僕が分かる?
「…………僕が分かる?」
「――ドク、ト……」明るい。光……光だ!「ドクトル!!」僕は還ってこれたのだ!
がばっと体を起こした。
「よかった。…………随分探したんだよ?」
眩暈がして、俯く。
数度深呼吸――今度はちゃんと呼吸できる。
顔を上げると、そこはついさっき出たはずの部屋だった。
「……探したのか?」
「十日はね。いやはや手間取ったよ」
「十日も……!?」
信じられない。僕はつい数分前ここを出たばかりのはず――。
「君。鍵使わなかったでしょ」
「――あ」
「手に持ってるだけで良かったのに」咎めるような声。「ポケットにしまうから」
そこは、説明不足だ。ドクトルに非があるだろう。
なるほど、そうか。僕は彼の協力を蹴った。
協力関係に無いのなら、説明など無くて当たり前だ。
まだ頭痛が残っているような気がして額を抑える。あの割れるような痛みが尾を引いて、頭の中の奥底がまだじくじくと痛む。
「教えてくれ」目を瞑っても思い出せないから。「俺に何が起きた?」
「最初からそうすれば良かったんだよ」
「うるさい」
「頑固なんだな、君って奴は」
ドクトルはため息を吐いて俯いた。それから額に手を当て、天井を仰ぐ。
「………どう説明したものかなぁ」
「難しいのか?」
「ちょっとね」指同士で小さく間隔を開けて見せ。「魂に関することだから」
僕はベッドの真新しいシーツの感触を確かめながら、ぼんやりとドクトルの言葉を聞いた。
「安心して欲しいのは、君はやっぱり死んでないってこと、かな。」
机の上で、ドクトルが何かを弄んでいる。両手に収まるような大きさ……あれは、珈琲豆を挽く……なんだ、あれだ。名称が思い出せない。というか、知らない。
「でもおかしなことに、生きてもいなかったんだ、この十日間」
「……?」
「釈然としない顔だね」
ドクトルが再度ため息をつくと、彼は白衣のポケットに手を突っ込んで数度まさぐる。
「それじゃ一つずつ疑問を解いていこうか」
ポケットからは、いったいどうやって収納したのか、珈琲豆の入った袋が取り出された。
「最初に『魔力』の説明からだ」
ドクトルはさも当たり前とでもいうように、袋の封を切って弄んでいた器械に豆を入れる。
「前提条件の話、その一」取っ手を回す。「魔力という粒子の存在」
豆を磨り潰す音が部屋中に響いた。
「現在、過去、未来、どの場所に於いても、魔力というものは存在している」
「突拍子もない話だ」
「聞きなよ。基礎は大事だろ?」
続いて、部屋に珈琲の香りが漂い始める。
「魔力というのは互いに引き合う性質を持っていてね。これらが一定のパターンを形成すると」
言葉の途中でドクトルが指を鳴らすと、今度は机の上にカップが一つ現れた。……まるで魔法だ。
「こんな風に、色んな事象を『起こす』ことができる」
「……どうやって淹れるんだ?」
ドクトルは僕の言葉を無視して続ける。
「でも実際、無から有を作ってる……ってわけじゃないんだ」
「抽出するんだよな?」
「魔力の働きはそこじゃなくて、たとえば1だった可能性を10に、ないし100に増やす――あらゆる事象に『プラスの作用』をもたらす。そこなんだな」
「前みたいな淹れ方は……」
「分かりやすく言おう」また指を鳴らす。「珈琲を美味しく淹れるには?」
そこには珈琲を抽出する――また名前は知らないが――器械があった。
「手順を踏んで正しく淹れる」前回を思い出して。「ビーカーは使わない」
ドクトルは「手厳しい」とつぶやく。
「ビーカーで粉末をお湯に溶かす。フィルターやサイフォンを用いて抽出する。……どっちも『コーヒーという飲み物であること』には違わないでしょ?」
「前者は泥水と大差ないと思うが」
「寝起きで結構舌が回るじゃない? ま、とにかく、だ」
変わった形状の紙――えぇっと。なんというのだったか?「今回はフィルターで抽出するんだけど」そう、フィルターだ。
