Let's give you power
力と言うのは劇薬だ。
ボクはその怖さをよく知っている。理解すればするほどに、人を深く強く侵す毒。
スサノオがそうであるように、力を手にすることでボク自身が変質してしまうかもしれない。
なんて考えて、おかしな話だと笑い飛ばす。
ボク自身か。
こんなに薄っぺらで、軽々しくて、頼りないもの、他にあるか。
ボクという存在は、ボク自身の記憶によってしか作れない。
人は、新しいことを覚えたり、忘れたりするから人が変わってしまうんだ。
ボクには出来ないことだ、忘れるなんて。
「はい、ゆっくり息を吸ってー」
受けてやろうじゃないか。
その条件とやらを。
麻酔を吸い込んだ意識はそこで途切れた。
◆ ◆ ◆ ◆
次に目が覚めた時、自分の中で何かが変わったことが分かった。今まで無かったものがそこにあり、見えなかったものが鮮明に見えている。
呼吸に異変もない。執刀の跡もだ。外部から何かが付け加えられたわけではないらしい。
少し広い、病室のような部屋で、夢も見なかった睡眠中のことを考えていた。
いったい何をされたのだろう。
「おや、お目覚めのようだね」
ベッドに横たわったまま、上機嫌なドクトルの声を聞いた。
本当はもう少し眠っていたい。でも、そういうわけにもいかない。取引は成立したのだから、早く政世に戻らないと。
エクスは頭の切れる神官だ。少なくとも、鍵を使って逃げたことや、まだ生きているであろうことは報告しているに違いない。憶測でものを語るやつとは思えないし、早く行動しないと逃げられなくなるかもしれない。
そう。状況は依然良くないし、好転する気配もない。政世が今どうなっているかも分からない。
藤高のことが心配だった。
そりゃあ、紅黒のことも、春原のことも気がかりだけど。
何よりも、藤高のことが心配だった。
ボクはアイツに、スサノオを止めろと言ったんだ。藤高はそれをやり遂げた。ボクがデータを記憶し、逃げ遂せるまでの時間を稼いでみせた。でもその後は? エクスとスサノオが、誰にもトドメを刺さずにおとなしく帰るだろうか?
「どうやって帰ればいいんですか?」
「せっかちだな。もう少しゆっくりしていったら?」
「ありがたい提案ですけど、急ぐ身なんです」
とても無事とは思えない。
せめて生きていて欲しい。
アイツは有能な駒だからとか、そんなことじゃなく。
ただ、友達として。
あんな無茶なこと頼んでごめん。そう言って謝って、またいつもみたいに笑い合いたいんだ。
「能力の試し打ちもしてないのに?」
と……物思いに耽っていると、ドクトルが奇妙なことを言い出した。
「なんですって?」
「だから、能力さ。せっかくあげたんだから、せめて試して感想聞かせてよ」
「……能力って、なんです?」
「ハァ……? またそこから?」
ドクトルが曰く。
「能力っていうのは、結合した魔力の特殊な形質――それ自体が持つ効果のことさ。魂ってものには人それぞれ形があって、その中でも特異な形を持った魂に能力は発現する」
「発現すると、どうなるんです?」
「当然、その能力に見合った効果を発揮できる。肉体強化だったり、血液を操ったり、巨大化したりね」
「便利ですね」
「他人事だな! 君にだってもう、能力は宿ってるんだぜ?」
いつの間にやら隣にいたドクトルは、ボクのことを指さして。
「高田 広希。君にはとっておきを与えることにした」
もう宿っているらしい、その能力とやら。
さてはて本当なら大した収穫だ。
「どうやって使うんです?」
「それは自分で確かめて」
「……貴方が勝手に選んで、勝手に魂を弄ったんですよね? ちょっと不親切じゃあ――」
「仕方ないんだよこればっかりは」
ボクの反論を途中で切って、ドクトルが言う。
「能力の形質。確かにそれ自体は与えることができるよ。でも、与えた後『どんな能力として固定されるか』までは予測できなくてね」
「……嘘ですね」
「おや。どうしてだい?」
「貴方、科学者でしょう。ある程度予測が付いているものでないと、ボクみたいな奴に預けておけるわけが無い」
そのはずだ。
能力の形質。そこまで分かっているならば、どう変化していくのかある程度予測はしているはずだと考えた。
だから、今知るべきは――
「結局。どんな能力をくっ付けたんですか」
「いや、くっ付けたわけじゃないよ。そりゃ貼ったりもしたけど、ほとんど切ったり削ったりだから」
「言い訳はいいんで」
「こりゃ手厳しいね」
指で顎を擦りながら、ドクトルは暫し考えているようだった。
彼がパチンと指を鳴らすと、その掌にはミルが現れる。
「匂いってものはどうして発生するか、知ってる?」
「……そういう分子構造だから」
「ざっくりと言えばね。なら、どうすれば匂いを感じなくなる?」
「匂いの元を断つ」
「他のやり方は?」
「……消臭剤を使って打ち消す」
「いいね。他には?」
「………………分子の繋がりを切って、匂いそのものを変えてしまう」
豆が粉末にされていく。
細かく、細かく。
コーヒーのいい香りがした。
「正解」
続け様に指を鳴らすと、フィルターやら何やら、必要なもの一式が出現する。
「君に与えたのはそういう能力だよ」
いつの間にか握られていたケトルから、粉末のセットされたフィルターへと湯が落ちていく。
「魔力の結合を切る能力。他対象、任意発動型。どんな形での発動かは分からない。そこは本人の使いやすいように変わっていくからね」
そういえば、聞きそびれていたな。
「あの、基本的なことだと思うんですけど、聞いていいですか?」
「どうぞ」
「……魔力って結合するんですか」
「ああ、まぁ、そうか。普通はそこまで繊細に見ないのかもね」
カップに注がれたコーヒーが湯気を立たせている。
「魔力は結合し、様々な形質になる。それによってプラスの作用をもたらすわけだな」
「てことは――」
「厄介なのは、この結合パターンがややこしい上に、無限に近い程の数があるってことさ」
ドクトルはふと微笑んだ。
「ただまぁ……パターンである以上、再現性はある。覚えていればの話だけど」
コーヒーを飲んだ。
どうやら砂糖を入れてくれたらしい。
ほんの少しだけ、甘い。
ヒントをくれたんだ、きっと。そう思うことにした。
科学者にしては情報を渡しすぎだと思うけど、これはいわゆる研究成果というやつなのだろう。
それから、ボクに与えた能力の行く末が気になっている。
魔力は結合する。
パターンによって干渉し、物質にプラスの作用を起こす。
ならば、もしその結合を断ち切ることが出来たなら。
……なんか紅黒の殺気も似たような力だよな。なんてことを思わなくもない。
そしてもう一つ考えることがある。
魔力はパターンに過ぎないということだ。
つまり覚えてさえいれば。
記憶していればそれでいいわけだ。
あとは同じ形に加工していくだけ。
なんだ、思ったより簡単じゃないか。
「じゃ、このコーヒーを飲んだら」
「うん、試し打ちしてくるといいよ。外に出ればNSはわんさかいる。来るのに使った鍵があれば、いつでもあの部屋に戻ってこれるし……ああそうだ」
ドクトルがドアに近付いた。
「ここにまた戻ってきたいなら、この部屋のことを思い浮かべるといい。ドア同士の行き来を許可しておこう」
さて、それじゃあ行こう。
新たな力、どれほどのものか。