さよなら
獣が吠えた。
何もかもを投げ出すような怒りと共に、その身を引き裂くような悲しみに吠えた。
突き刺さるようなその声に、思わず目を閉じてしまう。
戦ってきたはずの相手を、なぜか見つめることが出来ないでいる。
その叫びはあまりに痛々しくて、見ていられない。
その叫びはあまりに悲しくて、聞くに耐えない。
その叫びは、あまりに年相応で、そういえばそうなのだと、ボクはその時になって初めて、ようやく思い出したんだ。
スサノオは愛されていたかった。
同級生から恐れられ、先輩から恐れられ、後輩から恐れられ、友も無く、話せる相手も無く、誰にも孤独を打ち明けられず、全てをぶつけるに足る好敵手もなく……終いには家族にすら恐れられ、唯一傍に居てくれた最愛を人を喪った時、彼はどんなに独りだったろうか。
きっと張り裂けるほどに冷たかったはずだ。それがどんなに暑い夏の夜だろうとそんなことは関係なく、世界はどこまでだって冷たくて、自分はずっと独りなのだと、そう思い知るしか無かったはずだ。
抱きしめて、大丈夫なのだと、独りじゃないと、仲間がいると、その言葉を、スサノオは誰よりも熱烈に、痛烈に求めていた。
彼は愛されたかったんだ。
ここに居ていいと、生きていていいと、認めてほしかったんだ。
ボクがその心を満たし、その先へ進めと言ってしまった。
そして勇志は行ってしまった。
誰もいない、死者の國へと。
想像を絶する孤独。生きていることへの否定。誰も自分の命を認めてくれず、求めてもくれない。
ジェノンは唯一の相手だったはずだ。方舟の中で唯一人、スサノオに生きろと言ってくれた人。
ボクのように投げ出すのではなく。
共に歩けと命じてくれた、唯一の人。
ダメだスサノオ。
ダメなんだ。
もう遅いかもしれない。何もかも手遅れだろうけど。
でも、それでもダメなんだよ。
「そっちには行くな!!」
いつか向けられた言葉の意味を、今になって理解する。
スサノオは知っていたんだ。
この孤独の冷たさと、耐え難いほどの、命の熱さを。
もうこの手は届かない。
思い知った。
勝てるわけが無い。
手を差し伸べる資格すらない。
負けたんだ。
ボクはこの少年の、凍えるような孤独に負けた。
◆ ◆ ◆ ◆
愛していた。
愛していた愛していた愛していた。
妹を、高田さんを、ジェノンを。
本当に好きで堪らなくて、ただ一緒に居たかった。
何も手に入らない。
誰も振り向いてくれない。
誰も待ってはくれない。
進みたくない。もう疲れた。
僕は独りだ。ずっと独りだ。
何も手に入れられずにここで独り。
進むことも戻ることも出来ない。
どこにも行けず、居場所もない。
僕は独り、ここで果てるまで、その冷たさに耐えられないから暴れるしかない。
ジェノン。お前が好きだ。お前のところに行きたい。共に逝けるならどんなにいいか。共に在れるならどんなに。
どんなに……。
叫びが遠くに聴こえている。自分の声だと理解した途端、それがどんどん遠のいていく。
何かを見た気がした。
真っ赤に燃える何かを。
◆ ◆ ◆ ◆
叫びは止まず、また強くなったと思った刹那、スサノオを中心に炎がフロアを埋めつくした。
その波動のような炎は、触れたものを切り刻み、塵の全てを灰に変え、文字通り何もかもを焼き尽くしていく。
「不変の盾!」
必死になって作り出した、さっきよりも遥かに分厚い盾が、時間稼ぎにしか感じないほどの圧倒的な殺気。
殺意の塊となったスサノオ自身が、その牙を向ける先を見失い、遍く全てを破壊せんとばかりに叫び続ける。
気が遠くなるような時間。はたまた一瞬か。
ようやく叫びが止んだ頃、その殺意の全容が明らかとなる。
灰の中心に立っているのは少年だ。
真っ黒い塊を大事そうに抱え、涙を流し、陽炎が立つほどの熱を纏う――全身の肌が赤黒く豹変した、一人の少年。
言葉を失う。
何も……何も言葉が出てこない。何を言えばいいのか、どうすればいいのか、何も分からない。こんなものと出会ったことも、対処したこともない。16年と少し生きてきて、初めて味わう。
それは、絶望と呼ぶに相応しかった。
逃げることが出来ない。動けないのだ。一寸でも動けば、怒りによって刻まれて灼かれるという、確信があった。
その少年をスサノオと呼ぶのか、武神 勇志と呼ぶのか、ボクにはもう分からない。
助かりたい。
情けないけれど、生まれて初めてそう思った。ボクは恐怖している。はっきりと分かる。生きて帰りたいと心の底から願っているから。
誰か。誰でもいい。今この状況を変えてくれ。ボクたちを助けてくれ。なんでもする。この果てしない絶望を、孤独を、それを思い知らせる少年を、どうにかしてくれ。
死にたくない。
生きていたい。
震えが止まらなくなって、次の手段を考える余裕すら無くなったその時、軍靴の音がフロアに響いた。
「やっぱりこうなるか」
その声を知っている。
「目的は八割遂行、ね……」
その姿は見れないけれど。
「嫌になる……分かるよスサノオ。だからもう泣くな」
背後に感じたのは、ゼウスに次ぐ強敵の気配。
「むしろ喜んでくれていいぞ。全力で胸を貸してやる」
どうやってここに――分からないけど、その手が肩に置かれた時、なぜだか酷く安心した。
もう大丈夫だと、そう強く思った。
「俺を頼れよ。お兄ちゃんだぜ?」
神官ルシフェル。
スサノオの兄。
これ以上の適任はいない。
その男が、隣に立ってボクらを見た。瞳に確かな恨みを宿し、心底嫌そうにしているのが分かる。
ルシフェルの口から飛び出た言葉を、誰が予測できただろうか?
「今回だけは見逃してやる、上司の命令だ。方舟に行って目的を果たせ」
「は……!?」
「良いか、絶対に言いたかないから一回しか言わん。耳かっぽじってよーく聞けよ」
視線が外れ、ルシフェルが前を向く。
「走れ。道は俺が拓く」
弾かれたように、ボクらは動き出した。