第四話 初めての朝
朝、俺は目を覚ました。
いつも通り、部屋を出て顔を洗い、朝飯を食べるために下へ降りる。
…はずだった。
いつもなら。
だが、
目の前には見渡す限りの大きな肌色の風船があった。
無論、俺の腹だ。
(夢じゃ…なかったのか…)
俺の体は部屋中を覆いつくすほどに膨らんでしまっていた。
「…」
『おはよう。風太。』
そしてなぜかこの場にいないはずの元凶の声が聞こえる。
「…おい、アリア。」
『何?』
「お前どこにいるんだ?」
『あなたの中。』
「はぁ!?」
『あなたの意識の中にいるのよ。』
…とりあえず俺は考えるのをやめた。
「…なんでまた膨らんでるんだ?」
『え?だって、寝てたんでしょう?』
「そりゃあそうだよ。」
『だったら膨らむに決まってるじゃない?』
「なんでだよ!?」
『はぁ〜、いい?あのね、人間の三大欲求って知ってるでしょ?
『食欲』、『性欲』、『睡眠欲』。
これらはすべて、人間が『幸せ』って思うことよね?』
「ああ、なるほど…」
つまり、俺の体は寝ても膨らむし、食っても膨らんでしまう、ってことか。
『それより、急がないと遅刻するわよ?ほら、早く『幸せ』を出してみて?』
「は?」
「『排出』しろって念じてみて。」
「?」
よくわからないが、やってみるか。
(『排出』…)
「!!」
途端、腹回りに解放感を感じた。
「くぅ、ふぅ…」
すると、見る見るうちに部屋中に広がっていた肌色は縮んでいく。
そして、寝る前と同じくらいの大きさに戻る。
どうやらこれ以上は小さくならないようだ。
今度こそいつも通り、顔を洗い、朝飯を食べるために下に降りる。
ドアは通れるはずが無いとは思っていたが、あっさり通ることができた。
アリアが空間をいじってどうのこうのとか言ってたので多分そういうことなんだろうな・・・
洗面所に着く。
狭いはずなのに俺の巨体は壁に当たることなく進める。
そして、鏡と相対する。
改めて、自分の体を確認した。
もとい、自分の体に驚いた。
体は本当にまん丸に膨らみきっていた。手足はほとんど体と一体化してしまったため、腕は二の腕まで、足は脛までしか残っていなかった。
とりあえず、少しムチムチに膨らんではいるものの、俺の顔が俺が船橋 風太であると認識できるくらいには原型をとどめていてくれたことに安心する。
口内にも特に変化は見られない。
首は手足と同様に一体化していたが。
体の全長はおおよそ2m程。本当に良くこの洗面所に入れると思う。
地に足はついておらず、フワフワと浮いている。
そして、何よりも。
「やっぱり…」
ない。
風船のようにツヤツヤで光沢をもった俺の体には、男の象徴も、臍も、乳首も。
残ってはいなかった。
あまり動かない首を頑張って向けて後ろも確認するが、やはりそこには丸いツヤツヤの肌色の風船があるだけで、割れ目も穴も消えていた。
体に生えていた毛も綺麗さっぱりなくなくなっていて、ただ艶のある肌色が広がるばかりだった。
髪の毛はあったが。
よく見たら、手足も爪がなくなっていた。
既に、少なくとも首から下までは俺の変化していない部分はなかった。
『…まぁ、その。これも運命よ。
きっと。』
「…なんで俺を選んだんだ?」
どこかにいるアリアに問いかける。
返答はすぐに返ってきた。
『うーん、そうね…あなたがすごく落ち込んでたから。』
「えっ?」
なぜそれが理由になる?
