成果
深く息を吸って、天井を仰いだ。
ゆっくり吐きながら、高田さんを見る。
敵ではない。
前のような高揚も、緊張もない。気負いなく叩きのめせそうでよかった。
適当にあしらって、切り傷の一つや二つを付けて。それで折れてくれれば苦労は無いのだが、そうはいかないだろう。高田さんには仲間がいる。
紅黒はエクスが確実に抑えているとして、問題になるのは藤高の方だ。魔力を覚えて間も無いとは言え、油断したままどうにかなる相手ではない。
柄に手を掛け、遊ばせる。
「バレてますよ」
空いた左手で、高田さんの懐を指さす。
サトリで確かに見た。正中線を外しておく。
「拳銃を持ってますね。弾は銀製ですか、まったく趣味の悪い」
軽くその場で足を踏み込む。
「手癖の悪さは治した方がいい」
さて、どう出るか。威嚇に気付くことはないだろう。攻撃する。そんな意識を向けてみても反応がない。単純に分からないのか、それとも何かを待って――
「……!」
バツンと音がした。
瞬間、辺り一帯が暗闇に包まれる。
停電……違うな、電源を切ったのか。
「なるほど……」
サトリ対策。
流石に勘付かれたらしい。僕のサトリが視覚によるものと。室内、それに時間帯は夜。これほど的確な対策は無いだろう。
まぁ……。
ジェノンの予測通りだが。
「おっと!」
暗闇から弾丸が放たれる。
僕はそれを、サトリで見た。
受け止めることはしない。確かに躱す。
「残念ハズレです」
高田さんの記憶力は絶対だ。例え暗闇にあっても、動いていない僕を見失ったりはしない。記憶通りの位置にいるのなら、最初の一発は当てられたはずだろう。
そう、以前の僕ならば。
「悪いんですが、今日は早めに終わらせます」
今ならそうはいかない。
特訓の成果が出ている。暗闇での使用はぶっつけ本番だったが、上手くいった。
目を閉じて、ゆっくりと呼吸する。もちろん足は止めない。
相手に場所を特定されては意味が無い。暗闇に目が慣れる前に、高田さんの意思を折る。
……見えた。
「そら!」
剣を抜き放って一閃。腕を薄く斬る。
続けざまに脚。
そのまま離れる。
落ち着いた呼吸を繰り返しながら、目を閉じたまま、高田さんの姿を捉え続ける。
まさかここまで鮮明に見えるとは。
この一ヶ月は、無駄じゃなかった。
◆ ◆ ◆ ◆
「呼吸を見てるんだな」
「そうなる。読めるのは三手先……大体三秒程度先が限界だな」
特訓を始める前、ジェノンが僕に聞いてきた。
お前のサトリは何を見ているのかと。
「本当に、視てるだけか?」
そんな意味深なことを言って、ジェノンは聞こえるように息をする。
「例えば、聴覚。呼吸の音だ。例えば、嗅覚。空気の匂いだ。例えば、触覚。空気の動きだ」
目を閉じろ。ジェノンはそう言って、また呼吸を繰り返した。
「視えるか?」
「……ぼんやりと」
満足そうに笑ってから、ジェノンが目を開けるよう促す。
「そうだと思った。決まりだな、お前のサトリは最高だ。まだまだ伸び代がある」
そうして一ヶ月が始まったのだ。
僕はただひたすら、サトリを磨き続けた。
◆ ◆ ◆ ◆
視える。
どんな暗闇だろうが、濃霧の中だろうが、そんなものは関係ない。
僕は呼吸を聞き、嗅ぎ、感じ、映像として見ることができるのだ。
しかも、その映像は一秒か、二秒か、三秒先かという特典付き。
あとは相手の動きの先に刃を置くだけで、相手が当たりに来てくれる。
まるで吸い込まれるように。
「ぐっ……!」
「やめましょうよ、あなたを虐めてるようで気分が悪い」
キッと睨みつける、その強く滾る目でさえ。暗闇の中にあろうと輝いて見えている。
高田さんには必要のない、狂気に満ちた光。いつものような、理知的な、落ち着き払った眸はすでにない。復讐に駆られた――鬼の宿る目。
「……」
その目を知っている。だから鏡を見なくなったのだ。
何かに呑まれたその瞳は、遥かな未来を曇らせてしまう。僅かに見えた展望も、そう在りたいという願望も、その身に宿したはずの賢能さえも。澱んで濁ってそれでなお、強く輝く復讐の炎。まるで洗脳されたかのように、復讐以外の道を塗りつぶしてしまう。
その虚しさを知っていた。
超えるため、どれだけの死線が必要だったか、その身に沁みて知っていた。
遠ざけようと思ったのだ。高田さんはせめて傍観者であるべきだと。僕の手の元で、誰にも傷つけさせず、実感も湧かせないまま誰かを傷つけさせようとしていた。
僕は愚かだ。
「そんな目は見たくありません」
分かっていなかった。
これが戦うと言うことだ。
誰かが勝てば誰かが負ける。そんな単純なことならどんなにいいか。
負けた方は一生覚えているものだ。
傷つけられたことを。
勝てなかったことを。
何を失ったかを。
負けた方は、一生覚えているものだ。
だからこれ以上彼を傷つけたくない。
でもここで逃げるのは違う。僕は向き合うべきだと思った。
彼が失った何かに、向き合って立ち向かうべきだと。
一秒先を予見。
引き下がろうとした僕を射抜く弾丸。
これだから逃げられない。
相手をすると言うのなら、それなりの対処は必要だから。
全身に魔力を回す。
強化を意識せず、ただ全身に循環させる。
彼は何を待っているのか。大方の予想は着く。
だから僕も、待ってみようと思った――その時だ。
微かに空気を押し出すような音がした。
正中線をズラして躱す。
地面に着弾する音。
サイレンサー付きのハンドガン。
「……待ちくたびれたぞ」
本当に、待ちくたびれた。
随分遅かったじゃないか。
「藤高!」
これで舞台は整った。