小さな男
「いやはやいやはや! おっどろいたなー!」
「……そうか?」
「うんうん! ゼウスに怯まない人間なんて君が初めてさー!」
あの後。
僕は拘束を解かれた。折れた腕に処置を施されているところだ。
ミカエルも、こう言ったことには慣れているのか、包帯を巻く手つきに淀みがない。
「…………怖い男だな、ゼウスは」
最早ミカエルと争う気も起きなかった。
こいつに手を出せばゼウスが放ってはおかないだろう。
「でも頼れる上司だよ」
その通りだと思う。
アイツの後に付いていけば間違いなどないのかもしれない。凄まじいカリスマだった。
大きいのは体だけではない。
いやむしろ、その器の大きさが、ゼウスの体をも大きくしたのだろう。
「俺は……」僕は、なんて。「……小さい男だ」
ミカエルが三角形の布を腕に宛てがう。
背後に回ったのをいいことに、僕は思わず弱音を吐いた。
「忘れてくれ」
言ってすぐに後悔する。
ミカエルに話してなんになるのか。悩みなど理解されたことがない。しかもミカエルは女。年端もいかない女だ。
話してなんになるというのだろう。
「これで良しと。どう? 苦しくない?」
言われて初めて、腕が首から吊られていることに気が付いた。
「あのね」
僕の肩に手を置いて。
「私、君の理由を知りたいな」
優しい声音でそう言った。
「ゼウスはさ、話さない理由を話したじゃん? だから今度は君の番だよ」
表情は読めない。もしかしたらほくそ笑んでいるのかもしれない。
いや、と一人否定する。
今は、そんなことは考えないようにしよう。
「…………勝ちたいんだ」
正直に話そう。手がかりは無くなった。だけど、また一から自分で探せばいいのだ。
落ち込んでいる暇などない。
「あの男に敗けたまま。そんなことは耐えられない」
こうしている間にも、奴は遠くへ行ってしまうかもしれない。
そうなれば、また遠ざかる。
もう一度の勝負がまた、遠ざかってしまう。
「俺は、ただ、アイツに勝ちたいんだよ」
呆れたか。ミカエルの方を振り返ろうとした時、先に彼女が口を開いた。
「負けず嫌いな子は好きだよ」
意外な言葉――何故か体が固まる。
「要は背比べだ」
「……そうだな、背比べだ」
ミカエルが微笑むのが、なぜだか見えた気がする。
「変わんないなー、人間もNSも」
「見てきたような口ぶりだ」
「見てきたよ?」
信じられない。
「あ、もしかして、見た目通りの歳だと思った?」
「違うのか?」
「残念でした。実は君より歳上なんだなー」
「人は見かけに寄らないな……」
「そうそう。思い込んじゃいけないよ。特にここではね」
ミカエルの手に力が篭った。
「…………君は色んな想いを抱えてるね」
静かな声だ。
「うん……うん。…………そっか」
振り返る。
その瞳が僕を見つめる。
「……悔しかったんだね」
そうだ。
その通りだ。
「不思議……。……憎んだり、恨んだり、してないの?」
思わず眉間に皺がよる。
それは何度も自問した。そして何度も考えた。
でも、答えはいつも同じだ。
「憎くはない。だが恨めしくはある」
だけど、それは、家族を殺したからではない。
「あの強さが恨めしいんだ。そして悔しい」
不意打ちでなく。もっと真っ当な試合だったら。真っ当に戦えていたら。
もっと見えたはずだ。あの強さを。もっと眺めていられたはずだ。あの美しい太刀筋を。
「弱い自分が許せなくなる……」
「どうして?」
なぜってそれは。
「俺にとって、勝つことは生きることで」
だから勝ち続けなくては行けなくて。
だから強くならねばいけなくて。
「負けることは、終わることだから」
だから、終わるなら、ちゃんとした終わりがいい。
ちゃんとした勝負の果てに。
せめて、ちゃんとした結末が欲しい。
「……笑ってくれて構わない」
言ってから、また後悔する。
さんざ笑われてきたことだ。気味悪がられてきたことだ。如何に歳上と言えど、そんなことは関係ない。
このことはきっと、僕にしか――
「君は、一番強くなりたいんだね」
――分からない苦悩。
「誰よりも強くなりたいんだ」
唇を噛んだ。
「笑わないよ」
「……本当に?」
「笑わない」
振り返った。
柔らかな笑顔――「ミカエル」
「君の今までは知らないよ。でもね」結び目をキツく張る。「方舟なら、笑われない」
右手を握りしめた。
「皆そうやって生きてる。アイツより自分な方が強い。いや自分の方がもっと強い。いや自分がって……。寿命もないのに死ぬまで背伸びしてるんだ」
その瞳と目が合った。
深い茶の瞳。
落ち着いた色の。年月が滲む深い色の。
「いいじゃんそれで。私好きだなそういうの。やっぱさ、男の子は」
パン、と肩を叩いて。
「燃えてる方が良い」
俯いた。
なぜ視界が歪むのだろう。なぜ涙が滲むのだろう。
なぜこんな言葉が、こんなにも嬉しいのか。
ずっと、そう言って欲しかったのか。ずっと求めていたのかもしれない。僕は、僕が思うほど、きっと、強くはなかったのだ。
もう疲れきっていた。
誰かの言葉がなければ歩めないほどに。
ミカエルの与えた言葉は正しくそれだ。
僕の欲しかった言葉。
たったそれだけで、僕は遥か先にでも進める気がした。