『人が大切な物を失くすのは見たくないから。が適当かもね。
『しあわせのふうせん』の契約時の『不幸』の吸収は運命を捻じ曲げるくらいの力があるの。だから、あなたを助けてあげたの。まぁ、私も魔力不足で困ってたってのもあるけど。』
「…」
『さぁ!さっさと顔洗ってご飯食べましょ!』
「お、おう。」
体をうつ伏せにするようにして蛇口に手を伸ばし、顔を洗う。
顔は水を弾き、タオルで拭くと風船を擦るような音を立てた。
「風太ー!早く食べないと遅刻するわよー!!」
母さんが歩きながら近づいてくる気配がする。
「あっ、やべっ…母さんかよ…!」
こんな姿見られたら家中大混乱間違いなしだ。それどころじゃないような気もするが。
「どうすんだよ!アリア!」
しかし。当のアリアは。
『平気、平気。普通にしてなさい。』
などとほざいている。
(あぁ…終わった。)
母さんが洗面所に到着した。
「あ、あはは。母さん…おはよ…」
とりあえず、平静を取り繕ってぎこちなく笑いかける。
大騒ぎ確定だなぁ、とか思っていたら。
「何が『おはよ』よ。全く。さっさとご飯食べないと遅刻するわよ。」
「…」
「はぁ?」
「何よ?私おかしなこと言ったかしら?」
「えっ?いや、母さん?その、俺見てなんとも思わないの?」
だってそうだろう。
昨日まで普通の息子だったのに、突然肌色の風船に変わっているのだから。
しかし、生まれてからずっと俺を見てきたはずの母親は呆れた顔をして溜息をついた。
「はぁ、うちの息子も厨二病?だったっけ?っていうのにかかっちゃったのかしらね。いいからさっさとご飯食べに来なさいよ。もう二人とも食べてるんだから。」
そう言って母さんは去っていった。
「え?え?え?」
『だから、普通にしてても大丈夫だって言ったでしょ?』
いや、さっぱりわからないぞ。
アリア。
『とりあえず、ご飯よご飯。』
「…おう。」
わからない。さっきからわからない。
なぜ母さんは俺を見て平気なんだよ?
普通、こんな体に成り果てた息子を見たら発狂して卒倒するだろう。
それよりも、だ。
今、母さん、二人って言わなかったか?
うちには母さんと百合と俺の三人しかいない。
父さんは俺が小さい時に離婚したと母さんから聞いただけだ。
無論、家にいないし顔すらわからない。
じゃあ、『二人』ってなんなんだ?
そうこうしている間に台所についた。
調理場には母さんしかいなかった。
そして、トーストを齧っている、
小さい、大切な妹。
「あっ!おはよー!お兄ちゃん!!」
俺の顔を見るなり駆け寄ってくる。
だが、最愛の妹の無事よりも、だ。
俺はその横でコーヒーを啜っていた少女から目が離せなかった。
「遅かったわね。風太。」
金髪の碧眼の少女ーーアリアーーはコーヒーを置き俺に微笑んできた。
「え?」
どうしてアリアがここにいる?
