限界執筆の民
誰かがボクの肩を支える。
走っているのか。
頭がぼんやりしていて、記憶の反芻が追いついていない。
母さん。
モヤのかかった頭の中、最期の言葉が何度も何度も繰り返される。聞きたくも、思い出したくもない記憶が、ボクの心を攻めたてる。
ボクにもっと力があれば。ボクにもっと。そんな、できるはずもないことを考えた。
過去は変えられず、それならば未来は暗いまま。現状を覆さなければ、この先はない。
「……藤高、どうなってる?」
「気ぃ着いたかよ。電気落として暗視ゴーグルつけてお前背負って逃げてきた。文句は後から聞く」
「上等だ、説教三時間な」
「甘んじて受けてやらぁ、乗り切ったらな」
ボクを下ろしてから、藤高が忙しなく辺りを見渡すような音がした。
「話が違うぜ広希。あの野郎、くっきりはっきり見えてんじゃねぇか」
「追ってきてるの?」
「ばっちりな。足音はしねぇが」
これは予想外だ。スサノオのサトリは視覚によるものとばかり。……いや、前は確実にそうだったはずだ。見てから動く。それがスサノオのやり方だった。
そういえば、やけに自信満々だったな。前とは違うとも言っていた。鍛えたんだろう。
「情報のアップデートが必要だ。読める範囲はどうなってる?」
「前と変わんねぇ感じだな。ただ、野郎、受けないようになってやがる。魔力入りも銀も当たらなきゃ意味ねぇよ」
精度の上昇は見て取れる。半端な攻撃は当たらないと思った方がいいか。
「ああ、あと……目を閉じてた。見間違いかもしれねぇが」
「なんだって?」
「やっこさん、見てねぇぜ」
「視覚によるものじゃない……?」
そうなると、次に候補に上がるのは聴覚と嗅覚。……耳あたりを潰すのが手っ取り早そうだ。問題は手段をどうするかだが――
「悪いけどよ、今は逃げた方がいいんじゃねぇの」
「どうして」
「どうしてってお前、紅黒は他の神官相手で手一杯だし」
こっちもこっちで。
そう言いかけたかと思うと、暗闇に向けていきなり発砲した。
「来た。逃げるぞ」
「魔力あるんだから戦えるだろ」
「無理だって、ありゃ正真正銘バケモンだぜ」
深く深く息を吐いて、藤高は言う。
「魔力の扱いが上手すぎる。あいつ、ホントに最近覚えたのかよ」
ボクには分からない。
魔力を使えないから――「あれ?」――おかしいぞ。
「なんか変じゃないか」
暗闇の中なのに、藤高の居場所がはっきり分かる。
藤高の周囲にだけ、何か……何かがあることが分かるのだ。
空気が揺らいでいるような感覚。実際暑くはないし炎も無い。なのに、藤高の周辺だけ奇妙に揺らいでいるのだ。
「場所が分かるぞ。はっきり分かる。藤高がどこにいるのか」
「なんだって? どんな風に感じてんの?」
「なんか、ユラユラしてる。お前の周りだけ」
「マジかよ……それが魔力だぜ」
なぜ今なのか、心当たりはあった。母さんが残してくれたのだろう。
これなら。
「で、聞くけどよ。スサノオの場所は分かるか?」
「……分からない」
「だから言ってんだよ、バケモノだって」
スサノオの魔力にはほとんど揺らぎがないのだ。
「どうすれば揺れる」
「手っ取り早いのは心を乱すことだな」
「なら大丈夫だ」
素早く作戦を組み立てる。
今自分に出来ること、それから藤高に出来ること。今まで学んだこと。新しく、できるようになったことを組み込む。
「……ボクが前に出る。藤高は補助だ」
「死ぬ気かよ」
「スサノオはボクを殺せない」
殺す機会なんていくらでもあった。母さんを看取るまで待ったのがいい証拠だ。そう、やつはボクを殺せるのに敢えてそうしなかったのだ。
だからこそ、この予測は当たると踏んでいる。
「魔力を抑えろ、藤高。お前の居場所を隠す」
「オーライ」
「合図を出したら頭を狙え」
物陰から、足音を立てて前に出る。
藤高の発砲した方向を参考に、スサノオの位置を予測する。
この先に奴はいるはずだ。
……賭ける。
「出てこいよ」
ゆったりと。
「話でもしないか?」
力強く。
ザリッ、と。
足音が鳴った。
「聞きましょう」
良かった。
胸を撫で下ろす。
乗ってくれた。
そして、ボクの苛立ちに付き合ってくれるようだ。
有難いこと、この上ない。
「……どうしてあんなことをした」
ぶつけてやろう。今日という日に。
「俺はやってない」
「ふざけるな。お前以外の誰が出来るんだ」
「信じなくて結構。あれは自殺です。好きなだけ調べればいい」
ふむ、揺らいだな。
「今だ」
空気の揺らぎが動く。
揺らぎを追ってボクも撃つ。
「高田さん。そんな撃ち方じゃ当たりませんよ」
「数打ちゃ当たるっていうだろ」
「残念ながら、俺には縁のない話です」
まだ揺れている。まだ揺らせるはずだ。
「母さんに恨みがあったのか?」
「その点に関しては、無いと言えば嘘になります。奴には手を焼きましたから」
「それが動機だろ」
「高田さん……」
息を吐く音が聞こえた。
「アイツは死んでませんよ」
呆れた物言いだ。
「死んだんだよ。あの時」
「いいや、死んでいない。どころか生きてもいません」
何もかも、やはりぼんやりしたままだ。
「貴方は奴の正体を知らないだけです。知ってしまえばきっと同じ感想を持ちますよ」