クォ・ヴァディス
大きく息を吐く。
「……」
状況はそれほど甘くない。
慣れない技の連発と、少なくは無いダメージの蓄積。サトリに対しいくつも策を打ってくるのは考えていたが、どれもがこうも的確だとは。もはや放置する訳にはいかない。ここで心を折らなければ――
「はぁ」
心か。
何を、この期に及んで甘いことを。
「お前たちは、今日ここで死ぬ」
そうだ。
誰かに命じられたからでは無い。
僕がそうすると決めた。
熱を孕んだ魔力がまとわりついて、俄に心の内まで熱くする。
この激情にも似た冷静さが、魔力の熱によるものか、それとも己の覚悟から来るものか。そんなことはどうでもいい。些細なことだ。
今はただ、この場を終わらせる。
藤高を見た。
居合のような構え。早撃ちか。
意味の無いことだ。あれは超至近距離の、こちらの攻撃に合わせたカウンターだからこそ意味を持つ。となれば他に意図が――スプリンクラーか。
豪雨に似た状況ならば、確かにサトリを殺すことはできる。逃げおおせたとして、その先で捕まることになるが。
行動の予測。今まで幾度も戦ってきた相手だ。学生だった頃から、ある程度性格も知っている。
「藤高」ならば、宣言することも容易い。「お前は負ける」
フッと、軽く息を吐くのが見えた。
僅かに。
頭が下がる。
見逃さない。
熱をその場に残して駆け出す。
約束だ。一合だけと。
肉薄し、剣を振る。
後ろに下がって藤高が避け――
目に映ったのは、鍵。
それを宙に突き立てて回す。
呼び出されたのは瓶が一つだけ。
視界を吸い寄せられたその瞬間、銃声が響いた。
銃弾を躱す。前に突っ込んだまま。
「そう来ると思ってたよ」
割れた瓶の中から液体。
勢いを殺せずに真っ直ぐ――この匂い、ガソリンか。
「一合だ」
降り注いだガソリンにたたらを踏む。藤高が弾丸に魔力を込め、銃口を向けた。
「今更」
「どうかな?」
魔力が揺らぐ。
そのカタチには、見覚えがあった。
「何が入ってるかは読めなかったろ?」
「……」瓶の中身か。「それがどうした」
「つまりだ。サトリで読めるのは呼吸だけで――」
隙が出来――「動くな」
銃声。
弾道に熱。ただの摩擦や発射の余韻ではない。この感じ、まさに今僕が纏っているものと同じ――
「お前は魔力の動きを読めない」
図星だ。
それが脅しになるとは限らないが。
再び、銃口がこちらを向いた。
「今からお前を撃つ。この弾丸には炎の属性が込められてる。高田に散々電撃をくらったお前なら、この意味が分かるよな?」
「……」
「じゃあな。あばよ。それだけ言っとく」
弾丸が放たれる。
僕はそれを躱す。そんなことは容易い。問題なのは、僕の足元に広がるガソリンの方で――
「勝ちでも負けでもない。ゲームセットだ」
――視界がいきなり炎に包まれた。
かと思えば突然雨が降りしきる。スプリンクラーか。依然目は見えず音も聞こえない。今どこに誰が――火が消えない自分の体に――
影響。それを考慮していたはずだった。そう簡単に真似ることができない自信もあった。ただ、ただ……そう、簡単な、いたって簡単な解決に、今になって走るなど、考えもしなかったという、それだけのことで。
「逃がさない……」
余計な思考は要らない。
文字通りここで燃え尽きようと、やつらはここで殺しきる。
◆ ◆ ◆ ◆
「なんだ、スサノオじゃないのか」
呆れた声が、トビラの前でボクらを出迎えた。
目の前にいるのは、大きな目を眠そうに細めた、明らかに華奢な小柄の女の子。
「残念そうな顔だ」
彼女のため息に含まれていたのは、多大な呆れとそれから知的な響き。
それだけで、スサノオが強くなった理由が分かった。
「……そうか、君がそうだったんだね」
トビラの前の最後の守護が、まさか。
まさか、スサノオを支えた参謀だとは。
「期待してたところ、悪いね。ボク達人間の勝ちだ」見たところ、戦えるタイプでもなさそうだ。「そこをどいてくれ」
さて、問題があるとすれば一つか。彼女に能力があるかどうか。あのスサノオを制御したほどの頭脳だ、ボクのように何か奥の手があるのなら困ったものだが――
「ああ……その顔。気に食わない。自信満々で、勝ったって面してんな」
――そのつもりでいた方が良さそうだ。
「まだ勝ってはいないとも。君に道を譲ってもらうまでは」
魔力を回す。まだ回復しきっていない体を少しずつ癒し、盾の分の魔力を溜めていく。
恐らくNSではないだろう。彼女の纏う魔力がそれを語っている。体格を見て、どんな手を打ってくるか考えた。
背は低く、足も腕も細い。ボクなんかよりよほど戦闘から遠い。なのに、この自信に満ちた振る舞いはなんだろうか。
何かが違う。もっと焦るはず。スサノオを突破されたと言うのに、この落ち着きようはなんだ?
「こうならないようにしたはずなんだ。これは最終手段だった」
その女は、ゆっくりと口を開く。
「……いいか、高田広希。悪いことは言わない。今すぐ引き返せ。そこのエレベーターから地上に降りて、一度の敗北を受け入れて帰るんだ。何も見ないで済むぞ」
不意に、彼女はそう言った。
「……何を、言ってるんだ?」頭が悪いのか?「あとは方舟に辿り着くだけ。君にはもう勝機はない」
事実を突き詰めてみても、彼女は揺るがない。
もう一押しするしかない。こちらの意思を明確に伝えなければ。
「どけよ。でなきゃ殺してでも通るから」
……魔力が揺れない。
図星を突かれた時に出る、恐怖した時に出る、特徴のある揺れが、一切見当たらない。
「分かってないな……」
決して、焦燥や、動揺すらも感じていない。
ボクと藤高を前にして。
「何を?」
「ぼくはスサノオを強くした」
女は、それでもスサノオを信じているのか?
「強くした……いや、それが正解ってわけでもないな。ぼくはただきっかけを与えたに過ぎない」
今際の際を前にして。
「強くなることを選んだのはやつの意志だ」
女は、淡々と語る。
「あいつ自身がそれを望んで、そして……ぼくの想像を遥かに超えて、化け物へとなりかけているんだよ」
「……」
「スサノオの成長は手に負えない。殺してみろ。手にかけてみろ――どうなるのか、ぼくにすら読めないぞ」
フッと鼻で笑った。
「結局脅しかい? つまりそれしか無いわけだ、君、えーっと……」
「ジェノン。ジェノン・ストレイン」
「ああ、ありがとうジェノン。素敵な脅迫だったよ。それにしては説得力に欠けるけど……じゃあ、いいんだね?」
「……」
「藤高」
視線も交わさず、ボクはただ、ジェノンに向かって指を下ろす。
「悪いけど。もう怖くないよ」
銃声が、三回響いた。