「?どうしたのお兄ちゃん?愛里お姉ちゃんがどうかした?」
「そうよ。急に私なんか見つめて。」
なんだ今の『愛里お姉ちゃん』とは。
おい。
そしてお前の服はなんだ。
それはうちの高校の制服だぞ。
アリアがこっちに目配せし、俺の意識に語りかけてきた。
『話は後でするわ。とりあえずここでは大事にしないで。』
確かに、ここで大騒ぎするのは良くない。この調子だと母さんと百合の二人からドン引きされるだけだ。
「い、いや、なんでもないよ…まだ寝ぼけてんのかな、はは。」
適当に流してテーブルに向かう。
しかし、また問題が浮上した。
今の俺はふわふわと空中に浮遊している。つまり、椅子に座れないのだ。
(おいおい、ここまで来て朝飯を食べれないなんてあんのかよ…)
しかし、心配は無用だった。
「!?」
突然、椅子がなくなり腹に何かが巻きついてくるような感触がして、俺の体がストンと地に落ちる。
見ると、俺の腹にロープが巻きついていて、しっかり固定されているようだった。
となりでアリアが微笑む。
なるほど、こうやって食えと。
サンキュー、と小声で感謝して朝食に取り掛かる。
今日の朝飯は半熟の目玉焼きとバタートーストだった。実は俺はこのメニューが一番好きだ。
目玉焼きを半分にする。卵のとろとろとした黄身が皿に広がる。それがあまり溢れないうちにバタートーストに乗せてパクッと食べる。
これがたまらないのだ。
「…うまい。」
ググググッ
「!」
同時に体が膨らんだ。
しかし、膨らむとは言っても昨日の膨張とは違い、緩やかで穏やかな膨らみ方だった。
あまり慌てず、俺はそのトーストをすぐに平らげ次の獲物に標的を定める。
残りの半分は醤油をかけて頂く。
醤油はテーブルの真ん中に座っている。
いつもなら少し手を伸ばせぱ届くのだが。
「くっ!」
膨らんだ腹が突っかかって醤油まで手が伸ばせない。
(これなら全部トーストに乗せちゃった方が良かったなぁ…)
すると横から手が伸びて、俺の手が届く場所に醤油が置かれる。
「はい。風太。」
アリアだ。
「あ、アリア。サンキュ…」
アリアの方を振り向き、礼を言おうとした時。
「…」
俺は思わず黙り込んでしまった。
「何よ。さっきからジロジロ見てきて。顔にゴミでもついてる?」
「いや、マジでなんでもない。」
「そう…後でちゃんと話してあげるから怪しまれるようなことはしないで。催眠術が解けちゃうじゃない。」
いや、俺が黙り込んだのは何か聞きたかったからじゃない。
正直言うと、ドキドキした。
輝く金髪は日の光を浴びてより綺麗になり、白い肌は吸い込まれるような美しさだった。
つまり、
俺はアリアに見とれてしまった。
ということだ。
目玉焼きを口にしていないのに、再度俺の体は膨らんだ。
朝食を食べ終わる頃には既に俺の腹はポンポコリンに膨らんでしまっていた。
既に百合は小学校へ行き、母さんは仕事に行った。
つまり、家にはアリアと俺、二人きりだ。
「さぁ、話してもらおうか。全部。」
ちょっと強めの口調で問い詰める。
さっきからいろんなことがありすぎてわからないのだ。
しかし、アリアは事も無げに簡単に俺をあしらった。
「いいや。まだ言わない。まずあなたの登校準備が終わってからよ。」
「おい、いい加減にしてくれよ。マジでこっちは何がなんだかわからないだよ…」
「ダメ。それにね。あなた。」
突然、アリアが俺の側に寄ってきて体をつつく。
「あなた。全裸で外に出るつもり?」
衝撃。
良く考えてみればすぐに気づいた事だった。
乳首とか男の象徴とかは綺麗さっぱり無くなってるが、今、俺は全裸なのだ。
「!!!!!!////////」
「まぁ、どうせいつも全裸で朝食食べてるんだろうしね。学校に行く時も全裸なのでしょうねぇ?」
嘲るような口調でアリアが口角を歪める。
「!!!!!!//////////」
一気に階段を駆け上がる。
もとい浮き上がる。
自分の部屋に閉じこもり、鍵を閉め、タンスの中を漁る。
恥ずかしくて顔がゆでダコみたいに真っ赤になってそうだ。
俺の。今の俺でも着れるもの。
とりあえず制服。
まず無理だ。ワイシャツに腕が通らない時点でアウトだ。
じゃあ柔らかい毛糸のセーターなんかどうだ?
無理だ。いくら柔らかいとはいえ2m級の腹に耐え切れるわけがない。
てか、校則違反だし。
どうする?
いっそのこと校則破ってもいいか?
うまいことコートを羽織れば隠せそうだけど。
(ってバカか!あぁもう落ち着け!俺!)
