テイク・ミー・ハイアー
こいつ、動くぞ!
「それで、そのメモリ。どこで手に入れたんですか?」
「ユダから受け取ったんだ」
「へぇ……」
「ああ、一発殴るつもりならやめといた方がいいよ。君の方がダメージ大きいだろうし」
「別にそんなこと言ってませんし、思ってませんよ」
「どうかなぁ。政世の子は嘘つきが多いから」
「そこらの奴と同じにしないでください」
この珈琲、なんでこんなに不味いんだ?
慣れてないってわけではなさそうだ。仕草は淀みがなかったし。
いやもしかしたら、なんらか、母さんから習ったのかもしれないな。動きがよく似ていた。
「どう?」
「はい?」
「珈琲。美味しい?」
「クソ不味いですけど」
「アハハ! はっきり言うじゃないか」
わざとらしいと思う。
嫌味なほど苦い珈琲を口に含み、ゆっくり次の質問を考えた。
僕を助けた理由にもまだ納得が言っていないし、それに、これからのこと。と言っていた。
協力するとは決めていないけど、今はここ以外に逃げ場がないのも事実だった。
「それじゃ、僕から質問しようかな」
先に決めたのはドクトルらしい。
「Youはどうやってここへ?」
……なんで英語混ぜて来るんだ、挑発か?
「アー……I think, I won the bet. came here by using the key.……It's an amazing gamble!」
ドクトルがパチパチと疎らに手を打った。
「お見事じゃないか? 鍵のことを覚えてたなんて、中々出来ることじゃない」
「英語出来るんですね」
「ちょっとだけさ。君の方こそ、今は使われてない言語なのによく知ってたね」
「暗号として便利なんですよ。これを知ってれば、知っている人にだけ伝わるんで」
「お仲間は知ってるのかい、英語」
「凄腕のガンマンだけね」
さて、なら次はボクの番だ。
「質問ですけど」
「うん、聞いてあげよう」
「どこでボクを見つけたんですか?」
「僕が使ってる部屋の一つだね。広い部屋でさ。ちょっとしたスパコンなら置いておけるんじゃないかな」
「……貰えませんか、その部屋」
「じゃあ、何をくれる?」
「え」
「感心しないな、ただもらおうだなんて。ここじゃおねだりは許してないんだよね」
つまり、取引次第だと。
「何が欲しいんです?」
そう聞くと。
「新しい方舟」
と、答えた。
「いやさ、色々布石は打ってあるんだけどね。これが中々、どれもこれも上手くいってなくて」
「………………方舟を作りたいと?」
「うん、そう」
「兵隊揃えて、方舟を乗っ取るんじゃダメなんですか?」
「興味無いよ。世界征服なんて子供の野望さ」
さて。新しい方舟。そう来たか。
ますます目的が読めない。
なんのために必要なのかすら分からない。
生物学や生理学に、方舟というフィールドが必要とは思えない。生態を調べたいと言うのならそれは分野違いだろうし、そもそも方舟には草の一本すら生えていない。そんな場所で一体どんな研究をするのだろう。
だから恐らく、研究のため、というのは置いておこう。
好奇心によってではなく、必要に駆られて方舟を作ろうとしている。
そう考えることにした。
少なくとも方舟は広大だ。その全貌は掴めない。つまりここを窮屈だと思うことはないだろうし、不満があるとすれば別の方向だ。
方舟のことを何も知らない。
何もだ。
一度来たことがあるというだけで、あの時はずっとユダの後ろに着いていくだけだった。観光ってほど観光もしてないし――もっともそんなスポットがあるかは不明だが――景色に心を動かすような暇も無かった。
そういえば、あの時スサノオはどうやって――
「…………ここは方舟。合ってますよね?」
「うん」
ノアの方舟。
確かに言っていた。
スサノオはこの場所を、ノアの方舟と言ったのだ。
だけど、そうは言わない者が二人。
今しがた、二人になったのだ。
それは小さな小さな違和感だが、疑問に思うに足る違和感だった。
「ノアの方舟。なぜそう言わないんです」
珈琲が冷たくなって来ている。
美味しくないけど、飲んでしまった方がいいだろう。
「その言い方は好きじゃないな」
なんだか冷える。とても。
「いったい、いつから方舟は彼の物になったんだろうね?」
ドクトルの言葉は冷たく、そしてはっきりとしていた。
ノアという人物と敵対しているというこれ以上ない証拠だった。
「なるほど。でも結局は方舟が欲しいんでしょう?」
「同じでなくてもいいけれど、似た場所は欲しいってことさ。誰の監視も入らない場所がね」
前言撤回。
ドクトルにとって、方舟は窮屈だ。
自由というものがないと見えた。
欲しいのは方舟と、そこに伴う自由と、ノアという存在からの解放。
「……あの部屋に兵器を作りたい」
「ほう、いったいどんな?」
「とぼけないでください。メモリの中身は見たんでしょう」
「いや、これがよく分からなくてね。機械のことはさっぱりで」
「そうですか……」機械である、ということは分かるんだな。「そのメモリ、中身はボクもまだ見てないんですよ」
母さんが残したデータのほとんどは数式だ。
後は簡易的な設計図か。
どの部品をどんな風に造って、どう設置するのか。どんな技術を使って、どう兵器として運用するのか。
その全てが、数式として書いてある。
ぶっちゃけた話、メモリ自体は不要だと思う。鍵を使う直前の、ほんの一瞬だったけど、確かにデータを見たのだから。
目を閉じてみるとくっきりと思い出せるから、本来そのメモリは要らない。
けれど、これはボク一人でなんとかはならない。
大掛かりな建造物だ。データの共有がなければ、あの兵器は成り立たない。
「だから、メモリと部屋がセットで欲しいんですよ」
さて、いったい何を差し出そうか。
いつもなら命を賭けているところだが、今回は。
「貴方にも兵器の使用権を渡します」
まだ、使える手札がある。
ドクトルはにんまりと笑って、それからこう言った。
「条件を飲もう」
お釣りがくると付け加え。せっかくだからと呟いて。
「いい機会だ。少しだけ、条件を追加していいかな?」
「ものによります」
「なに、君にとっても悪い話じゃないとも」
徐に立ち上がり、ドクトルは部屋の隅にある、大きな機会の箱に触れた。
「ちょっと魂を弄らせてもらえるかな。君に力を授けよう」