「こうやって、ちゃんとした方が何倍も美味しくなるでしょ? 魔力の作用ってのは、そういうことなんだな」
なんだかよくわからない説明を受けている気がする。
というか、僕が十日もの間眠っていたことに関する説明になっていない。
「さ……て。質問は一旦待って欲しいんだ。ここからが本番」
どこから熱湯が注がれているのか……セットされたフィルターから、コーヒーが抽出されて落ちてくる。
「魔力はすべての事象にプラスになる力。簡単に言うとこうだ。とりあえず、分かったことにして話を進めると」
滴り落ちたそれらが、容器の底を満たし始める。
「次は魂の話になってくる」
数分の沈黙があった。僕の興味が、ドクトルの話から、コーヒーの方へと移ったが故だろう。
最初から、あまり興味のない話なのだが。
僕がそれをじっと見つめていると、雫が落ち切ったらしい。ドクトルはフィルター部分を外す。
「続き、いい?」
「ああ。ちゃんと美味かったら聞く」
「いや、美味しいよ。これは保証する」何を以てだ。「君寝てても飲んでたしそれ」
「はっ?」
手渡されたカップには並々とコーヒーが注がれている。
僕はカップを慎重に口元まで運んで、まだ熱いそれを零さないよう少しだけ飲んだ。
「美味い、もう一杯」
「話の後でね」ドクトルは三度目のため息を吐いた。「言ったでしょ、ここからが本番なの」
僕がコーヒーをもう一口含むのを見てから、ドクトルは説明を続ける。
「さっき言ったけど。魔力と言うのは互いに引き合い、結合する。それらが一定のパターンを形成すると事象がプラス――つまり強化される」
頷いておく。
「問題なのは、このパターンと言うのが実に多岐に渡る上、なぜか同じものは作れないってことなんだ。これを踏まえた上で、笑わず聞いてほしいんだけど」
カップを胸元まで下げたところで、ドクトルは話の続きを切り出した。
「魔力がある特殊はパターンを形成した時、そこに自我が産まれるんだよ」
……なんとなく、言わんとすることは分かった気がする。
「自我を持った魔力の塊。僕らはこれを、魂と呼んでる」
「分からんな。一向に繋がってこないぞ」
「待ちなって」
ベットの隣に据え付けられた物置台にカップを置く。
「……おかわり?」
「オッケー。落ち着いていこう」
ドクトルに、置いたばかりのカップを手渡す。
「魂と言うのは絶えず燃える炉のようなものなんだ。自我を発生させた魔力は、何故か自分自身で魔力を生成するようになる」
そのコーヒーに、前回のような苦味はない。いや、苦いことに違いは無いが。
「これが成長するってことなんだ。」ドクトルが頭を掻いていた。「魂が、魔力が多く、大きくなっていくに連れ、肉体はそれに応じたカタチになっていく」
「個人差、というやつか?」
「そうそう、それそれ。個人差が出るわけだな。肉体のカタチは魂のカタチも同義だ」
随分と、飲みやすくなったように感じる。
「…………そんな話は聞いたことがないな」
「まぁね。君の世界の人間はこのこと全然知らないし」困り顔で腕を組む。「なのに、体の方からは常に魔力が漏れてるんだよ。わずかにだけど」
「嘘だろう」
「本当さ。他人の魔力を感知できるようにね」
なるほど、気配を感じる、というものの正体だろうか。あれはてっきり、人の呼吸音や足音、そういったものから来る違和感が原因だと思っていたが。
「分かる? 要するに、認識と実態に大きなギャップがあるってことなんだよ」
「ギャップ?」
「そ、ギャップ。無い、と信じていたものが本当は存在してたってこと。それも無数に、しかもそれらが今まで自分を生かしてたってことを、表層意識で認識できていない」
表層……?
「あー、つまり、分かってないってこと。透明人間が、見えないなら居ないも同じって言ってるようなものさ」
「見えないんだから居ないだろ」
「ところがどっこい、いるんだな。そこらじゅうにいて、魂の方はそれを分かってるんだな」
分かったような、分からないような。