そんな中、突如、背後から肩、もとい肩だったところ辺りを叩かれる。
「悪い!今それどころじゃ…ん!?」
おかしい。鍵はかけたはずだ。
「〜〜〜!」
慌てて振り返る。
すると。
スッ
「?」
口に何か入れられる。
「!」
そして綺麗な指先で唇を押さえられる。
口に入れられたものはすぐに俺の中へと吸い込まれていった。
「はぁ、全くしょうがないわね〜。」
「あ、アリア…」
アリアが立っていた。
「しょうがないから受け取りなさい。
私からのプレゼント。」
「は?え?」
突然、体の周りに変化が現れる。
丸みを帯びた上半身をそっと包んでいく白いシャツ。
一方の下半身には黒いズボンが、足には靴下とスニーカーが作られていく。
「あ…」
「どう?一応これがベストらしいけど。」
俺の体にはいつの間にか服が着せられていた。
白いシャツ。黒いズボン。靴下。スニーカー。
ちょっとラフな服装だが、素材はとても柔らかく、とても居心地がいい。
下着はないが、その分素材が柔らかいので問題はなさそうだ。
この際、校則なんざどうでもいい。
まともな服をアリアがくれただけ良かった。
「あぁ、いや。これでいい、と思うよ。」
「そう。嫌になったら念じれば服は変えられるからね。」
「あぁ…本当にありがとうアリア。」
本当に素直な気持ちをアリアに言う。
すると、アリアはかなり驚いて少し顔を赤くさせた。
「えっ!?いいわよ///このくらい///
じ、自分の使い魔が全裸なんて、その恥ずかしすぎるじゃない///」
(かわいい)
照れた顔もかわいかったアリアであった。
ググググッ
(はぁ、また膨らんじまったよ…)
必要なものは全てアリアが持ってくれ、家の戸締りを確認してドアを開け、外に出る。
「で、やっぱそうだとは思ってたけど…」
「?」
嫌な予感がするので、素直にアリアに聞く。
「…アリアも学校来るのか?」
「何言ってるの。そんなの当たり前じゃない。」
ほれ見ろ。
嫌な予感が当たった。
「私の使い魔が行くところに私が行かなくてどうすんのよ。」
「だよなぁ…」
「何よ、その態度。何か文句でもある?」
「ありません。」
「よろしい。」
こうなりゃヤケだ。
とりあえず、学校に行こう。
そこそこ危ない時間帯だけど、まぁ急げば10分ぐらいで駅に着けるだろう。
「ちょっと。どこ行くの。」
「いやどこって、駅に決まってるだろ。」
「はぁ〜、やっぱ慣れないうちはそうなのかしらね…」
「何なんだよ…」
「まぁ、説明するよりやった方が早いか。」
おもむろにアリアが体に触れる。
「主が使い魔に命ずる。『しあわせのふうせん』。私を乗せて上昇せよ。」
「!!」
突然、念じてもないのに体が上昇する。
顔を洗った時のように体はうつ伏せの態勢になっていく。
「はぁ!?ちょっ、え!?」
突然のことに戸惑う。
止まれ、と念じても全然効果がない。
「よっ!と。」
アリアは俺の背中に飛び乗り、華麗に丸い背中に腰を下ろす。
体の上昇は止まらず、家がどんどん点に近づいていく。
いつしか俺は街を見下ろしていた。
背中に座ったアリアが叫ぶ。
「さぁ、学校まで行きなさい!」
「えぇぇぇぇ!?!?」
また再び体が動き出す。
向かう先は学校の方角。
(本当に俺で行くつもりなのか!?)
アリアの言った通りに動く俺の体は意外に速く動けるようだ。
きっと長くて優雅な空の旅になるだろう。
なら、こちらも聞きたいことを聞くまでだ。
「…もう、聞きたいこと、聞いてもいいだろ?アリア。」
背中の上に問いかける。
「ええ、主が許可するわ。どうぞ。『しあわせのふうせん』?」