしょうが……一度、考えるのを放棄してみてはいかがでしょう。思い出して下さい?貴女には、もっと他にすべきことがあるでしょう?」


 …すべきこと。


 そう言われて、ハッとした。


 ああ、そうだ。

 私には為さねばならないことがある。両親を殺し、私達を虐げたアイツらに、報復を。

 復讐を……しなければならないのだ。


 …どうせ分からない事を、延々と考えていても時間の無駄でしかない。何をどれだけ言おうと、それが想像の域を出ることはないのだから。


 だから、考える暇があるならさっさと前を向くべきだと、きっと、悪魔はそう言いたいのだろう。


「ええ、そうね。確かにそう。

 …こんな事をしている場合じゃなかったわ」


 私はティーカップを置き、悪魔に向けて不敵に微笑んだ。


 ……私の背を押してくれた悪魔に、心の中で小さく感謝しながら。いけ好かない奴だと思っていたが、意外な一面を見た。悪魔らしくもない。


「お分かりいただけたようで何よりです」


 そう言って、悪魔は真っ直ぐ机を指差す。



 すると、突然ポンッと音がして何もない空中からペンとインク、それから一枚の羊皮紙が現れた。


 ……ん???


「さぁ、お嬢様。とっとと契約を結びましょうか。その後ならどうぞご自由に悩んでくださって結構ですので」


「……はい??」


 思わぬセリフに、つい間抜けな声が漏れた。


 ……いや、え……? 契約??


「おや、説明しませんでしたっけ?

 悪魔との契約は書面で行うものですよ。処刑場の時は、契約して下さるようだったのでサービスしましたが…。というか、悪魔相手に口頭での約束事なんて、信用できないでしょう?それに、お嬢様の願いはちょっと大雑把すぎますから。契約期間、内容含めてもっと具体的に決めて頂かないと」


 悪魔の口から次々と飛び出す事務的な言葉に、どんどん顔が熱くなっていく。


 ……いや、あの、じゃあ、つまり。


「あれ?? どうしたんですかお嬢様。もしかして、励まされたとか思っちゃいました? 『悩む前に、早く前を向きなさい』とか言われてると思ってました??」


「っ、一々見透かしたような男ね貴方は!! そんなわけないでしょう?!!!」


 完全に馬鹿にした様子の悪魔を、私は真っ赤になって怒鳴りつけた。悪魔は心底可笑しそうにケラケラ笑っている。…どう見ても確信犯だった。この場合は、間違った方の意味で。


「っ、貴方、やっぱり悪魔ね」


「今更でしょう。ふふ、お嬢様はからかい甲斐がある」


 そう言って、目尻に滲んだ涙を細い指で拭い取り、悪魔は「さて」と何事もなかったかのように、ペンを握った。


 ……瞬間、場の空気がガラリと変わる。


「契約の時間です。貴女の願いを聞きましょうか、お嬢様」


 悪魔の赤い瞳が、ス、と冷たい光を帯びる。紅茶のおかげで温まったはずの体が、また冷えていくのを感じた。


 もう、後には引けない。

ここからが本編です。

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